枕草子 九三段『無名といふ琵琶の御琴を』簡単解説!定子サロンが華やかな理由

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『清少納言に恋した男』拓麻呂でございます。

今からおよそ千年前に書かれた古典『枕草子』。作者は宮廷にお仕えした女性『清少納言』

この清少納言がお仕えしていたのが、天皇の中宮(皇后)である定子様

世界最古の女流随筆集と言われる枕草子には、清少納言と定子様の軽快で楽しいやりとりが、いくつも書き残されています。

今回のテーマはそんな定子様が見せた、宮廷生活での意外な一コマ。

宮廷生活と言うと、厳粛で何となく堅苦しいイメージがあります。まぁ確かにそうなのですが、この定子様は知的なダジャレを呟く、ユーモアの持ち主であり、彼女の築き上げた王朝サロンは、冗談の通じる和やかなものだったようです。これこそが、定子様サロンの華やかさの本質なのです。

古文? 品詞分解? 歴史的仮名遣い?

そんな専門知識が無くたって『枕草子』は楽しめる!!

では、中宮定子様を中心とした王朝サロンの、意外な一面を見ていく事にしましょう。

なお、原文と現代語訳のみを知りたい方はこちらをご覧ください。

枕草子 九三段『無名といふ琵琶の御琴を』【現代語訳と原文】
平安時代中期に書かれた枕草子。作者は清少納言。 今回は、枕草子九三段『無名といふ琵琶の御琴を』。この章段は、清少納言が...

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~楽しい冗談が飛び交う定子様の後宮サロン~

『無名』という琴をダジャレにした定子様

宮廷での、ある日の出来事。

定子様の夫である一条天皇が名(むみょう)】と言う名前の琴を持ってきました。

清少納言たち女房(定子様に仕える女性たち)は珍しがって、弾けもしないのに【無名】をいじくり回して遊んでいます。

【無名】をおもちゃにしている清少納言は定子様に問いかけます。

『中宮様、このお琴の名前は何と言うのでしょう?』

定子様は答えます。

『それはね、つまらない物なので名前なんか無いのですよ』

本当は琴の名称を知っていた定子様。あえて【無名】という名前に引っ掛けて「名前は無い」と冗談を言ったのです。

この回答の意味を知った清少納言は、枕草子の中でこんな感想を述べています。原文だと言葉足らずな感があるので、少し言葉を足しておきます。

「(中宮様のお答えは)何と言っても(知的で)素晴らしいと思った」。

『いなかへ(え)じ』という笛をダジャレにした定子様

宮廷での、ある日の出来事。

定子様の元に妹の『淑景舎(しげいしゃ)』様が訪ねてきました。(なお淑景舎とは通称であり、定子様の妹が淑景舎と言われる御所の一角にお住まいだったことから『淑景舎』様と呼ばれていました。本名は原子(げんし)と言います)

淑景舎様は定子様とご雑談なさっています。そんな雑談の中で淑景舎様はおっしゃいました。

『私のところに大層立派な笛があります。父から賜ったものです』

なお、この雑談の時、傍らに隆円と言う定子様の弟にあたる僧侶がいたようです。枕草子では淑景舎の発言のあと突然、この隆円が喋りだします。

『その笛を是非とも、この隆円に譲ってくださらぬか?私も立派な琴を持っておりますので、それと交換しましょう』

ところが淑景舎様は耳も貸さず、定子様と別の話題を話し始めました。隆円は無視された訳ですが、諦めきれずに何度も淑景舎様に話しかけます。しかし全く相手にされません。

そんな淑景舎と隆円のやり取りを見ていた定子様が、ふと呟きました。

『(淑景舎は)いな、換えじ、と思っていらっしゃるのに・・・』※『いな、換えじ』とは、『嫌です、取り換えません』という意味。

これは、どういう意味かと言いますと、定子様の旦那様である一条天皇の所有物の中に『いなかへじ』という笛があったようです。その笛の名『いなかへじ』と淑景舎の心の内を掛けて『いな、換えじ(取り換えません)』と冗談まじりに言ったのです。

なお、この淑景舎と隆円、定子様のやり取りに清少納言は登場しません。しかし彼女は傍らでこの様子を見ていたようです。その証拠に清少納言は、この時の定子様の様子をこう評しています。

「(あの時、いな換えじと言った定子様の)才気溢れる感じと言ったら、それはもう素晴らしかった」。

~枕草子から見えてくる定子様の性格~

このように中宮定子様は、ちょっと知的な冗談(ダジャレ)を言う女性だったようです。

これは案外重要な事です。枕草子が伝える定子様の周辺は、いつも、にこやかな雰囲気が漂っています。

これは定子様のちょっとした冗談を言う軽口な性格が、少なからず影響しているのではないでしょうか。ここに定子サロンの華やかさがあると言えます。

後の紫式部と彰子様、あるいは御堂関白 藤原道長はこの『定子サロン』の華やかさに憧れ、それを目指し、そして超えるべき壁として意識し続けていたと言われています。

このエピソードが示す通り定子の持つ天性の明るさと、冗談好きな性格によって、定子の王朝サロンは後に目標とされるような、実に華やかで明るく楽しいものとなっていったのではないでしょうか。

また、定子様の父である『藤原道隆』の影響もあったように思われます。道隆は大変な美男子でプレイボーイ、ちょっと軽いところがある男性だったと伝わっています。

やはり、華やかで楽しい所には人が集まります。定子様が築いた後宮サロンは正にそれで、仕える女房たちと一緒に、常に笑いの絶えない空間を演出しました。

中宮定子を中心としたこの王朝サロンは、平安貴族の優雅で華やかな生活を現代人に届けてくれるとても貴重な存在なのです。

参考:枕草子 九三段『無名といふ琵琶の御琴を』より

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何故、定子様は楽器の名前に詳しかったのか?

最後に何故定子様が、『無名』や『いなかへじ』という楽器の名前を知っていたのか説明いたします。

鎌倉時代前期に成立した『禁秘抄(きんぴしょう)』という書物によると、清涼殿(天皇がお住まいの所)の一角には琵琶や琴、笛が飾られていたようです。定子様もこの飾られた楽器を目にしており、名前を知る機会があったのかもしれません。(なお枕草子の時代は、禁秘抄が書かれた時代より二百年ちょっと前です)

また、この時代、琴などの楽器は女性の教養とされていました。

このような事から、定子様は楽器の名前を知っていたのではないでしょうか。

もっと枕草子の世界を覗いてみたい方は、こちらからお好みの記事をご覧ください。

春はあけぼの!枕草子WEB辞典【清少納言と中宮定子の世界】
ご来訪ありがとうございます。 『清少納言に恋した男』拓麻呂でございます。 このページは、枕草子WEB辞典です。内...

では、今回はこの辺で!ありがとうございました。

原文はこの後です。

【原文】 枕草子 八九段『無名といふ琵琶の御琴を』

無名と言ふ琵琶の御琴を、上の持て渡らせたまへるに、見などしてかき鳴らしなどいへば、弾くにはあらで、緒などを手まさぐりにして、

『これが名よ、いかにとか』

と聞えさするに、

『ただいとはかなく、名も無し』

と、のたまはせたるは、なほいとめでたしとこそ覚えしか。

淑景舎などわたり給ひて、御物語のついでに、

『まろが元に、いとをかしげなる笙の笛こそあれ。故殿の得させたまへりし』

とのたまふを、僧都の君、

『それは隆円に賜へ。おのが元に、めでたき琴はべり。それにかへさせ給へ』

と申し給ふを、聞きも入れたまはで、異事をのたまふに、なほものもの給はねば、宮の御前の、

『いな、かへじ、とおぼしたるものを』

と、のたまはせたる御けしきの、いみじうをかしきことぞ限りなき。

この御笛の名を、僧都の君もえ知りたまはざりければ、ただうらめしうおぼいためる。これは、職の御曹司におはしまいしほどのことなめり。上の御前に、いなかへじと言ふ御笛も、さぶらふなり。

御前にさぶらふものは、御琴も御笛も、皆珍しき名つきてぞある。

玄上、牧馬、井手、渭橋、無名など。また和琴なども、朽目、塩釜、二貫などぞ聞ゆる。水竜、小水竜、宇多の法師、釘打、葉二、なにくれなど多く聞きしかど、忘れにけり。

『宜陽殿の一の棚に』といふ言くさは、頭の中将こそしたまひしか。

※読みやすさを考慮し、適宜改行しています。


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