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拓麻呂です。
いきなりですが、歴史に名を残すのはどのような人物なのでしょうか?
おそらく生き様の素晴らしさや、大きな事柄を成し得た人物が多いはずです。
超イケメンだからという理由だけで歴史に名が残っている人物はあまりいません。
戦国時代、武田信玄に仕えた『山県昌景(やまがたまさかげ)』。
彼は身長が約140センチと低く、口がウサギのようであったと伝わっています。お世辞にもイケメンとは言えなかったようです。
ところがこの山県昌景はその忠臣ぶりと無類の強さで、戦国武将ファンの間でも非常に人気のある人物となっています。
その理由・・・それは彼の率いる軍団が単純にカッコいいのです!
小さな男が率いた疾風怒濤の真っ赤な騎馬軍団。
男子たるもの、このカッコよさが絶対に分かるはず!
今回はそんな山県昌景の武勇伝に迫ってみましょう。
※この記事は、現在に伝わる山県昌景の伝説めいた逸話を含んでいます。ご了承ください。
~武田が誇る猛将 山県昌景~
赤備えの騎馬軍団
山県昌景と言ったら、まずこれに触れないわけにはいけません。
昌景の率いる部隊は武具を赤で統一していまいた。
『赤備え』です。
真紅の鎧に身を包んだ騎馬軍団が戦場を駆け巡る姿を想像してみてください。
単純にカッコよくないですか?
※当時の馬がポニーだったとか、そういうのは一旦忘れてください・・・
武田家が誇る真紅の部隊は戦場を駆け巡り、数々の武勇を打ち立てました。
武田家が誇る昌景の赤備えは、近隣諸国にも恐れられる存在で、その真紅の軍団を目にした敵は恐れおののいたと言われています。
徳川家康と激突した『三方が原の戦い』においては家康軍を蹂躙し、撤退する家康は恐ろしさのあまり糞を漏らしたという伝説があります。
昌景率いる赤備えの部隊は武田家中でも屈指の強さを誇り、武田四名臣(山県昌景、馬場信房、内藤昌豊、春日虎綱 ※高坂弾正のこと)の一人に名を連ねます。
お兄さんも赤備え
昌景には兄(叔父とも)がいました。兄の名は飯富虎昌(おぶとらまさ)。
この虎昌は赤備えの元祖でもありますので、ここで触れておきます。
昌景は兄の赤備えを受け継いだのです。
ある時、虎昌は武田信玄の長男と謀反(裏切り)を企みます。この当時、信玄と長男は不仲になっていました。
この企みを察知したのが山県昌景です。
昌景がこの企みを信玄に伝えた事で、謀反は起こらずに済みました。
最後もカッコ良かった赤備え
1575年 長篠の戦い。
武田信玄亡き後、息子の武田勝頼が織田信長、徳川家康連合軍と激突した合戦です。
なお、この合戦の経過と昌景の最後には、諸説あることをご了承ください。
昌景率いる真紅の部隊は突撃を開始しました。ところが織田、徳川連合軍は馬防柵(ばぼうさく)を自軍の前に張り巡らし迎え撃ちます。
この時織田軍が繰り出した戦法が、世に名高い三段撃ちです。間断なく浴びせられる一斉射撃の前に次々と倒れていく武田軍。
昌景を始め、武田信玄と共に幾多の戦場を駆け巡ってきた歴戦の勇士たち。
彼らはこの戦いの危うさを感じ取り、主君である勝頼に戦を回避するよう説得したと言われています。
しかし、勝頼には受け入れられませんでした。
説得に失敗した昌景はどのような心境でこの戦いに臨んだのでしょうか。
何としても武田を守る為、あるいは武田を支えた一武将としての本懐を遂げる為・・・
ともかくも相当の覚悟であったことは間違いないでしょう。
止むことのない三段撃ち。次々と倒れていく歴戦の勇士たち。
昌景率いる真紅の部隊も例外ではありませんでした。
鬼の形相で采配を振るう馬上の昌景。
その時、一斉射撃が昌景を襲います。・・・彼の両腕は被弾し、満足に動かせなくなっていました。
こんな状態では采配が持てず、部隊を指揮できない・・・
しかし、それでも昌景は馬から落ちることなく、驚くべき行動にでました。
なんと采配を口にくわえて指揮をとりはじめたのです。
最後の気力を振り絞り、口にくわえた采配で指揮をとる昌景。
その瞬間、織田徳川連合軍の一斉射撃が、再び昌景を襲いました。
赤備えの名将 山県昌景・・・真紅の鎧に身を包んだ歴戦の勇士は戦場の露と消えました。
男ならば赤備えに心が熱くなる!
背が低く容姿はいまひとつだった昌景。しかし、彼の人生は武田家の発展に尽力し、その最後は身震いするような壮絶なものでした。
繰り返しになりますが、戦場を駆けめぐる真紅の騎馬軍団は男心をくすぐります。しかも無類の強さを誇ったとなれば、もう説明不要なカッコ良さです!!
歴史に名を残す人物。
それは決して容姿で決まるものではありません。
その人物がとった行動、そして武勇こそが後世に名を遺すことになるのです。
純粋にカッコいい赤備えの騎馬軍団。
そして、その軍団を率いた『山県昌景』
男子たるもの、是非とも彼の名を覚えておいてください。
~受け継がれた赤備え~
前述のとおり昌景の赤備えは近隣諸国にその強さを恐れられ、戦場で真紅の部隊を目にしたものは、恐れおののき逃げ惑ったという逸話が残っています。
赤備えの部隊は、武田信玄が誇る精鋭部隊だったと言えるでしょう。
そんな昌景の武勇にあやかり、その後も赤備えは継承されていきます。
徳川四天王のひとり井伊直政。
大阪の陣で獅子奮迅の活躍を見せた真田幸村。
このような事実から分かる事・・・それは昌景の赤備えが強さの象徴であったこと。
長篠の戦いの経緯に関しては、様々な説が入り乱れ、何が史実なのかよく分かりません。
しかし、赤備えが強さの象徴とされ、後の武将に受け継がれた事実。
これこそが、山県昌景という男の真骨頂と言えるのではないでしょうか。
他にも、カッコイイ戦国武将は沢山います。あなた好みの男前を是非探してみてください。
では、今回はこの辺で!ありがとうございました。