ご来訪ありがとうございます。
拓麻呂です。
戦国時代の美人として、よく名前の挙がる『お市の方』(以下、お市)。
実際の容姿はどうだったのでしょうか?
個人的な解釈も交え、お市の容姿を考察してみたいと思います。
なお、この記事の考察を元に、3Dソフトを使ってお市の顔を復元してみた記事もあります。
↓その記事はコチラです↓
戦国No.1美女?お市の方
お市の肖像画
まずは、現存しているお市の肖像画を見てみましょう。
どうでしょうか?
現代の感覚からすると、あまり美人とは言えないような気がします。
ですが現実にこんな顔の人はいないと思いますし、特に日本の女性の肖像画ってだいたいこんな感じでデフォルメして描かれるものです。
実在したお市が、この肖像画通りの顔だったとは考えにくいので、もう少し深掘りしてみることにしましょう。
美形が多かった織田家
まず、お市の血縁関係を見ていきましょう。
お市の父は織田信秀、母は土田御前(どたごぜん)です。
そして、お市と言えば、織田信長の妹です。
※異説もありますが、ここでは通説に従います。
その信長ですが、実はとてもリアルな肖像画が残っています。
宣教師が描いたものとされているのですが、西洋の肖像画って非常に写実的なので、かなり特徴を捉えているのかもしれません。
どうでしょうか?
鼻筋の通った感じで、決して不細工ではないと思います。
(これを見る限り、教科書なんかに載っている信長の肖像画って、かなり特徴を捉えている気がします)
顔が似ていない兄弟もいるので一概には言えませんが、もしかしたらお市も鼻筋の通った美形であった可能性はあると思います。
一説によると、信長の家系は美男美女が多く、身長も高かったそうです。
当時の男性の平均身長が160くらいなのですが、信長の身長は160センチ後半だったとも言われているので、比較的大きい方です。
お市のハッキリした身長は分かっていませんが、結構大きかったという記録もあります。
総合すると、お市の容姿は、『戦国時代にしては高身長なモデル体系、顔も織田家の女性らしく美形だった』という可能性は大いにあり得ると思います。
悲劇のヒロインは美人が相場
『悲劇のヒロイン』
この肩書がついた女性って、何となく美人だったような印象を受けませんか?
↓この記事でも書きまいたが、日本人は悲劇的な最期を迎えた人物を好む傾向があります。
その影響もあり、悲劇のヒロインは美人という、勝手なイメージが先行しているのではないかと思われます。
そして、お市も戦国時代を代表する悲劇のヒロインです。
最初は浅井長政に嫁ぎますが、信長に攻められ長政は自害。
なおこの時に、お市と一緒に助けられたのが茶々(後の淀)、お初、お江の三姉妹です。
その後、柴田勝家に嫁ぐも秀吉に攻められ落城。
この時に、勝家と一緒にお市は自害しました。
つまり、兄の信長に攻められ、最後は信長の配下であった秀吉によって、その生涯を終えています。
戦国時代には、悲劇的な最期を遂げた女性も少なくありませんが、お市はネームバリューがあるので、その分、悲劇のヒロイン感が強い気がします。
まさに『悲劇のヒロイン』=『美人』っていう印象にピッタリな人物なのかなと思います。
まとめ
以上、本当にお市は美人だったのか?でした。
戦国時代と現代の美人像とか、人それぞれの美人の定義って一定ではありません。
なので、個人的な見解ですが、お市の容姿は・・・
悲劇のヒロインという部分が加味されている気がしつつも、織田家の娘だったことを考えると、整った容姿をしていた可能性は十分にあり得ると思います。
『火の無いところに煙は立たぬ』と言うように、優れた容姿でなかったのなら、戦国一の美女と言った肩書にはならなかったのかなとも思っています。
なお、この記事の考察を元に、3Dソフトを使ってお市の顔を復元してみました。
↓その記事はコチラです↓
織田信長の正室『お濃』の容姿を考察した記事はコチラです。
では、今回はこの辺で!
ありがとうございました。