山本勘助が実在しない理由は無い!架空の人物ではない武田信玄の軍師

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拓麻呂です。

2007年に大河ドラマ『風林火山』の主役にも選ばれた山本勘助。

武田信玄に仕えた片目の天才軍師として後世に語り継がれる山本勘助。

第四次川中島の戦いで壮絶な最後を迎えた山本勘助。

そんな山本勘助は一昔前まで、実在しない架空の人物ではないか?という疑惑がありました。

しかし、新たな史料の発見により、どうやら実在していたらしいことが明らかになりつつあります。

今回は、山本勘助架空の人物説の根拠と、その曖昧さについて記事にしてみたいと思います。

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片目の天才軍師 山本勘助

実在が証明された山本勘助

まずは山本勘助の実在が証明された出来事を確認してみましょう。

昭和43年、北海道釧路市で見つかった史料に『山本管助』なる人物の名が書かれていたことが、勘助実在の根拠です。

この資料を『市川家文書』と言います。

しかし、この市川家文書の存在自体を偽書と捉える考えもあり、今だ架空説も根強く残っています。

そして、よくよく見てみると市川家文書に記された勘助の名は『山本管助』。

現代に伝えられる勘助は『山本勘助』。

字が違います。

これも実在を疑う理由です。

あるいは、実在は認めるが、武田信玄の軍師であったことは疑わしい・・と言った説も存在します。

甲陽軍鑑にしか登場しないから架空の人物

このように、実在を巡って様々な説が錯綜している山本勘助。

では、そもそも架空の人物とされた理由はなんだったのでしょうか?

ズバリ、一言で言います。

『甲陽軍鑑にしか登場しないから』

これが架空説の最も大きな根拠です。

『甲陽軍鑑』とは、武田流軍学の書とされており、起草者は信玄の寵臣『高坂弾正』とも言われています。

実際は『小幡景憲』という人物が書いたといった説もあります。

ともかくも、この『甲陽軍鑑』・・・

実は、その史料的価値を疑問視する声があります。

近年はその価値が見直されてきた感もありますが、まだまだ一級史料としての扱いには至っていません。

つまり、史料的価値に疑問が残る『甲陽軍鑑』にしか名前が見えないから、山本勘助は架空の人物である!というのが山本勘助架空説の根拠なのです。

勘助がいなかった事を証明する史料は?

市川文書が偽書かもしれないから山本勘助は実在しない。

甲陽軍鑑は史料的価値が疑わしいから山本勘助は実在しない。

このような理由で架空の人物と言われる山本勘助。

しかし、この考えはひとつ大切な事を忘れています。

それは、山本勘助の存在を否定する史料がない

つまり、架空の人物であることを証明する史料は何も無いのです。

これは大きな矛盾を抱えています。

市川文書や甲陽軍鑑の史料的価値を疑問視し、山本勘助の存在を否定しているにも関わらず、その存在が無かったことを証明する史料は全く考慮されていません。

勘助が生きたとされる戦国時代、そして甲陽軍鑑が書かれた江戸時代、そしてその後の時代・・・山本勘助を架空の人物とする史料、あるいはその存在を疑う史料は一切ありません。

『いた』と書かれている史料を疑うものの、『いない』と書かれた史料は何もない。

これが山本勘助架空の人物説の矛盾点です。

また『勘助』と『管助』の字が違うといった点。

当時の手紙などを見ると、名前の漢字が異なっているケースは珍しいことではありません。

いない事を証明するのは難しい

山本勘助は実在したのか、しなかったのか?

今だ謎に包まれた勘助の存在。

しかし、彼の存在が後世に語り継がれている裏側には、何かしらの『真実』が隠されているのではないでしょうか?

語り継がれる伝承には、必ずその元となる人物の性格、エピソードがあるはずです。

例え甲陽軍鑑の記述に誇張があったとしても、歴史の『真実』の中には山本勘助は確実に存在した。

片目の天才軍師 山本勘助。

川中島の戦いで壮絶な最後を遂げた勘助の人生には、歴史ファンを魅了する大切な『真実』が隠されているのです。

では、今回はこの辺で!

ありがとうございました。


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