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『今川家は再評価されるべき』拓麻呂です。
今川氏真(いまがわ うじざね)という戦国武将をご存知でしょうか?
2017年大河ドラマ『おんな城主直虎』にも登場しているので、最近知ったという方も多いのではないでしょうか?
氏真は桶狭間の戦いで織田信長に敗れた今川義元の息子です。
つまり義元亡き後の今川家当主になります。
氏真は先代が築いた、戦国時代屈指の大大名 今川家を滅ぼしたバカ殿と言われています。
しかし、氏真は本当にバカ殿だったのでしょうか?
今回は、僕が衝撃を受けた今川氏真の本当の歴史的評価、そして彼の真実に迫ってみたいと思います。
今川氏真の価値観
バカ殿 今川氏真
では、まず今川氏真なぜバカ殿と言われているのかをお伝えします。
彼の父は、駿河国や遠江国、三河国、現在の静岡県から愛知県東部に絶大な勢力を誇った今川義元です。
しかし父の義元は桶狭間の戦いで織田信長に敗れます。
そんな義元亡き後、今川家の当主となったのが、今回の主人公 今川氏真です。
氏真は今川家の当主になりましたが、父 義元の弔い合戦をする訳でもなく、和歌や蹴鞠などの貴族文化に興じていました。
そんな貴族文化に傾倒した今川家は、やがて近隣諸国の武田信玄や松平元康(後の徳川家康)らの侵攻を受け滅亡してしまいます。
東海地方に広大な領土を誇り、足利将軍家の血を受け継いだ名家 今川家は、氏真の代にあっけなく歴史の表舞台から消え去りました。
これが氏真がバカ殿と言われる所以です。
貴族文化に精通した氏真
前述の通り、氏真は武士の本懐を忘れ、貴族文化に傾倒していました。
日々、和歌を詠み、蹴鞠に興じ、宴を催していたと言われています。
その結果、武田や松平に攻められ滅亡してしまった。
これだけを見ると、氏真は確かにバカ殿かもしれません。
ところが氏真は貴族文化に傾倒したことで、荒々しい戦国時代を生き抜くことが出来た、という事実があります。
今川家の領土に攻め込んだ松平元康は、元々今川家に臣従していました。
しかし、氏真は松平家に降伏し生き延びています。
つまり、主従が逆転した訳ですが、これが氏真の英断でした。
この英断により、氏真は生き延び、今川家は細々と家を残すことが出来ました。
そして氏真は貴族文化への深い教養を買われ、家康の天下となった後も、幕府と朝廷の橋渡し役として活躍の場を与えられています。
戦国大名としての今川家は滅びましたが、歴史の陰で今川家はこっそりと家名を維持しているのです。
歴史を見る価値観
戦国時代に貴族文化にのめり込んだ武将は、バカ殿のレッテルを貼られることが多いです。
周防長門(現在の山口県)の大内義隆。
越前(現在の福井県)の朝倉義景。
そして今川氏真・・・。
少し時代を遡れば、室町幕府八代将軍 足利義政も同様です。
しかし、このレッテル貼りは、あまりにも一方的な歴史の見方と言わざるを得ません。
貴族文化に傾倒した人物をダメだとするのは、あくまで戦国武将としての価値観です。
氏真たちが本当に活躍できる場が戦国大名、あるいは将軍という場所ではなかっただけで、彼らにも本領を発揮する場所はあったのです。
それが、貴族文化・・つまり文化人としての居場所です。
忘れてはいけないのが、戦国武将とは言え、朝廷の権威には頼っています。
戦国時代であっても、朝廷から官位をもらい、自身の威厳、隣国に攻め込むための大義名分として朝廷は必要な存在でした。
その朝廷の文化が貴族文化であり、氏真たちは、そっちが本当の居場所だっただけなのです。
これは、現代社会でも同じです。
今、あなたが働いている場所は、本当にあなたの居場所でしょうか?
本当にあなたの力が発揮できる場所でしょうか?
自分が本当にいるべき場所にいる。
これが、ダメ将軍と言われている今川氏真の本当の評価と言えるのではないでしょうか。
歴史の考え方
今回の記事ですが、あるセミナーに参加した際に、とても共感したお話を元ネタにしています。
歴史には、様々な見方や考え方があり、どうしても共感できない歴史観は絶対に存在します。
僕の場合、歴史をテーマにした記事を書いていますので、このような共感できる歴史観を持つ方に教えを頂くことは、とても嬉しく思います。
歴史でなくとも、同じ価値観、共感できる考えを持つ方と一緒にいることは自信が前進していくためには、ものすごく大事な要素だと僕は考えています。
そんな方がいる場所こそが、本当のあなたの居場所なのかもしれません。
氏真の父『今川義元』の記事はコチラです。
では、今回はこの辺で!ありがとうございました。