明智光秀は天海なのか?天海説の真相と徳川家康との関係とは?

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戦国時代と戦国武将

ご来訪ありがとうございます。

拓麻呂です。

 

明智光秀は本能寺の変の後に、羽柴秀吉との戦い(山崎の戦い)に敗れ、逃げる途中で落ち武者狩りに襲われ亡くなりました。

これが一般的な歴史ですが、一方で光秀生存説も存在しています。

 

有名なのが『明智光秀=天海説』ですね。

 

しかしながら、これって本当なんでしょうか?

 

真相は闇の中ではありますが、歴史的背景を見ながら、天海説に対する個人的な見解をお伝えしてみたいと思います。

 

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明智光秀は南光坊天海なのか?

天海の人物像

天海は天台宗の僧侶とされています。

南光坊天海(なんこうぼう てんかい)とも呼ばれています。

 

その出生はハッキリしていないのですが、慶長年間あたりには徳川家の外交僧として活躍していたようです。

100歳を超えた長寿だったと言われており、徳川幕府三代将軍 家光の時代まで生きていたとされています。

 

実は、明智光秀は山崎の戦いの後も生き延びて、素性を隠しながら徳川家康に接近し、豊臣家への恨みを晴らそうとしていた。

これが天海だと言われています。

 

天海説の概要

天海説の根拠は以下の通りです。

  • 天海の出生や前半生があまり分かっていないこと
  • 家康が祀られる日光に『明智平』という地域があること
  • 光秀の孫が大阪の陣で豊臣方に味方したにも関わらず処罰されていないこと
  • 天海のお墓が、光秀の居城であった『坂本城』の近くにあること

 

そして、これらに加え、比叡山延暦寺に『慶長二十年二月十七日 奉寄進 願主光秀』と刻まれた石灯篭が残っています。

 

実は、天海は比叡山延暦寺の復興に尽力しています。

 

また、慶長二十年とは西暦だと1615年です。

一般的に光秀が亡くなったとされるのは天正10年、西暦にすると1582年です。

つまり、石灯篭に刻まれた年月日より何年も前に、光秀は亡くなっているはずなのですが・・・。

 

こういった理由から、明智光秀=天海説が唱えられています。

 

斎藤利三と春日局の存在

このように、様々な根拠がある訳ですが、個人的には憶測の域を出ていないと感じています。

 

では、何故このような説が出てきたのか?

という歴史的背景を考えて見ると、徳川家康と春日局の存在が影響しているのかなと感じます。

 

春日局は三代将軍 家光の乳母としてしられる有名な女性ですね。

そして、春日局の父親は『斎藤利三』という戦国武将です。

マイナーだけど明智光秀の盟友 斎藤利三!春日局や長宗我部との関係
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この斎藤利三は、明智光秀の重臣中の重臣。

光秀の右腕とも言える存在です。

 

そんな利三の娘が、徳川家の中枢で将軍後継者である家光の乳母を務めているわけです。

 

光秀は、本能寺の変で信長を自害に追い込んでいるので、普通に考えれば逆賊です。

当然、光秀周辺の人物も逆賊の仲間です。

 

この逆賊である光秀を滅ぼしたのが羽柴秀吉、後の豊臣秀吉です。

つまり、『織田信長&豊臣秀吉』VS『逆賊 明智光秀』という図式になります。

 

この図式に、徳川家康を当てはめてみるとどうなるのか?

ここが重要です。

 

家康は、一応信長と同盟関係でしたから、一見すると『織田信長&豊臣秀吉&徳川家康』VS『逆賊 明智光秀』となりそうですが、本能寺の変より後の歴史を見てみると、この図式が変わります。

 

慶長20年(1615年)大阪夏の陣。

この戦いで秀吉の遺児である秀頼、そして秀吉の側室である淀は、崩れ行く大坂城で自害して果てます。

 

この時、豊臣家を滅ぼしたのが徳川家康ですね。

この後に、徳川幕府の体制は盤石になっていくので、家康にしてみれば豊臣家が正義であってはならないわけです。

 

つまり、結果的には『織田信長&豊臣秀吉』VS『徳川家康&明智光秀』という図式になっているのです。

家康と光秀が、直接的な同盟関係で豊臣に対抗したわけではありませんが、『敵の敵は味方』の発想でいくと、最終的には家康と光秀の利害関係は一致しています。

 

このような背景があるので、明智光秀は家康にとって『親徳川』の立場になります。

 

光秀って時代をひっくり返すような謀反をやった割には、後世のイメージがそこまで悪くない気がします。

これは想像ですが、結果的に光秀が『親徳川』、『反豊臣、反織田』の立場になったことで、江戸時代を通して逆賊のイメージがそこまで強調されてこなかったことが影響しているのではないかと思っています。

 

その延長線上に、明智光秀=天海説があるのではないかと考えています。

 

『親徳川』の立場になった光秀が、時代を経るごとに話が飛躍していき、光秀=天海という説が出てきたのでは?

なんてことを想像しています。

 

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まとめ

以上、明智光秀=天海説についてでした。

 

かなり個人的な妄想ではありましたが、何かしらの歴史的背景が関係しているのは間違いないと面ます。

 

源義経とか真田幸村とか西郷隆盛にも生存説があるのと同じように、光秀=天海説も一種の歴史ロマンなのかなと思います。

 

個人的には、光秀=天海説否定派なのですが、歴史のロマンとしては面白いですし、こういった妄想を楽しめるのも歴史の懐の深さなのかなと思っています。

 

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では、今回はこの辺で!

ありがとうございました。