マイナス思考の毛利隆元!ネガティブな毛利家長男は人に愛された名将

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『毛利家大好き』拓麻呂です。

中国地方の大大名 毛利元就。

今回は、その元就の長男『毛利隆元』が主人公です。

元就の息子と言えば次男の吉川元春と、三男の小早川隆景が有名ですが、隆元はこの二人の弟ほど知名度が高く無い上に、彼の事績と言われてもあまり思い浮かびません。。

大きな領土を築き上げた偉大な父、毛利元就。近隣諸国に名を轟かせた優秀な弟、吉川元春、小早川隆景。

隆元は父と弟たちに対し常に劣等感や憤りを感じ、コンプレックスを持ち続けていたようです。

そんなマイナス思考な隆元でしたが、父や弟には無い大切な物を持っていました。

それは『人から愛されるキャラクター』

ネガティブでもいいんです!

今回は、そんなマイナス思考でありながら、人々に愛された毛利隆元の人物像に迫ってみましょう。

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マイナス思考の毛利隆元

父の元就に対する劣等感

広大な領土を築き上げた父の元就もいい歳になり、隠居を考えていました。

そんな、ある日、元就隠居の話が隆元の耳にも入ります。

驚いた隆元は、こんな事を言い始めました。

『父が隠居するなら、僕も引退する!』

この発言の背景にあるのは、偉大な父に対する劣等感。

『隆元自身が毛利家当主になっても、父のような業績は残せない』というような感情があったようです。

隆元は現存する手紙などにも、自分を蔑む内容を多く残しています。

『自分には才能が無い』とか『名将には不遇な子が生まれる』とか。

極めつけは『父が長寿になるならば、自身の身をささげても良い』とまで言っています。(なお元就の享年は75、隆元は40。祈りが通じてしまったのでしょうか・・・)

このような隆元の態度に対し、父元就は『優柔不断』と言い放っています。

二代目の苦悩とでも言いましょうか。隆元は父の存在に畏敬の念を抱き、常に劣等感を抱いていました。

弟の元春、隆景に対する憤り

隆元の弟である吉川元春と小早川隆景。

彼らは、吉川家と小早川家に養子に出されていた為、普段は別の場所で暮らしていました。時折、毛利家の住まいである吉田郡山城にもやってくるのですが、隆元はその時の様子を手紙に残しています。

『元春と隆景は吉田郡山城に帰って来ても長居せず、大事な要件は父ばかりに相談し僕を除け者にしている』

なんというマイナス思考でしょうか。

なお、この三兄弟はあまり仲が良くなかったと伝わっています。仲たがいする息子たちを案じた元就は『三子教訓状』と言われる、なが~い説教をしたためた書状を息子たちに送ります。

この三子教訓状が、元就の有名な逸話『三矢の訓』の元ネタとされています。
(1本では簡単に折れる矢も、3本に束ねれば折れない、という話)

隆元の人柄

このように隆元という人物は、自身を卑下し続けていました。

では、彼の良い所はどこに見出せばよいのでしょうか?

それは『隆元の人柄』

彼はこれと言った才能は無かったようですが、温厚で周囲から愛されるキャラクターであったようです。

隆元は十五歳の頃、隣国の大内家へ人質に出されました。しかし、大内家当主である大内義隆からは非常に愛されていたと言われています。

また幕末の吉田松陰も隆元を『人徳に厚き良将』と評しています。

隆元は父や弟たちにはない、平凡であるがゆえの親しみやすさを持っていたのかもしれませんね。

隆元の意外な一面

父に優柔不断などと言われてしまった隆元ですが、頑なに自分の意見を主張したこともありました。最後にそんなエピソードをご紹介します。

隆元が人質に出されていた大内家の当主 大内義隆が大寧寺の変という事件で突然この世をさりました。

この大寧寺の変の首謀者が陶晴賢(すえはるかた)。

この晴賢は強大な兵力を誇っており、とても毛利家が太刀打ちできる相手ではありません。しかし義隆に恩義のある隆元は、仇を打つため晴賢との交戦を主張します。

『晴賢はいずれ毛利にも攻め込んでくる。今こそ臆することなく晴賢と一戦交えるべきである』

この隆元の主張により、毛利家は一世一代の大勝負に打って出ることになるのです。戦国三大奇襲戦のひとつと言われる『厳島の戦い』です。

この戦いに勝利した毛利元就は、遅咲きながらも中国地方の覇者としての第一歩を歩み始めるのです。

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隆元が毛利家に残したもの

コンプレックスの塊だった毛利隆元。残念ながら彼は、父や弟たちより先にこの世を去ります。

隆元を失った元就の悲しみは非常に大きかったと言われています。

また、悲しみに暮れる周囲の人々を見た弟の元春と隆景は、隆元がいかに人から愛された人物であったか思い知らされることになります。

そんな隆元を失った毛利家は、彼の存在の大きさを知り、結束を強めていくことになるのです。

父や弟たちのような強烈な個性を残せなかった毛利隆元。しかしながら彼は、父や弟たちには無い人に愛されるキャラクターで、毛利家を影で支える重要な役割を担っていたのです。

毛利三兄弟

長男 毛利隆元。

次男 吉川元春。

三男 小早川隆景。

この三兄弟は毛利元就の正妻が生んだ名将たちです。(四男以降は側室が生んでいます)

この三兄弟の特徴を表現した言葉。

『仁徳の隆元』

『武勇の元春』

『知略の隆景』

彼らはそれぞれが持つ長所を生かし、父 元就の偉業を助けてきました。

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毛利元就と三人の息子たち。

戦国時代を代表する大大名となった毛利家は江戸時代を経て、明治維新の起爆剤とも言える長州藩の礎を築いた一族なのです。

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