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拓麻呂です。
令和二年(2020年)のNHK大河ドラマ『麒麟がくる』。
あまり有名ではない人物ですが、今作序盤での重要な役割を担っている人物たちがいます。
土岐頼芸と土岐頼純の『土岐家』です。
土岐家は、明智光秀の最初の主君『斎藤道三』と密接に関わっている人物で、ドラマをさらに楽しむ上で土岐家と斎藤家の関係を把握しておくことは、とても重要になります。
そこで、土岐家と斎藤家の関係を簡単に把握するため、両家の家系図を作成しました。
麒麟がくるをより楽しむために役立てて頂ければ幸いです。
土岐家と斎藤家の関係
土岐家と斎藤家の家系図
まずは、下記の系図をご覧ください。
土岐頼芸と土岐頼純は、叔父と甥の関係にあたります。
土岐頼純は道三の娘である『帰蝶(後の濃姫)』を妻に迎えていました。
しかし、天文16年(1547年)に、土岐頼純は24歳の若さで急逝しています。
一説には斎藤利政(後の道三)の陰謀によるものだと言われていますが、証拠はありません。
ともかくも、頼純の急逝により、帰蝶は二人目の夫である織田信長へ嫁ぐことになります。
なお、信長に嫁いだことで、『美濃から来た姫様』ということで『濃姫』という通称が生まれました。
斎藤道三と土岐頼芸
本来、土岐家は美濃(現在の岐阜県南部)を支配する守護大名でしたが、家臣にあたる道三の下剋上によって、守護の座を追われました。
なので、もともとは土岐家と斎藤家は主従関係でした。
そういった縁もあり、もともとは土岐頼芸の側室であった『深芳野(みよしの)』という女性が、後に道三の側室となっています。
つまり深芳野は、頼芸と道三双方と男女の関係だったのです。
このことが原因で、一応は道三と深芳野の子とされている『斎藤義龍』が、頼芸と深芳野の子ではないかという噂があるのです。
ちなみに、帰蝶は深芳野が生んだ子ではなく、道三の正室である『小見の方(おみのかた/こみのかた)』の娘です。
戦国時代の守護大名
このように、土岐家は道三によって美濃を支配する立場を追われ、没落していきました。
これがいわゆる『下剋上』であり、下剋上とは戦国時代のひとつのキーワードそなっているかと思います。
しかし、土岐頼芸のように、戦国時代の多くの守護大名家は、下からの突き上げによって没落していったかのようなイメージがありますが、必ずしもそうではありませんでした。
例えば、甲斐(現在の山梨県)の武田氏。
あるいは、薩摩(現在の鹿児島県)の島津氏などは、もともとは守護大名であり、実力で戦国大名化した猛者たちです。
その他にも、今川氏、大友氏、大内氏なども元は守護大名だった家です。
土岐氏のように没落した守護大名家もあれば、武田氏や島津氏のように生き残った守護大名家もあるのです。
そういった意味では、この時代はお家の栄枯盛衰を左右する、本当に過酷な時代だったんだなと感じますね。
まとめ
以上、土岐家と斎藤家に家系図と関係性でした。
もともとは土岐家に仕えていた斎藤家でしたが、道三の下剋上により美濃を追放されたのでした。
こちらもドラマで重要な役割を担う『足利将軍家』と『三好家』の相関図はコチラです。
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では、今回はこの辺で!
ありがとうございました。