【中国地方の覇者】毛利元就 主要家臣一覧!元就の野望列伝

ご来訪ありがとうございます。

拓麻呂です。

戦国時代を代表する超大物『毛利元就』

元就がわすが一代で、中国地方の大半を制覇するという偉業を支えた毛利家臣団。

そんな元就の主要な家臣一覧です。

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目次

元就の覇業を支えた男たち

毛利家一門

毛利元就 もうり もとなり(1497~1571)【一門】

出典:Wikipediaより

わずか一代で中国地方に覇を唱えた名将。

大内氏、尼子氏の二大勢力に挟まれながらも、巧みな情操操作で毛利家を守り抜きました。

1555年 厳島の戦いでは様々な謀略で、陶晴賢を翻弄。

約4倍の兵力差をひっくり返し、中国地方制覇へ一気に歩みを加速させていきます。

毛利元就の名言が示す恐ろしき謀略戦!厳島の戦いに見る事前準備の大切さ
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正室『妙玖(みょうきゅう)』との間に生まれた三人の息子は、いずれも戦国時代を代表する名将。

そんな息子たちに説いた有名な逸話が『三矢の訓』です。

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毛利隆元 もうり たかもと(1523~1563)【一門】

出典:Wikipediaより

元就の嫡男。

父の元就、弟の元春、隆景に隠れて、少々印象が薄い存在。

有能な父と弟に対し、とてつもないコンプレックスを持っていたことでも有名。

厳島の戦いに際しては、戦いを躊躇する元就を説き伏せたことで、陶晴賢との一戦を決意させます。

1563年に急逝。

元就は非常に悲しんだと伝わっています。

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吉川元春 きっかわ もとはる(1530~1586)【一門】

出典:Wikipediaより

元就の次男。

生涯負けなしの毛利家随一の猛将。

毛利両川(もうりりょうせん)の片翼。

秀吉嫌いでも有名。

幼いころに、山陰の国衆『吉川家』に養子に出されます。

元春が養子入りに際しての、元就による吉川家のっとりの謀略は、元就の恐ろしさが分かる一幕でもあります。

なお、吉川家は元就の正室『妙玖』の実家です。

尼子氏の本拠地 月山富田城(がっさんとだじょう)包囲中に太平記を書写。

『吉川太平記』として、現在でも太平記研究の重要な史料となっています。

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小早川隆景 こばやかわ たかかげ(1533~1597)【一門】

出典:Wikipediaより

元就の三男。

毛利両川(もうりりょうせん)の片翼。

毛利三兄弟の中で、元就の才能を最も受け継いだ人物と言われています。

なお、関ヶ原の戦いで西軍を裏切った小早川秀秋は、隆景の養子に当たります。

幼いころに、山陽の国衆『小早川家』の養子となります。

水軍を擁する小早川家を乗っ取り、隆景は毛利家の水軍を束ねる存在となります。

厳島の戦いでは、水軍を率い参戦。

陶晴賢の退路を断ちます。

朝鮮出兵では、碧蹄館の戦いの総大将を務め、日本軍の退路を確保する大活躍を見せました。

秀吉政権下では、秀吉からの信頼を得て、豊臣五大老に列せられます。

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宍戸隆家 ししど たかいえ(1523~1563)【一門】

元々は元就と争っていた国衆でしたが、元就の娘『五龍(ごりゅう)』を妻に迎えたことで、三兄弟に並び一門衆となります。

さらに五龍との間に生まれた娘は、元就の孫『輝元』の正室となります。

その後も、宍戸家は幕末まで毛利家の家老として、重用されていくこととなります。

毛利家家臣団

志道広良 しじ ひろよし(1467~1557)【譜代家臣】

毛利家の重臣。

元就の家督相続に尽力。

元就からの信頼は絶大なものだったと言われています。

元就の嫡男 隆元に『君は船、臣は水』の格言を残したことでも有名。

(主君は船、家臣は水、船は水が無ければ浮かぶことができない、家臣あっての主君である!という意味)

その最後は、当時としては異例の91歳での大往生でした。

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井上元兼 いのうえ もとかね(1486~1550)【譜代家臣】

譜代家臣の中でも、特に武勇の誉れ高き井上氏の一族。

元就が幼いころ、元兼の叔父に当たる『井上元盛』が、元就の領地を横領。

武勇を誇り、傲慢な態度が目立ったこともあり、1550年元就の命で、一族もろとも粛清されています。

桂元澄 かつら もとずみ(1500~1569)【譜代家臣】

元就の家督相続の際、父『広澄』が謀反の疑いで自害。

その関係を利用し、厳島の戦いでは、陶晴賢に偽りの内応を約束し、晴賢を油断させることに一役買っています。

(元澄の父は元就に自害させられたから、次の戦では元就を裏切り陶殿にお味方いたします、という偽の手紙を送っています)

厳島の戦い後は、厳島の支配責任者も務めました。

福原貞俊 ふくはら さだとし(1512~1593)【譜代家臣】

毛利家の最高幹部である四人衆の一人。

(他の3人は、吉川元春、小早川隆景、口羽通良)

主に、小早川隆景を補佐し、山陽方面で活躍しました。

口羽通良 くちば みちよし(1513~1582)【譜代家臣】

毛利家の最高幹部である四人衆の一人。

(他の3人は、吉川元春、小早川隆景、福原貞俊)

志道広良の弟。

主に、吉川元春を補佐し、山陰方面で活躍しました。

渡辺通 わたなべ かよう(?~1543)【譜代家臣】

平安時代の頼光四天王の一人『渡辺綱(わたなべのつな)』の末裔。

尼子氏の月山富田城攻めに失敗し、敗走する元就の身代わりとなって討死。

通の身代わりが無かったら、元就の人生はここで終わっていたかもしれません。

赤川元保 あかがわ もとやす(?~1567)【譜代家臣】

主に、毛利隆元の補佐を務めた人物。

隆元五奉行の一人。

隆元の急逝の責任を問われ蟄居の後、4年後に自害しました。

児玉就忠 こだま なりただ(1506~1562)【譜代家臣】

隆元五奉行の一人。

戦は苦手でしたが、元就が彼の人柄を気に入り重用されました。

元就と隆元の橋渡役として活躍。

国司元相 くにし もとすけ(1492~1591)【譜代家臣】

祖先は、南北朝時代のばさら大名『高師直(こうのもろなお)』。

隆元五奉行の一人。

尼子氏との郡山合戦では、34人もの首を取る大活躍。

武勇に優れ、時の将軍でもあり剣豪でもある『足利義輝』から『槍の鈴』の免許を与えられています。

なんと100歳の長命を保ちました。

粟屋元親 あわや もとちか(?~1561)【譜代家臣】

隆元五奉行の一人。

元就の主要な戦いには大抵参加しており、その武勇を発揮しました。

毛利家に従った主な国人衆

熊谷信直 くまがい のぶなお(1507~1593)【国衆】

源平合戦で活躍した『熊谷直実』の末裔。

娘は元就の次男『吉川元春』の妻。

この娘は容姿がイマイチでしたが、元春が妻として迎えてくれたことに感謝し、以降元春に従い各地を転戦しました。

天野隆重 あまの たかしげ(1503~1584)【国衆】

元は大内氏に属していましたが、後に元就に従属。

妻は毛利四人衆の一人『福原貞俊』の妹。

『山中鹿介(やまなか しかのすけ)』が尼子再興を掲げ蜂起した際には、これを撃破。

武勇に優れた人物でした。

平賀広相 ひらが ひろすけ(1528~1567)【国衆】

平賀氏の家督争いに元就が介入し、広相を当主に据えたことで関係が強化され、元就に従うことになります。

厳島の戦いの前年には、陶晴賢の使者を捕縛するなどして活躍しました。

三吉隆亮 みよし たかすけ(?~?)【国衆】

三吉氏は藤原家の末裔とも言われています。

元々は宍戸氏と共に元就と敵対してましたが、後に従属。

三吉氏からは元就の側室(隆亮の妹とも言われる)も輩出しています。

阿曽沼広秀 あそぬま ひろひで(?~?)【国衆】

阿曽沼氏は、平将門を撃破した『藤原秀郷(ふじわらのひでさと)』の末裔。

厳島の戦いにも従軍し、元就の覇業に貢献しました。

和智誠春 わち まさはる(?~1569)【国衆】

備後国の国衆。

元就の嫡男 隆元を饗応した直後に彼が急逝。

隆元に毒を持ったと疑われ処刑されました。

しかし、これは元就が悲しみのあまり錯乱状態となっており、誠春は無実だったと言われています。

市川経好 いちかわ つねよし(1520~1584)【国衆】

元春が養子に入った吉川家の人物。

元春の養子入り(と言うか元就の吉川家乗っ取り)に尽力。

後年、大内家の残党が蜂起した際、出陣中だった経好に代わって、彼の妻が居城を守り抜きました。

水軍

児玉就方 こだま なりかた(1513~1586)【毛利水軍】

児玉就忠の弟。

兄 就忠の推挙で元就に仕えます。

毛利水軍を率い各地の海を転戦しました。

乃美宗勝 のみ むねかつ(1527~1592)【小早川水軍】

出典:Wikipediaより

厳密には小早川隆景の家臣ですが、重要な役割を果たした人物なのでここに入れました。

浦宗勝の名でも知られています。

厳島の戦いに際し、独立状態にあった村上水軍を毛利に引き入れる為に尽力。

宗勝は『1日だけ毛利に味方してほしい』と村上水軍に嘆願。

この言葉に毛利の覚悟を感じた村上水軍は、元就陣営として厳島に参戦。

陶晴賢陣営の船をことごとく撃沈し退路を断つなど、八面六臂の大活躍を見せ、元就の大勝利に大きく貢献。

厳島の戦いに参戦した村上水軍!毛利元就の決意に味方した海の男たち
毛利元就が歴史の表舞台へ躍り出るキッカケとなった重要な合戦『厳島の戦い』。この戦いに元就が勝利した要因のひとつに『水軍』の存在があります。その水軍とは瀬戸内海を牛耳る『村上水軍』。村上水軍は圧倒的不利な毛利軍に何故、味方したのか?軍記物に記された村上水軍の動向に迫ってみましょう。

その後も、小早川隆景に従い各地を転戦しました。

村上武吉 むらかみ たけよし(1533~1604)【村上水軍】

瀬戸内海の能島(のしま)を拠点としたことから『能島武吉』とも呼ばれます。

一般的に戦国期の村上水軍の頭領と言えば、この人の印象が強いです。

宣教師ルイス・フロイスは武吉を『日本最大の海賊』と評しています。

厳島の戦いでは元就陣営として参戦し大活躍。

一時は毛利氏から離反し争うも、後に帰参。

織田信長の水軍と激突した『第一次木津川口の海戦』では、織田水軍を木っ端みじんに粉砕。(武吉の参戦を裏付ける史料はありませんが、立場的に参戦していた可能性は大きい)

瀬戸内海の激しい潮流で鍛え上げられた村上水軍の操船技術の前に、織田水軍は手も足も出なかったと言われています。

村上通康 むらかみ みちやす(1527~1592)【村上水軍】

瀬戸内海の来島(くるしま)を拠点としたことから『来島通康』とも呼ばれます。

(当時、通康自身は来島を名乗ったことは無いそうです)

村上武吉同様、厳島の戦いでは元就の勝利に大きく貢献しました。

なお、来島水軍は後に織田信長に寝返っています。

村上吉充 むらかみ よしみつ(?~?)【村上水軍】

拠点は瀬戸内海の因島(いんのしま)。

能島、来島と違い、先代から毛利氏、小早川氏とは親密で、早い段階から毛利水軍の一員として活躍していました。

村上武吉同様、厳島の戦いでは元就の勝利に大きく貢献しました。

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元就が中国地方の覇者たる理由

以上、毛利元就の主要家臣団でした。

元就は戦国時代を代表する人物です。

彼が築いた領土は、一代で広げた版図としては、戦国時代最大を誇ります。

織田信長や武田信玄は、先代が築いた地盤があったことを考えると、小さな国衆からスタートした元就は、ある意味、最も結果を残した戦国大名とも言えるかもしれません。

そんな元就の覇業を共に支えた毛利家臣団。

1本の矢では簡単に折れてしまう矢も、3本に束ねたからこそ・・・いや毛利家臣団と同数束ねたからこそ、毛利の広大な領地はきずけたのかもしれませんね!

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では、今回はこの辺で!

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