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拓麻呂です。
2020年の大河ドラマ『麒麟がくる』。
主役の明智光秀の正妻は、木村文乃さんが演じる『妻木煕子(ひろこ)』。
かなりの歴史ファンでないと知らない人物ですが、彼女の最期は一体どのようなものだったのでしょうか?
きっと幸せな人生だったに違いないのです。
明智煕子の最期とは?
煕子と光秀の夫婦仲
煕子と光秀の夫婦仲は、とても良好だったと伝わっています。
側室を持つのが当たり前であった戦国時代、光秀は生涯側室を持たなかったと言われています。
このことからも、光秀がいかに煕子を愛していたかが伝わってきます。
そんな二人のエピソードには、心温まるものがたくさん残されています。
- 煕子の顔に大きな痘痕が出来てしまった時の光秀の対応
- 戦に敗れ城を追われてしまい、逃避する中でのお互いの絆
- 貧乏でお金に困っていた光秀を助けた煕子の機転
↓コチラで詳しくお伝えしていますので、ぜひご覧ください。↓
煕子の最期
煕子の享年はハッキリわかっていません。
おおよそ40歳前後だったのではないかと言われています。
生年は不詳ですが、没年は天正4年(1576年)です。
天正4年(1576年)の4月頃、光秀が本願寺攻めの最中に発病し、煕子は献身的な介護をしていたといいます。
結果、光秀の病は治癒するのですが、今度は煕子が病にかかってしまいます。
天正4年(1576年)の10月10日、光秀は煕子の病が治るように、吉田神社の神主である吉田兼見という人物に祈祷を依頼しています。
その後、一時的に回復しましたが、同年の11月7日に亡くなったそうです。
本能寺の変が起こる約6年前の出来事でした。
本能寺の変
側室を持つのが当たり前だった戦国時代にあって、オシドリ夫婦として知られる光秀と煕子。
真っすぐな性格で知られる光秀ですが、恋に関しても一途だったのかもしれません。
心温まるエピソードが多く残る二人の夫婦仲。
煕子は、光秀が織田信長に仕える前から嫁いでいるので、光秀の浪人時代も知っています。
戦に敗れ、城を追われた時にも、光秀は身籠っていた煕子を背負っての逃避行だったと言われています。
また、煕子は自身の髪の毛を売って、お金に困った光秀を助けたりしています。
苦楽を共にしてきた絆もあったに違いありません。
辛い時もあったかもしれませんが、光秀に一途に愛され固い絆で結ばれていた煕子は、きっと幸せだったと想います。
そして、本能寺の変の6年前に他界している煕子。
最愛の夫が起こした歴史を変える大事件。
そして、羽柴秀吉に敗れての大没落。
本能寺の変からわずか11日間で亡くなった夫の運命。
最愛の夫の暴挙と悲運。
この事実を知らずに済んだことは、煕子とって幸せなことだったのかもしれません。
明智光秀のお墓は、西教寺というお寺にあります。
西教寺は、煕子の実家 妻木氏の菩提寺でもあります。
光秀に愛された煕子は、夫のお墓がある西教寺の一角で、今もひっそりと眠っています。
まとめ
以上、明智光秀の妻 煕子の最期でした。
生前も、亡くなった後も、煕子は幸せだったのかなと想います。
他にも、明智光秀の性格や人物像、本能寺の変についてなどの記事を扱っています。
ここを見れば『明智光秀』と、その妻『妻木煕子』のすべてが分かる!
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【明智光秀&妻木煕子 大特集】
では、今回はこの辺で!
ありがとうございました。