『かぶき者』前田慶次のとんでも逸話集やおもしろエピソード

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戦国時代と戦国武将

ご来訪ありがとうござます。

拓麻呂です。

 

愛馬『松風』とともに、戦場を駆けた武将『前田慶次』

 

ジャンプで連載していた『花の慶次』の影響もあり、現代では比較的有名な武将ではないかと思います。

では、前田慶次とはどのような活躍をした武将なのでしょうか?

 

前田慶次は戦にも強かったようですが、どちらかというと彼のユーモア溢れる、とんでもエピソードを多く残している武将です。

そのような経緯から、前田慶次は『かぶき者(傾奇者)』という肩書も持っています。

 

かぶき者の前田慶次らしい、ユーモラスで豪快なエピソード集をお送りします。

 

 

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かぶき者『前田慶次郎利益』

前田利家が水風呂に・・・

織田信長の家臣として有名な『前田利家』。

慶次は利家の兄の養子になっているので、慶次から見て前田利家は叔父に当たります。

 

ある日のこと・・・

利家は普段から素行の悪かった慶次を叱りつけました。

 

そのような経緯もあり、慶次は前田家に留まっていても楽しくないと考えるようになり、前田家を去ろうと考えます。

 

しかし、そのまま立ち去ったのでは面白くない・・・

慶次は一計を案じます。

 

慶次は利家にお茶を振舞います。

『慶次も心を入れ替えたのか!』と、感心する利家。

 

さらに慶次は風呂を沸かして利家をもてなそうとします。

改心した慶次の対応にご満悦な利家は、早速風呂へ向かいました。

 

とても寒い日だったので、風呂へ飛び込んだ利家。

しかし、風呂にはってあったのは湯ではなく冷水でした。

 

寒い日に水風呂に飛び込んでしまった利家は、怒り心頭で利家を追いかけようとしますが、時すでに遅し。

 

慶次は愛馬 松風に飛び乗り、遥か彼方に逃げ去ったあとでした。

こうして慶次は前田家を去ることになったのです。

 

 

脇差を持って銭湯へ

ある日の銭湯での出来事。

慶次は脇差(刀)をもったまま風呂場にやってきました。

 

その姿を見た他のお客さんは、なにか良からぬことが起こるのではないかと警戒し、風呂に入るのを躊躇しました。

しかし、このまま風呂に入らず帰ってしまったら臆病者の烙印を押されかねません。

 

彼らは万一に備え、慶次と同様に脇差を持って風呂に入り慶次の動向を警戒して

いると・・・

 

慶次はその脇差で足の裏の垢を落とし始めました。

 

拍子抜けした彼らでしたが、手に持った脇差をどうすることもできず、仕方なくそのまま湯に浸かってしまったため、その脇差は使い物にならなくなってしまいました。

 

 

住職をぶっ飛ばす

林泉寺と言う寺の住職は、周囲からの評判が良くありませんでした。

その噂を聞いた慶次は『では、俺が懲らしめてきてやろう!』と、林泉寺に向かいます。

 

さっそく林泉寺にやってきた慶次は、噂の住職からもてなしを受けました。

そんな中、部屋の片隅に碁盤が置かれていることに気づいた慶次は、住職と碁を打ちたいと願い出ます。

そして、勝った方が負けた方の鼻をシッペ(多分デコピンを鼻にするような感じ)することを約束し、勝負が開始されました。

 

かぶき者魂に火のついた慶次は、良からぬことを考え、最初の勝負はわざと負けます。

自分の鼻にシッペすることを住職に願い出る慶次。

 

しかし、住職は自分は修行の身であり、人を傷つけることにためらいがあったため、シッペを固辞しました。

それでも約束だからとシッペを願い出る慶次に、住職は仕方なく軽いシッペを食らわせました。

 

そして二戦目は慶次が本気を出し、見事に勝利。

今度は慶次が『仏に仕える者を傷つけるとは恐れ多い』ということでシッペを固辞します。

しかし住職は『それはフェアではない』ということでシッペを強要しました。

 

すると慶次は『ならば・・・』と、拳を握りしめ住職の鼻目掛けて渾身の一発をお見舞い。

鼻血が噴出し慌てふためく住職を尻目に、慶次は林泉寺を立ち去ったのでした。

 

 

ユーモラスな旗指物

上杉家に仕えて、まだ間もないころの出来事。

 

慶次は『大ふへんもの』と書かれた旗指物を差し合戦に臨もうとしていました。

それを見た先輩の上杉家臣たちは『武勇の誉れ高き上杉家で、新参のお前が自ら「大武辺者」を名乗るとは随分と大それたことだ』と、大笑いしました。

 

すると慶次は『私は長らくの浪人暮らしで不便な生活をしてきました。だから「大不便者」と旗指物に大書したのです』と言い放ちました。

 

当時は文字に濁点をつけないのは、珍しいことではありません。

あえて『大ふへんもの』という、紛らわしい旗指物を用いた慶次。

『大不便者(だいふべんもの)』を『大武辺者(だいぶへんもの)』と読んでしまった上杉家臣たちは、とても恥ずかしい思いをしたのです。

 

 

熱湯は香の物で冷やす

慶次が安田という武将の家に招かれ、食事をしていた時の出来事。

ご飯がとても熱くて、慶次は水を所望しましたが、安田は『香の物を一緒に食べれば熱さが和らぎますよ』と適当なことを言いました。

 

後日、今度は安田が慶次の家に招かれた時のこと。

慶次が風呂を沸かしてくれたので、安田はひとっ風呂浴びようとしましたが、あまりにお湯が熱くて、とても入ることが出来ません。

安田は慶次に水を所望しました。

 

すると慶次は香の物を差し出しました。

 

 

馬揃えに牛で参加

ある日、慶次は『馬揃え』に参加することになりました。

『馬揃え』とは、武将たちが馬に乗り、華美に装飾された行列で街を練り歩く行事。

いわば、武将の威厳を示す為のイベントのようなものです。

 

そんな晴れの舞台に、慶次はなんと牛に乗って登場しました。

 

慶次は『私は貧乏なので馬を飼っておりませんので牛に乗ってやってきました』と言い周囲を驚かせました。

しかし、慶次の操る牛は馬と同じように華麗な動きをし、見物人たちをたいそう驚かせました。

 

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戦国時代のかぶき者

以上、数ある前田慶次のエピソードの中から、いくつかを抜粋してご紹介しました。

 

僕の中での前田慶次のイメージは、一般的な戦国武将と違い、ユーモアがあってイタズラ好きなお調子者。

戦にも強かったようですが、単なる猛将に留まらない個性的なキャラクターです。

 

そして、あまり知られていない事実ですが、非常に教養のある人物でもありました。

文学や和歌にも通じており、源氏物語や伊勢物語の講釈も行っていたそうです。

 

文武両道の武将は多く存在します。

しかし慶次は文武両道に『かぶき者』がプラスされた、多くの戦国武将の中でも特に個性的な人物なのかなと思います。

 

 

意外と少ない前田慶次を詳しく知れる一冊はコチラです。

 

では、今回はこの辺で!

ありがとうございました。