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拓麻呂です。
令和2年(2020年)のNHK大河ドラマ『麒麟がくる』に登場する『小見の方』。
これまで、あまり触れられてこなかった人物なので、どんな女性なのかをご存じない場合も多いのではないでしょうか?
この記事では、小見の方の人物像やプロフィール、最期の状況などをお伝えしていきます。
小見の方とは?
小見の方のプロフィール
まずは、小見の方のプロフィールをお伝えします。
【名前】小見の方
『こみのかた』、又は『おみのかた』と読みます。
【生年】永正10年(1513年)
【没年】天文20年(1551年)※諸説あり
【配偶者】斎藤道三
小見の方は道三の正妻、天文元年(1532年)に輿入れ
【子供】帰蝶(濃姫)
後に、織田信長の正妻となる『濃姫』は、斎藤道三の娘で、小見の方が生んだ子。
本名は『帰蝶(きちょう)』とされています。
なお、道三の子供としては『斎藤義龍』が有名ですが、彼は道三の側室『深芳野(みよしの)』が生んだ子であり、さらに父親は道三ではないとも言われています。
【父】明智光継
小見の方は、明智光継という人物の娘です。
もともとは土岐氏の守護国であった美濃(みの、現在の岐阜県南部)に勢力を拡大しつつあった斎藤道三に、光継は従属。
その際に、道三へ人質として送られたのが、幼き頃の小見の方とされています。
なお、光継の子には『光綱』がおり、満綱は『明智光秀』の父親にあたります。
つまり、明智光継は、光秀の祖父にあたる人物です。
ちょっとややこしいので要約すると、明智光秀の父(明智光綱)と、帰蝶(濃姫)の母(小見の方)は兄妹であり、光秀と帰蝶は いとこの関係になります。
なので、光秀から見て、小見の方は叔母になります。
詳しくは、下記系図をご参照ください。
また2020年の大河ドラマ『麒麟がくる』で、西村まさ彦さんが演じる『明智光安』も光継の息子です。
小見の方の最期
このように、斎藤道三の妻というだけでなく、明智光秀とも血縁関係にあった小見の方。
その最期はどのようなものだったのでしょうか?
没年に関しては諸説あるのですが、一般的には天文20年(1551年)に肺の病気で亡くなったとされています。
この没年に従うならば、40歳の手前くらいで亡くなっています。
戦国時代の平均寿命が50歳手前くらいなので、当時としてもやや短命だったことになります。
斎藤道三にとっての小見の方
前述の通り、小見の方は子供の時に斎藤家に人質として送られ、後に道三の正室になっています。
斎藤道三と言えば、戦国時代の三大梟雄にも数えられる人物。
まさに下剋上でのし上がった戦国武将です。
とはいえ、成り上がり者であることには変わりはなく、名門の家柄の武将などからは軽んじられ、苦渋を舐めたこともあったかもしれません。
そういった道三の苦労を側近くで見守り、支えていた女性が小見の方だったのかなと思います。
そういった意味では、道三にとっての彼女の存在は、とても大きいものだったのではないでしょうか。
まとめ
以上、小見の方についてでした。
あまり注目されることのない女性ですが、斎藤道三や濃姫、明智光秀らと深い関わりを持つ女性なのでした。
道三の側室『深芳野』に関する記事はコチラ。
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では、今回はこの辺で!
ありがとうございました。