【越後の龍】上杉謙信 主要家臣団一覧!義に生きた武将たち

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拓麻呂です。

越後の龍と飛ばれる軍事の天才『上杉謙信』

武田信玄や北条氏康のライバルとして、関東から甲信越を舞台に戦った義の武将。

武田信玄を第四次川中島の戦いで翻弄し、北条氏康の小田原城を10万とも言われる軍勢で包囲、織田信長の北陸地方攻略を担った柴田勝家隊を少ない兵力で完膚なきまでに叩きのめすなど、その雄姿はまさに『毘沙門天の化身』。

そんな謙信を支えた武将たちの一覧です。

※なお、上杉謙信は名前が数回変わっていますが、煩雑さを避ける為、一般的に有名な『上杉謙信』で統一しています。

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目次

上杉謙信の覇業を支えた武将たち

上杉謙信の一門衆

上杉謙信 うえすぎ けんしん(長尾景虎)(1530~1578)

出典:Wikipediaより

言わずと知れた『越後の龍』

自らを毘沙門天の化身と称し、領土拡張を狙う武田信玄と北条氏康という両雄と壮絶な戦いを繰り広げた軍神。

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謙信、信玄、氏康が繰り広げた戦いは『関東三国志』と言われることもあります。

上記3名に今川義元を加えた関東~甲信越~静岡県東部あたりは、戦国時代屈指の強豪が揃った激戦区と言っても過言ではありません。

戦に臨む前は、毘沙門堂に籠ってひたすら戦略練り、いざ戦となればその戦略をいかに思惑通りに実行するかを楽しんでいるような、いわば戦争芸術家のような側面もあります。

有名な第四次川中島の戦いでは、武田信玄のキツツキ戦法を見破り、武田軍を窮地に陥れました。

また、織田信長の北陸方面軍(柴田勝家軍)と戦った手取川の戦いでは、圧倒的に少ない兵力で織田軍を圧倒。

謙信を恐れた信長は『洛中洛外図屏風』という立派な屏風を、謙信にプレゼントしたりもしています。

まさに『毘沙門天の化身』という異名が似合う人物です。

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生涯、妻を娶らなかったため、女性だったのでは?という説もあります。

女性かどうだったかはさておき、実子が居なかったため、謙信没後に『御舘の乱』という、家督争いをおこしてしまいました。

長尾晴景 ながお はるかげ(1509~1553)

謙信の兄。

厳密には、晴景が長男に当たるので長尾家(後の上杉家)の家督は晴景が継ぐはずでしたが、病弱だったため周囲から不安視されていました。

そんな中、晴景が権威を回復させようと、弟の謙信(景虎)に自身を侮る勢力を討伐させますが、それが返って謙信の信頼に繋がってしまいました。

結果、名誉回復が出来なかったばかりか、次男の謙信(景虎)が長尾家を継ぐことになったのです。

ある意味、かわいそうな人です。

長尾政景 ながお まさかげ(1526~1564)

↑右は妻の仙桃院

長尾家はいくつか分家がありますが、政景はその中の『上田長尾家』の出身。

謙信の義理の兄にあたる人物で、謙信の姉を娶りましたが、その姉が有名な『仙洞院(せんとういん)』。

謙信の後継者となる上杉景勝の母親です。

なので、政景は景勝の父親でもあります。

しかしながら、謙信に完全には従わなかったようで、謙信は家臣の『宇佐美定満』に命じ、政景を舟遊びに誘い、そこで政景は溺死に追い込まれます。

この時に、宇佐美定満は政景を道連れにしたため、定満も溺死しました。

上杉景勝 うえすぎ かげかつ(1555~1623)

謙信の後を継ぎ、上杉家の家督を相続した人物。

北条家より謙信の養子に入っていた『上杉景虎』と家督を争いました。

この騒乱を『御館の乱(おたてのらん)』と言い、景勝は見事勝利しました。

とても無口でほとんど笑顔を見せることが無かったと伝わっています。

秀吉政権下では『五大老』の一人に列せられ、政治の中枢を担いました。

景勝の配下には、愛の兜で有名な『直江兼続』がいます。

上杉景信 うえすぎ かげのぶ(1527~1578)

古志長尾家(こしながおけ)の当主。

古志長尾家は、謙信の母方の家です。

謙信の信任も厚く、一門衆の中でも筆頭クラス。

謙信没後に発生した家督争い『御館の乱(おたてのらん)』で景勝方に討ち取られ、古志長尾家は断絶しました。

上杉景虎 うえすぎ かげとら(1554~1579)

謙信の養子で、上杉景勝と家督争い(御館の乱)をした人物。

厳密には北条氏康の息子で、上杉と北条が手を結んだ『越相同盟』に際し、謙信の養子となりました。

謙信にはとても可愛がられたようですが、それが景勝には疎ましく見えたようで、謙信死後に家督争いとなってしまいます。

美男子であったと伝わっています。

上条政繁 じょうじょう まさしげ(1545~1643)

能登国守護の畠山家の出身で、後に上条家(じょうじょうけ)の養子となった人物。

上条家は上杉家の一門。

御館の乱では、景勝に味方しました。

後に直江兼続と不仲となったため、豊臣秀吉に寝返り。

さらに、豊臣家が危うくなった際には、徳川家康に寝返り。

巧みに主君をかえながら、99歳まで長生きました。

上杉謙信の家臣団

柿崎景家 かきざき かげいえ(1513~1675)【重臣】

謙信の父親(為景)の代から長尾家に仕えていた重臣中の重臣。

謙信家臣団を代表する人物。

厳密には、謙信を支えた国人の揚北衆。

合戦では常に先鋒を務めた猛将と伝わっています。

武田信玄と激突した第四次川中島合戦では、信玄の本陣に迫る大活躍を見せました。

後に織田信長との内通を疑われ処刑されたと言われていますが、ハッキリとした死因は判明していません。

直江景綱 なおえ かげつな(1509~1577)【重臣】

内政面で活躍した重臣。

若干、影が薄いですが、間接的に上杉家の行く末を決定づけた人物でもあります。

景綱の子供には男子が居なかったのですが、『お船』という娘がいました。

このお船が、晩年の謙信の看病をしており、その際に『跡目は景勝に・・』という遺言を聞いたと言います。

つまり、この証言が上杉景勝の大義名分となり、御館の乱が勃発します。

この、お船の婿となったのが直江兼続です。

直江兼続 なおえ かねつぐ(1560~1619)【重臣】

『愛』の兜で有名な人。

厳密には、謙信の家臣と言うより景勝の家臣。

景勝の右腕となり大活躍した人物で、徳川家康にイチャモンを付けられた際の返答『直江状』はあまりにも有名。

秀吉からも、その実力を認められ、引き抜かれそうになりましたが、景勝への忠義を忘れず、上杉家臣であることを守り続けました。

上杉家が、米沢30万石に減封された際、そのうち6万石を与えれられた事実からも、兼続が如何に評価されていたかが分かります。

ちなみに、兼続は義を重んじるために『愛』の兜をかぶっていたのではありません。

大河ドラマ『天地人』の兼続は、完全にフィクションです。

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宇佐美定満 うさみ さだみつ(1489~1564)

謙信の父『為景』の頃から、長尾家と敵対していましたが、後に謙信に使えることとなります。

謙信に反発していた長尾政景を舟遊びに誘い出し、身を挺し政景とともに溺死したと言われています。

定満が道連れにした長尾政景は、上杉景勝の実父であったため、宇佐美家は景勝政権下で冷遇されることになりました。

斎藤朝信 さいとう とものぶ(1527?~1592?)

『越後の鐘馗(えちごのしょうき)』の異名を持つ武将。

柿崎景家や北条高広とともに、謙信を支えた中心的人物です。

御館の乱では、上杉景勝を支持。

織田信長と激突した際には、老齢の身を押して魚津城を守備し、柴田勝家軍を撃破しました。

甘粕景持 あまかす かげもち(?~1604)

鎌倉幕府を滅ぼした新田義貞の末裔。

元々は、狩猟で生計を立てていましたが、謙信にその才能を認められ仕えることになったとも言われています。

第四次川中島の戦いでは、援軍に駆けつけた武田軍別動隊と激戦を繰り広げ、謙信軍の退却を支えました。

河田長親 かわだ ながちか(1545~1581)

長尾家の外交を担った名将。

北陸方面軍司令官に任命され、謙信の覇業に大きく貢献しました。

御館の乱では、最初は中立の立場を取っていましたが、最終的には景勝支持に回り、これが御館の乱の勝敗を決定付けたという見方もあります。

本庄実乃 ほんじょう さねより(1511?~1575?)

揚北衆の本庄繁長とは、別の一族です。

謙信の兄『晴景』が反乱を鎮圧する為、謙信を派遣した際に側近として活躍。

奉行に任命されており、軍事面よりは政治面で活躍した人物です。

北条高広 きたじょう たかひろ(1517?~1587?)

北条は『きたじょう』と読むので、小田原の北条氏とは別の一族です。

鎌倉幕府の政所を務めた『大江広元』の末裔で、中国地方の覇者『毛利元就』と同じ一族。

何度か謙信に背いたものの、その都度許されているので、案外謙信の信任が厚かったのかもしれません。

御館の乱では景勝と敵対し敗北。

その後は、上杉家を離れ、武田勝頼や滝川一益に仕えました。

北条景広 きたじょう かげひろ(1548~1579)

北条高広の息子。

謙信が残した家中の武将名簿で、一番が父の高広、二番に景広の名が記されていることからも、北条父子がいかに評価されていたかが分かります。

そんな実力者の景広でしたが、御館の乱で景勝と敵対し、命を落とします。

これが、上杉景虎陣営の敗北を決定づけたという見方もあります。

小島貞興 こじま さだおき(1522?~1582?)

別名『鬼小島弥太郎(おにこじま やたろう)』

伝説めいた逸話が多く残っているため、架空の人物なのでは?とも言われています。

武田家に使者として訪ね信玄に謁見した際、狂犬に噛まれたまま口上を述べた凄まじい根性の持ち主。

また、謙信上洛時に、凶暴な猿を持ち前の剛腕で懲らしめたというエピソードも残っています。

第四次川中島の戦いで負傷し、その傷が元で亡くなったと言われています。

本庄繁長 ほんじょう しげなが(1539~1613)【揚北衆】

謙信に従った国人衆。

家臣と言うよりは、独立した国人衆で武勇にも長けた猛将。

第四次川中島の戦いにも参戦しており、謙信の国人衆の序列では、No.2とされていたことからも、その剛勇ぶりが伝わってきます。

一時、謙信に背いて武田信玄に接近しますが失敗、再び謙信の元に戻りました。

所領が出羽国の南(現在の山県県)に近かったので、最上義光(もがみ よしあき)とも交戦しています。

御館の乱では上杉景勝を支持。

1600年、関ヶ原の戦いへの布石となる上杉征伐では、伊達政宗とも激突しています。

謙信に従った一国人衆で、決して有名な人物ではありませんが、武田信玄、伊達政宗、最上義光など、戦国時代を代表する大物ともやりあった豪傑です。

隠れた名将と言えるのではないでしょうか。

中条藤資 なかじょう ふじすけ(?~1568?)【揚北衆】

揚北衆のきっての実力者。

謙信の父『為景』には、味方したり敵対したりしていましたが、謙信が兄の『晴景』と当主の座を争った際に、謙信を支持。

この実績により、謙信から信頼され、国人衆の序列No.1とまりました。

新発田重家 しばた しげいえ(1547?~1587)【揚北衆】

謙信に仕えた揚北衆の一人。

御館の乱では景勝に味方するも、恩賞が不十分だったため、織田信長に寝返り。

7年間に渡り抵抗を続けましたが、最後は景勝軍の攻撃に屈し自害を遂げました。

安田長秀 やすだ ながひで(1516~1582)【揚北衆】

揚北衆で、柿崎景家と同族の人物。

第四次川中島に戦いでの活躍を認められ、謙信から血染めの感状を賜っています。

御館の乱では、景勝に味方しました。

色部勝長 いろべ かつなが(1493?~1568)【揚北衆】

揚北衆で本庄繁長と同族。

国人衆の序列では、本条家が2位、色部家は5位でした。

本庄繁長が反乱を起こした際、謙信に味方した為、後に色部家は序列2位に昇格しています。

水原親憲 すいばら ちかのり(1546~1616)【揚北衆】

揚北衆で柿崎景家と同族。

水原家の当主が、同じく揚北衆の新発田重家討伐の時に戦死したため、水原家を継承しました。

後に最上義光とも交戦。

さらに後には、大坂冬の陣にも徳川方として参戦しています。

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毘沙門天の化身と家臣たち

以上、上杉謙信の主要家臣団でした。

ライバルの武田信玄が、どちらかというと合議制のような政策をとっていたのに対し、謙信はワンマンな印象があります。

確かに謙信は、合戦前には毘沙門堂に立てこもって戦略を練り、如何に自分の作戦通りに合戦を展開するか?という部分に酔いしれていた節があります。

言い換えれば、戦争芸術家とでもいいましょうか。

それが、毘沙門天の化身と恐れられた謙信の実像です。

信玄の家臣たちは『武田二十四将』といったように、それぞれの家臣が有名で非常に人気があります。

一方の謙信は、本人がワンマン気質だったこともあり、一般的にそこまで有名な家臣がいません。

唯一の例外は、直江兼続かもしれませんが、彼は謙信の家臣と言うより、景勝の時代の人です。

なんですが、当然謙信1人で上杉家が成り立っていたわけではなく、その影には多くの家臣たちの活躍がありました。

そんな謙信の家臣たちにも、武田二十四将に負けない魅力的な武将たちが揃っています。

とくに、本庄繁長や斎藤朝信なんかは、隠れた名将です。

こういった、あまり日の当たらない名将を探してみるのも、戦後時代の面白さなのかなと思います。

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では、今回はこの辺で!

ありがとうございました。

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