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拓麻呂です!
中国地方の覇者『毛利元就』
彼の有名なエピソード『三本の矢の教え』
今回はこのエピソードが物語る毛利元就の性格や人間性の真実をお伝えします。
『三本の矢の教え』は嘘か真か?
そこから一歩踏み込んだ歴史の見方で、毛利元就と言う英雄の人物像を迫ってみることにしましょう!
毛利元就『三矢の訓』
三本の矢の教えはとは?
まずは『三本の矢の教え』の内容を簡単に振り返ってみましょう。
臨終の床にある毛利元就は、三人の息子を枕元に呼び集めました。
元就の呼びかけに応じ、集合する毛利隆元、吉川元春、小早川隆景の三兄弟。
元就は、一本の矢を息子たちに手渡し、その矢を折らせます。
すると息子たちは簡単に矢を折ってしまいました。
元就は、次に三本の矢を息子たちに手渡し、先ほどと同じようにその矢を折らせます。
すると、三本に束ねた矢は折る事が出来ませんでした。
その様子を見た元就は、息子たちに次のような言葉を掛けました。
『一本では簡単に折れる矢も三本に束ねれば折れることは無い』
『お前たち兄弟もその矢のように一丸となり力を合わせれば、毛利は決して負ける事は無い』
三本の矢の教えは史実なのか?
これが有名な『三本の矢』の逸話ですが、これは後世の創作だと言われています。
実際、元就より先に長男の隆元は亡くなっていますし、次男の吉川元春は戦に出ていた為、元就を看取ることが出来なかったそうです。
この逸話の出どころは諸説ありますが、嘘か真かで言えば『嘘』という事になります。
つまり史実ではない!というのが現在の共通見解になります。
しかし、これで終わってはいけないのです!
『へぇ・・嘘なんだね』
これだけでは歴史を知ったことにはなりません。
史実を知るだけなら、日本史の教科書を読み返せば良いのです。
では、あと一歩踏み込んで『三本の矢の教え』を見てみましょう。
三子教訓状の存在
元就が息子たちに残した三子教訓状(さんしきょうくんじょう)という手紙が現存しています。
これが『三本の矢の教え』の元ネタだと言われています。
とんでもなく長い手紙なので、ここでは重要なポイントを抜粋して、その内容を見てみましょう。
・何度も繰り返して申すことだが、毛利の苗字を末代まで廃れぬように心がけよ。
・元春と隆景はそれぞれ他家を継いでいるが、毛利の二字を疎かにしてはならぬし、毛利を忘れることがあっては、全くもって正しからざることである。
・改めて述べるまでもないことだが、三人の間柄が少しでも分け隔てがあってはならぬ。そんなことがあれば三人とも滅亡すると思え。
・この教えは、孫の代までも心にとめて守ってもらいたいものである。そうすれば、毛利・吉川・小早川の三家は何代でも続く。
このように、元就は三兄弟の結束を強く訴えていることが分かります。
なぜ元就が息子たちに宛てて、これ程まで結束を訴えかけていたのかには明確な理由があります。
次男の元春は吉川家の養子に、三男の隆景は小早川家の養子になり、それぞれの当主になっています。
そのため元春と隆景は、吉川家、小早川家を優先し毛利家をないがしろにしていた時期があったようです。
そんな状況だった為、長男の隆元が『弟たちが僕を無視している・・』と愚痴をこぼしている手紙も残されています。
このように仲違いする三兄弟を見るに見かねた元就が、説教交じりに彼らを諭した手紙が『三子教訓状』です。
確かに三本の矢は登場しません。しかし、元就は『三本の矢の教え』と同じことを『三子教訓状』で言っているのです。
百万一心の精神
毛利元就を代表するエピソードに『百万一心(ひゃくまんいっしん)』があります。
元就の居城である吉田郡山城の改築をしている時、なぜか一部の工事がうまくいかず、何度も失敗していました。
『これは不吉な、何かの祟りではないか・・』
そう思った人々は人柱を捧げることを思いつきます。
人柱には一人の娘が選ばれました。
この娘は、若き日の元就が厳島神社の境内で倒れているのを見つけ、保護した娘でした。
娘は元就に命を救われたのです。
『恩人である元就様が城の改築で難儀している・・・』
今こそ御恩に報いる時と思った娘は、人柱になることを喜んで引き受けました。
それを聞いた元就は驚きます。
『民を人柱に捧げるなど、そんな馬鹿な話があるかっ!!領民あってこその領主であることを忘れるなっ!!』
人柱を止めさせた元就は、代わりにある石碑を建てさせます。
その石碑にはこう刻んでありました。
百万一心
この文字を縦書きにするとこうなります。
一日 一力 一心・・・
元就は百万一心の意味をこう説いています。
『一とは同じということ、つまり日を同じくし、力を同じくし、心を同じくする』
『皆が結束し、向かうべき方向を同じくすれば、どのような困難でも必ず乗り越えられるのだ』
歴史の真実
このように元就は『三子教訓状』や『百万一心』の逸話で『人が協力し合う事の大切さ』を何度も説いています。
『三本の矢の教え』は史実でなくとも、元就は同じ事を言っています。
『三本の矢の教え』が史実ではない、嘘だったと言うのは簡単です。
しかし、それだけでは毛利元就の人間性や性格は見えてきません。
歴史とは史実であるかどうか、それだけを見るとその人物の真実を見落とします。
聖徳太子はいなかった・・・
足利義政はダメ将軍だった・・・
本能寺の変には黒幕がいた・・・
歴史には様々な説が存在します。
当然その中には史実ではないこともあるでしょう。
しかし、その歴史的出来事の中には必ず人が存在しています。
そして人には必ず心があります。
その心にこそ、歴史の真実が隠されています。
そこに真実があるからこそ、偉人たちの逸話は生まれ、後世に語り継がれているのです。
史実であるかどうかも、もちろん重要です。
しかし、そこからあと一歩踏み込むことで、その人物の心が見えてきます。
歴史上の人物とは言え、僕たちと同じ一人の人間です。
その行動には必ずその人物の『想い』があります。
歴史を見る時は、是非その人物の『想い』に迫ってみてください。
史実を追い求めるだけでは分からない人物像が、あなたの目にも見えてくるはずです。
謀略だけでは生き残れなかった戦国時代
以上が『三本の矢の教え』から見えてくる毛利元就の真実です。
毛利元就と言えば謀略をイメージする方も多いと思います。
確かに元就は数々の謀略でのし上がった人物です。
しかし、その根底には家臣や領民を想う大義、そして仁愛が必ずありました。
戦国時代とは謀略だけで勝ち残れるほど甘い時代ではありません。
単なる謀略家では人はついてきません。むしろ信用されません。
謀略を駆使するからこそ、大義名分が大事になります。
元就は謀略を使うからこそ、自身の家臣や領民には仁愛を持って接し、結束を説いていました。
最後にそんな元就の真実が伝わるエピソードで、今回の記事を終わりたいと思います。
ある合戦で元就の家臣が足に矢を受けました。
矢尻が足の中に残ってしまい、その家臣の命は風前の灯・・・
『こうなったら足を切断しましょう』
医者がこのように言うと元就は激高し、家臣の傷口を吸い始めました。
すると体内に残った矢尻は吸い出され、無事取り除くことが出来たのです。
元就の機転で足を失わずに済み、命を救われた家臣は元就にとても感謝しました。
彼は人生を賭して、元就への忠誠を誓います。
そんな家臣に対し、元就はこのような言葉を掛けたました。
『家臣の命を守る為、当然の事をしたまでだ』
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では、今回はこの辺で!ありがとうございました。