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拓麻呂です。
明智光秀と妻木煕子の娘『明智玉子(明智珠子)』。
後の『細川ガラシャ』です。
キリシタンとしても有名な彼女。
父 光秀が起こした本能寺の変の直後、彼女はどのような状況にあったのか?
そして、キリシタンであったが故の悲劇的なガラシャの最期とは?
プライド高き悲劇の女性、細川ガラシャの最期の瞬間に迫ってみたいと思います。
なお、ガラシャの本名は『玉子』であり、ガラシャと名乗ったのは本能寺の変後です。
しかしながら、煩雑さを避けるため本記事では『ガラシャ』の表記で統一します。
謀反人の娘 細川ガラシャ
本能寺の変直後のガラシャ
父の明智光秀が起こした本能寺の変。
この時、ガラシャは20歳で、すでに細川忠興に嫁いでいました。
なお、忠興はかなり嫉妬深い性格だったようで、ガラシャを相当愛していたようですが、夫婦仲は概ね良好だったと伝わっています。
ともかくも、実の父が起こした大事件。
娘のガラシャに、なんの影響もないはずがありません。
光秀は山崎の戦いで羽柴秀吉に敗れ、敗走中に落ち武者狩りに襲われ自害。
ガラシャは『謀反人の娘』という不名誉なレッテルを貼られてしまいます。
ガラシャの夫 忠興は、自領の山奥にガラシャを幽閉。
ガラシャ本人にしてみれば、かなりの苦行であったと思われます。
しかし、見方によってはガラシャの身を守るためとも考えされ、ある意味、忠興の愛が感じられると言えなくもありません。
この時に、ガラシャを支えたのが『清原マリア』という侍女で、後にガラシャがキリシタンへ改宗した際に洗礼を授けた女性です。
なお、光秀は織田信長を自害に追い込み、山崎の戦いで敗れるまでの間に、ガラシャは恨みの手紙を父宛てにしたためています。
父上の腹黒いお心のせいで、私は夫の忠興に捨てられてしまいました・・・。
光秀の謀反で自身の立場が危なくなったことへの恨み節が強いですが、忠興を愛していたからこそ、このような手紙をしたためたのかもしれません。
一説によると、この時ガラシャは自害しようとしたそうですが、子供が幼かったので思いとどまったと言われています。
ガラシャの2年も幽閉され、ようやく秀吉に許され忠興との復縁が許されました。
屈辱の2年間であったことは間違いないでしょう。
ガラシャの最期
1600年に起こった関ケ原の戦い。
日本全国を巻き込んだこの合戦に至る政争の最中、ガラシャは壮絶な最後を迎えることになります。
豊臣秀吉亡き後の権力争いで、石田三成と徳川家康が対立。
そんな中、ガラシャの夫である忠興は徳川家康に味方します。
対立する石田三成は、家康に味方した武将たちの妻を人質に取る作戦にでました。
当然、ガラシャも人質の対象となりました。
しかし、ガラシャは人質となることを断固拒否し、屋敷から一歩も出ようとしません。
しびれを切らした三成は、忠興不在の隙を突いて、兵を差し向けガラシャの屋敷を取り囲みました。
それでもガラシャは人質となることを拒み続けました。
もはや逃げられぬことを悟ったガラシャ。
人質となるしか生き延びる道はありません。
しかし、ガラシャはその道を選びませんでした。
彼女が選んだ道、それは唯一絶対の神の元へ帰る道。
キリスト教を信仰していたガラシャは、天国へ向かう道を選びました。
しかし、キリストの教えでは、自ら命を絶つことを禁じられています。
腹を切る事が出来ないガラシャは、家臣に命じ自らの胸を刀で突かせました。
享年37
明智家の娘として、細川家の正妻として、キリストの教えを守る熱き信仰者として、誇り高きプライドを最後まで示し続けた細川ガラシャは、赤々と燃え盛る炎の中でその短い生涯を閉じました。
そんな細川ガラシャが、最後に残した辞世の句。
この詩が、彼女の覚悟と想いを後世に伝えてくれます。
花であれ、人であれ、散り時を心得てこそ美しいもの・・・そのような意味が込められています。
散りぬべき 時知りてこそ 世の中の
花も花なれ 人も人なれ
ガラシャの人生
ガラシャはまさに悲劇のヒロインでした。
父の謀反で幽閉生活を余儀なくされ、最後は家康と三成の争いに巻き込まれ、炎上する屋敷で亡くなりました。
本能寺の変による大きなトバッチリを受けた女性であり、後に関ケ原の戦いへと至る過程での最初の犠牲者でもあります。
関ヶ原の戦いで討死した者、自害した者、斬首になった者など、多くの武将が犠牲になりました。
しかし、その中でも最初の犠牲者が、細川ガラシャという女性であったことは忘れてはならないと思っています。
本能寺の変と関ケ原の戦い。
歴史を大きく動かした2つの事件の影で、一番の被害を被った人物。
それが細川ガラシャだったのではないかと想っています。
まさに、時代の流れの犠牲になった女性だったのです。
まとめ
以上、細川ガラシャの最期でした。
本能寺の変と関ヶ原の戦いのとばっちりを受けた女性。
戦国時代の中でも、お市と並ぶ悲劇的な女性と言えるのではないでしょうか。
ガラシャの父 明智光秀の性格や人物像、本能寺の変についてなどの記事を扱っています。
ここを見れば『明智光秀』と、その妻『妻木煕子』のすべてが分かる!
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では、今回はこの辺で!
ありがとうございました。