明智光秀の本能寺の変の動機とは?真実を知りたい人だけ見てください

戦国時代と戦国武将

ご来訪ありがとうございます。

拓麻呂です。

 

今なお多くの謎に包まれた、日本史における最大級の事件『本能寺の変』。

主犯の明智光秀が、なぜ謀反に及んだのか?

その動機は、日本史最大のミステリーとして、多くの歴史ファンの心を掴んで離しません。

 

織田信長への私的な恨みである『怨恨説』から、背後に首謀者がいたとする黒幕説まで、様々な説が提唱されています。

 

これらの説は、たしかにミステリーとしては面白い・・・・。

でも・・・。

ちょっと考えすぎじゃないですか?

 

本能寺の変に黒幕はいたのか?

明智光秀の動機はなんだったのか?

 

僕が考える本能寺の変の動機や真犯人をお伝えします。

 

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本能寺の変の真実

錯綜する変の原因

本能寺の変の黒幕には、様々な人物や勢力が挙げられています。

  • 羽柴秀吉説
  • 徳川家康説
  • 足利義昭説
  • 上杉景勝説
  • 朝廷説
  • 本願寺説
  • イエズス会説
  • 堺商人説

などなど。

中でも羽柴秀吉説や足利義昭説、朝廷説は有名かなという印象です。

 

 

そして、黒幕説と同じく根強いのが『怨恨説』です。

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また、比叡山延暦寺の焼き討ちなど、信長が古い権威を否定したため、それを重んじる光秀と考え方の違いがあったとする説も、これまでは有力視されてきました。

ただ、この説は近年覆されつつあります。

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この他にも、変の動機や原因に関する様々な説が提唱されており、いまだに定説がありません。

 

No.2の実力者だった光秀

ちなみに、明智光秀は織田家中でも最強の鉄砲隊を組織しており、その立場は信長にぐNo.2でした。

 

また、信長の重臣として、よく名前があがる5人がいます。

羽柴秀吉、柴田勝家、丹羽長秀、滝川一益、そして明智光秀。

彼らは、各地の方面軍を指揮した武将としても名高いです。

 

  • 羽柴秀吉は、中国地方(vs毛利)
  • 柴田勝家は、北陸地方(vs上杉)
  • 丹羽長秀は、四国地方(vs長宗我部)
  • 滝川一益は、関東地方(vs北条)

彼らは今風に考えれば、信長社長が経営する会社の、各地の支部長のようなものです。

 

では、光秀はどのの支部長だったのでしょうか?

実は光秀は、京都の近く(丹波攻略)を任されており、その後も近江(滋賀県)の坂本城を拠点としています。

つまり、地方に派遣されておらず、信長の近くにいたのです。

信長に次ぐNo.2、いわゆる『副社長』のようなポジションなのです。

 

言い換えるならば、信長に取って代われるくらいの立場にいた人物なのです。

 

現代でも、社内の重役クラスに軋轢が生じることってありますよね。

重役でなくでも、ずっと側近くで働いていれば、少しずつ不満がたまっていくことだってあります。

 

例えば、最近提唱され始めた『四国攻め回避説』などは、信長の判断で会社の経営方針を180度変更したような事例であり、不満の一端となるに相応しい出来事です。

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一度や二度の不平不満程度では、変を起こすに至りはしませんが、それが積み重なった上に、自身がトップに手が届くようなポジションにいたとしたら、どう考えるでしょうか。

そのような中で、トップの信長が本能寺で無防備を晒しているという状況です。

 

自分は織田家のNo.2。

信長を倒した後に、自分に味方する人たちも決して少なくないはず。

そういった考えの元、変に及んだ可能性も捨てきれないのではないでしょうか。

ゆえに、変後の対応が後手後手となったうえ、頼みにしていた武将たちが日和見を決め込んでしまったことで計算が狂った、つまり、自身の立場を過信しすぎたという側面が強いように感じます。

 

戦国時代ゆえに、武力による衝突となりましたが、現代で言えば社内のNo.2が勢いに任せて独立したものの、計算が甘くすぐに破綻した、というような状況です。

 

 

また、注意しておきたいのは、完全な無計画で光秀が変を起こしたわけではないということです。

例えば、ドラマなどの影響で本能寺の変は深夜に決行されたようなイメージがありますが、実は違います。

確かに、本能人変への進軍は夜に行われましたが、襲撃したのは明け方からでした。

つまり、闇夜の襲撃ではなかったのです。

 

本能寺の変の目的は、もちろん織田信長を討ち取ることです。

よくよく考えてみれば、夜に襲撃してしまった場合、信長にしてみれば闇夜に乗じて逃亡しやすくなります。

これでは本末転倒です。

現代でも、文字通り闇に乗じて夜に行方をくらます行為を夜逃げと言いますね。

 

ゆえに光秀は、計画的に時間を調整して本能寺を襲撃しているのです。

 

また、本能寺で信長を自害させた後、すぐさま信長の長男『信忠』が籠っていた二条城にも襲い掛かっています。

そして、本能寺の襲撃からわずか1時間後には、信忠も自害させています。

 

本能寺変って、信長が亡くなったことばかりがクローズアップされますが、本当は『信忠が亡くなった』ことの方が、はるかに重要です。

↓ちょっと話が逸れますので、この辺の詳細はコチラをご覧ください。↓

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ともかくも、光秀は無計画に本能寺を攻めたわけではなく、目的を完遂するためにやるべきことは、きちんと計画的に実行しているのです。

 

これが、本能寺の変の真実なのではないでしょうか。

 

様々な説について思うこと

ともかくも、黒幕説から怨恨説まで様々な説が提唱されている本能寺の変。

あくまで個人的な主観なのですが、あまりにもこじつけが過ぎると言うか、謎であるがゆえに深く考えすぎなのでは?という感が否めません。

 

答えは0か100か?

正解は右か左か?

あの人が黒幕だった!

光秀が信長を恨んだ原因はコレ!

正解は一つで、他は間違い!

 

そういった一元的な物差しで判断刷することが、あまりにも多すぎるように感じます。

人間って、そんなに単純な生き物でしょうか?

どんな事件の真犯人にも、かならず多面的な部分があるのではないでしょうか。

 

いかに斬新な説を唱えるかという競い合いになっていて、もはや変の原因を明らかにすることが二の次になっているように感じるのは気のせいでしょうか。

 

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まとめ

以上、本能寺の変についてでした。

 

明智光秀の心の内は、今となっては謎と言わざるをえませんが、彼も一人の人間であったことは間違いありません。

人間だからこそ、その人間臭さの中にこそ、本能寺の変の動機が隠されているのではないかと考えています。

 

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では、今回はこの辺で!

ありがとうございました。