1番簡単に解説!明智光秀と煕子の子供の名前は?息子と娘は何人?

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戦国時代と戦国武将

ご来訪ありがとうございます。

拓麻呂です。

 

戦国時代でも指折りのオシドリ夫婦として知られる『明智光秀』と『妻木煕子(ひろこ)』

その夫婦仲の良さとは裏腹に、二人の間にはどんな子供たちがいたのかは意外と知られていません。

 

謎が多く、様々な説が錯綜している光秀の子供たち。

細々と説明していると、かなりややこしくなってくるので、本記事ではどこよりも簡単に解説することを心掛け、記事にしています。

 

謎に包まれた明智光秀と妻木煕子の子供たちをご紹介します。

 

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明智光秀と妻木煕子の子供たち

何人の子供がいたのか?

光秀と煕子の間には、三男四女の子供がいたと言われています。

しかし、光秀の子供の数には異説もあり、六男七女だったとも言われています。

本記事では、『明智軍記』の記述を元に、一般的に言われている三男四女説を採用しています。

 

なお、六男七女という説に関する詳細はコチラをご覧ください。

閲覧注意!明智光秀と煕子のオシドリ夫婦のイメージを覆す真実とは?
...

 

長男:明智光慶(あけち みつよし)

光秀と煕子の長男坊。

男児の中では、実在が確実視されている人物です。

逆に言うと、光慶以外の男児は素性がハッキリしません。

 

生年は不明ですが、永禄12年(1569年)という説もあります。

本能寺の変の後、間もなくして病で亡くなったとも、明智秀満とともに坂本城に籠城し羽柴秀吉に抵抗するも、落城時に切腹したとも言われています。

 

どちらの場合も、天正10年(1582年)が没年と言うことになるので、1569年の生まれとすると、享年14。

少し若すぎる気がするので、やはり生年は不詳とした方が良いでしょう。

 

一方で、出家して生存していたという説もあります。

 

次男:明智光泰(あけち みつやす)

光秀の次男坊。

幼名を『自然(じねん)』と言います。

生没年ともに定かではありませんが、本能寺の変後に明智秀満や兄の光慶らと、坂本城に籠城。

羽柴秀吉に抵抗したものの、落城時に自刃したと言われています。

 

三男:乙寿丸(おとじゅまる)

『乙寿丸』は幼名と思われ、元服前に亡くなっている可能性があります。

乙寿丸という子供が存在した可能性がある、という程度であり実像は謎に包まれています。

 

長女:お倫(おさと)

『倫(さと)』という名前で知られていますが、正確な名前は伝わっていません。

 

最初、摂津の有岡城主 荒木村重の息子(荒木村次)に嫁ぎますが、村重が謀反を起こしたために離縁させられてしまいます。

その後、光秀の重臣『秀満』に嫁ぎました。

光秀の重臣 明智秀満!馬に乗って琵琶湖を渡る伝説の湖水渡りとは
...

 

山崎の戦いの後、光秀自害の報を受けると、夫の明智秀満とともに坂本城に籠城。

羽柴秀吉に抵抗しましたが、負けを覚悟した秀満は、倫を含む一族もろとも自害して果てたと伝わっています。

 

壮絶な最期を遂げた女性でした。

 

次女:名前不詳

光秀のいとこで、明智五宿老の一人に数えられる『明智光忠』に嫁いだ女性。

名前は分かっていません。

 

その最期は分かっていませんが、山崎の戦いの後、夫の光忠が明智秀満らと自害しているので、この時に長女とともに亡くなったと思われます。

 

三女:明智玉子(細川ガラシャ)

明智光秀の子供の中では、最も有名な人物。

細川忠興の妻。

忠興は狂信的なほど、ガラシャを愛したと伝わっています。

細川忠興のガラシャ夫婦のエピソード!妻を愛しすぎた武将の性格とは
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元は『玉子』(玉、珠、珠子とも)という名前でしたが、キリスト教へ入信し『ガラシャ』という洗礼名を授かりました。

 

本能寺の変によって、幽閉生活を余儀なくされ、やや父を恨んでいた節があります。

本能寺の変がガラシャに与えた影響や、その壮絶な最期などは、コチラの記事でお伝えしています。

細川ガラシャ(明智玉子)と本能寺の変!そして壮絶な最期とは?
...

 

四女:名前不詳

織田信長の弟(織田信勝)の息子『津田信澄』に嫁いだのが、光秀の四女。

名前は伝わっていません。

 

津田信澄は、本能寺の変が起こる直前、信長の三男 信孝に従い四国の長宗我部元親を攻める予定でした。

しかし、変が起こったことで、光秀の娘を妻にしていた信澄は、明智方への裏切りを疑われ処刑されてしまいました。

なお、信澄が光秀に内通していた証拠はありません。

 

夫が冤罪により処刑された後の、彼女の動向は分かっていません。

 

悲運だった光秀の子供たち

以上が、明智光秀と煕子の子供たちです。

詳細が分からない三男を除き、全ての子供たちが本能寺の変のとばっちりを受けています。

 

長男→自害

次男→自害

三男→不明

長女→自害

次女→自害と思われる

三女→幽閉

四女→夫が処刑される

 

という、惨憺たる状況です。

 

本能寺の変が光秀のみならず、子供たち経ちへも多大な悪影響を与えたことは間違いありません。

本能寺の変の動機には、様々な説が唱えられていますが、光秀父子の運命を大きく歪めてしまったことを想うと、謀反に臨む光秀の心中が、より憐れみを帯びてきます。

 

今風の言葉で言えば、完全に家庭崩壊です。

唯一の救いは、煕子がすでに世を去っており、子供たちの悲劇を見ずに済んだということくらいでしょうか・・・。

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まとめ

以上、光秀と煕子の子供たちでした。

 

  • 長男:明智光慶
  • 次男:明智光泰(自然)
  • 三男:乙寿丸
  • 長女:倫(明智秀満の妻)
  • 次女:名前不明(明智光忠の妻)
  • 三女:玉子(細川忠興の妻)※細川ガラシャ
  • 四女:名前不明(津田信澄の妻)

ということになるのでした。

 

他にも、明智光秀の性格や人物像、本能寺の変についてなどの記事を扱っています。

ここを見れば『明智光秀』と、その妻『妻木煕子』のすべてが分かる!

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では、今回はこの辺で!

ありがとうございました。