朝倉義景は有能?無能?明智光秀の発言や関係から考察

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拓麻呂です。

越前の一乗谷城を本拠に、戦国時代に活躍した朝倉氏。

その朝倉氏の中でも、比較的有名なのが『朝倉義景』ではないでしょうか?

とは言え、朝倉義景はドラマなどでも、信長に負ける無能な大名として描かれることが多いです。

そんな義景は本当に無能だったのか?それも有能だったのか?

明智光秀の関係をなぞりながら、朝倉義景という武将を紐解いてみたいと思います。

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有能?無能?朝倉義景

明智光秀との関係

義景が無能とされる遠因は、足利義昭(室町幕府15代将軍)を奉じて上洛できるチャンスを、みすみす逃したことに起因します。

そのチャンスに至る経緯を確認しておきましょう。

まず、明智光秀の存在が重要になります。

光秀は、もともと美濃の斎藤氏に仕えていました。

その斎藤家で、親子の内紛が発生(長良川の戦い)。

光秀は、敗北した斎藤道三に味方していたと言われており、居城を追われ朝倉氏に身を寄せます。

その後に、京都を追われた足利義昭も、朝倉氏の元へ亡命してきました。

この辺のいきさつは、情報が錯綜しており、ハッキリしたことが分かりにくいのですが、ともかくも、光秀は足利義昭にとの接点が出来ました。

朝倉義景にとっては、この時こそ、京都に復帰したいと願い足利義昭を奉じて、上洛するチャンスだったわけです。

室町幕府は衰退したとは言え、義昭を復帰させれば幕府再興の立役者となり、その名が轟きます。

ですが、朝倉義景には全くその意思はなかったとされ、結局、足利義昭は織田信長を頼ることになります。

この時、足利義昭を信長に紹介したのが、明智光秀です。

(光秀は、信長の正妻『濃姫』の従弟と言う説もある)

その後、結果的に信長が義昭を奉じて室町幕府を再興させて、怒涛の勢いで勢力を拡大していきます。

その中で、朝倉氏も滅ぼされており、義景が無能と言われる原因となっています。

朝倉義景は無能だったのか?

この辺りの流れを経て、光秀は信長に仕えることになります。

腰が重い義景を見て、光秀は『義景は頼りにならないが、信長は頼りがいのある男』と感じていたという記録も有ります。

光秀も、義景を無能と感じていたようです。

確かに、戦国時代と言う混乱の時代を考慮すれば、無能だったような気もします。

ですが、朝倉義景を含む多くの戦国大名と呼ばれる人たちが、そこまで欲張って天下を目指していたのかと言うと、ちょっと疑問に感じます。

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特に義景の頃の朝倉氏は、越前(現在の福井県)を安定的に支配しており、無理に領土を拡大する意志が無かったとも考えられます。

足利義昭を奉じて上洛するとなれば、世間に注目され認められることにはなりますが、目立った分、不要な敵をつ作ることも考えられます。

現状で上手く行っているのなら、無理に欲張る必要は無い。

人間って環境の変化を嫌いますし、今のままで問題ない野良、現状維持を選んだとしても何ら不思議ではありません。

時代が変わると、常識や言葉、技術などは大きく変化しますが、人間の感情とか性質っていうのは、今も昔も変わっていないものです。

義景無能は戦国時代の錯覚が導いた

このように、義景は無能というのは、あくまで『戦国時代は大名たちが天下統一を目指していた時代』という錯覚を前提にしたものだと僕は思っています。

足利義昭を奉じて上洛しなかったことが『好機を逃した』と言っても、朝倉氏が現状に問題を抱えておらず十分な環境であれば、それは好機でもなんでもありません。

人間って、ある側面を見れば有能にもありますし、他の側面を見れば無能になることもあります。

僕は、義景が有能であったとも言いづらいですが、逆に無能であったとも言いづらいです。

しいて言うなら、有能でも無能でもなく、普通の感覚を持っていた人だと思っています。

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では、今回はこの辺で!

ありがとうございました。

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