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拓麻呂です。
『明智光忠』という戦国武将をご存じでしょうか?
本能寺の変を起こした明智光秀のいとこで、『明智五宿老』の一人で、明智光秀の重臣です。
かなりマニアックな人物ですが、光秀家臣の中では、かなり重要な位置を占めている武将です。
そんな明智光忠とは、どんな人物だったのか?
簡単なプロフィールを交え、明智光忠という武将をご紹介します。
明智五宿老の一人『明智光忠』
明智光忠のプロフィール
まずは、明智光忠のプロフィールをお伝えします。
【本名】明智光忠(あけち みつただ)
【通称】次右衛門 ※二郎、二郎四郎とする場合もある。
【法名】長閒斎(ちょうけんさい)
【生年】天文9年(1540年)
【没年】天正10年(1582年)
【享年】43
【明智光秀との血縁関係】
光忠の父は『明智光久』という人物で、明智光秀の叔父にあたる人物です。
なので、光忠は光秀のいとこにあたります。
さらに、光忠は光秀の次女を正室に迎えています。
もともと光秀のいとこなうえに、自身の娘を嫁がせて、さらに強固な親戚関係を築いているのです。
ちなみに、光忠の妻(光秀の次女)の名前は分かっていません。
光秀の重臣『明智五宿老』
光忠は、光秀の重臣『明智五宿老』の一人に数えられています。
五宿老のメンバーは以下の通りです。
明智秀満(明智左馬助)
斎藤利三
藤田行政(藤田伝五、伝吾)
溝尾茂朝
そして、明智光忠の5名。
この5名は、光秀が信長を討つつもりであるという心の内を、誰よりも早く告げられた人物です。
つまり、明智五宿老は、本能寺の変の首謀者のなのです。
そのうちの一人が明智光忠なのです。
また、光秀の活躍として名高い『丹波攻略戦』の後に手に入れた『八上城』の城主も任されています。
八上城は、大苦戦の末に攻略した城です。
光秀の娘を妻に迎え、さらに五宿老の一人に名を連ねているという事実からも、光忠が明智家臣団の中でいかに重用されていたかが分かります。
明智光忠の最期
天正10年(1582年)本能寺の変。
光秀から事前に変の遂行を知らされていた光忠は、明智軍の主力として、織田信長が寝所としていた本能寺を襲撃しました。
光忠らの活躍もあり、信長は自害。
そして、次なる標的は信長の嫡男『織田信忠』。
変を知った信忠は二条城に籠り、徹底抗戦の構えを見せましたが、光忠の軍勢が押し寄せます。
結果、信忠も自害し、本能寺の変の目的は達成されました。
しかし、光忠はこの時に鉄砲で討たれ、大きな傷を負ってしまいました。
光忠は傷を癒すため療養していましたが、本能寺の変から11日後、山崎の戦いで明智軍は羽柴秀吉に敗れました。
敗走する光秀は、小栗栖で落ち武者狩りに襲われ負傷。
もはや助からないと悟った光秀は自害しました。
そして、光秀自害の報は、療養中の光忠の耳にも届きました。
光忠は、光秀の居城 坂本城に向かい、同じく五宿老の一人であった『明智秀満(左馬助)』とともに籠城。
徹底抗戦の末に、秀満とともに自害して果てました。
享年43
明智光秀の血縁者として、重臣として、壮絶な最期を遂げたのでした。
大河ドラマ『麒麟がくる』には登場するのか?
令和2年(2020年)のNHK大河ドラマ『麒麟がくる』の主人公は、明智光秀です。
現状、明智五宿老の中で登場が確定しているのは『藤田伝吾(藤田行政)』のみ。
明智光忠を始め、他の五宿老は出てこないのでしょうか?
個人的には、登場を期待していまして、五宿老に関しては以下のような考察もしています。
↓ドラマい登場するあのキャラが、五宿老の一人なのではないかと睨んいます。↓
まとめ
以上、明智光忠についてでした。
かなりマニアックな人物ですが、本能寺の変の首謀者の一人であり、明智光秀とともに歴史を動かした人物であることは間違いありません。
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では、今回はこの辺で!
ありがとうございました。