家系図付!松永久秀と三好長慶の本当の関係を相関図で解説

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拓麻呂です。

 

戦国一の極悪人と言われる『松永久秀』

戦国時代で初めて室町幕府を前提としない独自政権を樹立した『三好長慶』

 

主従関係にあった二人の真の関係とは、どのようなものだったのでしょうか?

家系図や相関図を交えお伝えしていきます。

 

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松永久秀と三好長慶

秀久と長慶の関係

まずは、こちらの相関図をご覧ください。

このように、松永久秀と三好長慶は主従関係にあります。

長慶が主君で、久秀が家臣です。

ついでに『三好三人衆』と呼ばれる三好長逸(みよし ながやす/ながゆき)三好政康/宗渭(みよし まさやす/そうい)岩成友通(いわなり ともみち)の三人も、長慶の家臣です。

 

長慶の生存中は、久秀も三人衆も三好家臣団として活躍しますが、長慶没後に状況が一変します。

長慶が亡くなると、久秀と三人衆は三好家の実権を掌握。

 

また、三好家は長慶の時代から、室町幕府を凌駕する権威を持っていました。

そんな中、幕府の権威復活を目指す第13代将軍『足利義輝』。

長慶没後に三好家の実権を握った久秀らにしてみれば、将軍の義輝は邪魔な存在となりました。

 

そこで、久秀と三好三人衆は刺客を送り込み、義輝を亡き者にしたち言われています。

麒麟がくる!足利義輝の目を覆いたくなる凄惨な最期とは?
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しかし、後に久秀と三人衆は対立し、奈良の大仏で有名な東大寺をも戦果に巻き込むほどの混乱を極めました。

 

その最中に、足利義昭を奉じで上洛してきた織田信長に、久秀は臣従することにりました。

一方の三好三人衆は信長と敵対するも敗北を繰り返し、徐々にその勢力を弱めていったのです。

 

松永久秀は本当に三好家を乗っ取ったのか?

結果的には、長慶没後に三好家を牛耳っていた久秀。

つまり主家の乗っ取り、あるいは将軍暗殺を行っていることから、久秀は戦国時代の極悪人と言われることがあります。

 

これらの事実をそのまま鵜呑みにすれば、確かに久秀は極悪人でしょう。

 

そんな久秀の活躍もあり、畿内を制した三好家は、もともとは足利将軍家の家臣『細川家』に仕えていた家です。

つまり将軍から見れば、家臣の家臣が三好家なのです。

 

そんな三好長慶によって、京都を追われた義輝にしてみれば、面白いはずがありません。

天文20年(1551年)に、実際に義輝の刺客に長慶が襲撃されると言う、暗殺未遂事件が起こっています。

 

さらに、三好長慶には『三好実休(みよし じっきゅう)』という弟がいました。

実休は長慶の右腕として三好家を引っ張ってきた人物でしたが、長慶が亡くなる約2年前に戦場で亡くなりました。

この戦いは『久米田の戦い』と呼ばれ、一般的には三好と『畠山高政』の戦いとされていますが、この高政を裏で動かしていたのが足利義輝であると言う説もあります。

 

このように長慶の時代から、三好家と足利将軍家は因縁深き間柄なのです。

つまり、久秀からしてみても足利義輝は因縁の相手なのです。

 

このような状況から考えると、久秀は長慶亡き後の三好家を守るために行動していたのではないかと思えてきます。

 

実際、久秀が悪人とか謀反人といった印象になったのは、後世に書かれた軍記物の影響が大きく、三好家に対しては謀反など起こしていません。

長慶存命中は長慶に従い、三好家の勢力拡大に貢献していました。

もはや久秀の活躍無くして、三好政権の樹立は実現できなかったと言って良いくらいです。

↓三好政権の詳細はコチラをご参照ください。↓

麒麟がくるに『三好長慶』登場!天下を取った隠れた名将
...

 

これは想像ですが、久秀としては三好家を守るために奮闘していたが、それが結果として三好家乗っ取りのような形になってしまっただけであると考えています。

長慶が没する前後に、三好家の一門(安宅冬康、三好義興など)がたまたま相次いで亡くなっていることも重なり、久秀が三好家の実力者を屠り、いかにも乗っ取りを成功させたかのような印象になっただけなのではないでしょうか。

 

このような、結果的に主家乗っ取りのような形になってしまし、裏切り者のような扱いを受けた人物が戦国時代にもう一人います。

九州肥前の戦国武将『鍋島直茂』です。

 

彼もまた、主君の龍造寺隆信に忠実な家臣でしたが、隆信亡き後に龍造寺家の中心人物となり、結果的に主君と家臣の逆転現象が起こっています。

 

しかしながら、鍋島氏の場合は戦国時代を生き抜き、佐賀藩の祖なって幕末まで続いている、いわば歴史の勝者でした。

一方の松永久秀は、織田信長に敗れ、松永家は歴史の表舞台から消えしまったため(ご子孫は今も続いています)、後世に勝手なイメージが独り歩きしてしまったのではないでしょうか。

歴史とは往々にして、勝者は正義で敗者は悪役になるものです。

 

松永久秀は、三好長慶とともに三好政権と言う天下を実現した、長慶の忠実な家臣だったのです。

 

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まとめ

以上、松永久秀と三好長慶の関係でした。

 

足利義輝を襲撃したのも、三好家を守るためであり、長慶時代からに仇敵を倒したと考えれば、戦国時代であることを考慮すれば、さほど不思議なことではありません。

一般的には長慶没後に三好家を乗っ取ったと言われる久秀ですが、それを示す確実な証拠はなく、むしろ長慶ともに三好家を大きくした功労者だったのです。

 

久秀の主家 三好家と足利将軍家の相関図はコチラをご覧ください。

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では、今回はこの辺で!

ありがとうございました。