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拓麻呂です。
2020年大河ドラマ『麒麟がくる』の主人公『明智光秀』のプロフィールとその生涯を年表にしてみました。
麒麟がくるの予習・復習などにぜひご活用ください。
明智光秀の生涯
明智光秀のプロフィール
本名:明智光秀
幼名:彦太郎
通称:十兵衛、惟任日向守
生年:大永6年(1526年)という説がある
没年:天正10年(1582年)6月14日
没年齢:大永6年の生まれとするならば57歳
正妻:妻木煕子
側室:なし
子:男子3人、女子4人(三女は細川ガラシャ)
明智光秀の生涯年表
【大永6年(1526年)】
光秀1歳:斎藤道三の家臣『明智光綱』の子として生まれる。
【天文7年(1538年)】
光秀13歳:父の逝去により家督相続。
【天文22年(1553年)】
光秀28歳:妻木煕子と結婚。
【弘治2年(1556年)】
光秀31歳:明智城の戦いで斎藤義龍に敗北し浪人となる。
【永禄8年(1565年)】
光秀40歳:越前の戦国大名『朝倉義景』に仕える。
【永禄11年(1568年)】
光秀43歳:室町幕府15代将軍 足利義昭と織田信長の謁見に尽力。この時の働きにより織田信長の家臣となる。
【永禄12年(1569年)】
光秀44歳:織田家臣として本圀寺の戦いに参戦。
【元亀元年(1570年)】
光秀45歳:織田家臣として金ヶ崎の戦いに参戦。
【元亀2年(1571年)】
光秀46歳:比叡山延暦寺の焼き討ちに参加。この時の活躍により坂本城主となる。
【天正元年(1573年)】
光秀48歳:槇島城の戦いに勝利し足利義昭を京都から追放。室町幕府が滅びる。
【天正3年(1575年)】
光秀50歳:丹波攻略開始。
【天正8年(1580年)】
光秀55歳:丹波平定の功により丹波一国を賜る。本拠を亀山城へ移動。
【天正10年(1582年)】
光秀57歳:本能寺の変で織田信長を討つも、山崎の戦いで羽柴秀吉に敗北。敗走中に小栗栖で落ち武者狩りに襲われ負傷し自刃。
遅咲きの武将 明智光秀
明智光秀というと、本能寺の変を起こした人物と言うこともあり、織田信長の家臣という印象が強いです。
しかしながら、光秀が信長に仕え始めたのは40代の前半から半ばに差し掛かったあたり。
信長に仕えていたのは、実質十数年たらずです。
光秀は出自や前半生がよく分かっていませんが、どちらにしても信長に召し抱えられたことで、初めてその才能を発揮できる環境を得たと言えるかもしれません。
40代半ばで輝きを放ち始めた明智光秀に人生。
年を取れば取るほど、雇用が厳しくなる現代社会。
しかし、光秀の勝敗を見てみると、人を年齢だけで判断しない方が良いのかもしれないな、と感じたりもしますね。
まとめ
以上、明智光秀の生涯でした。
他にも、明智光秀の性格や人物像、本能寺の変についてなどの記事を扱っています。
ここを見れば『明智光秀』と、その妻『妻木煕子』のすべてが分かる!
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では、今回はこの辺で!
ありがとうございました。