明智光秀の妻として知られる『妻木煕子(つまき ひろこ)』。
光秀とはとても良好な夫婦仲だったと伝っていますが、彼女は一体どんな顔をしていたのでしょうか?
数少ない記録をもとにして妄想も含めながら、煕子が現代に生きていたらと仮定して、現在のデジタル技術を駆使し、3Dで煕子の複顔を試みます。
煕子の顔を3Dで復元
煕子の特徴① 顔の痘痕
残念ながら、煕子は肖像画が残されていません。
なので、限られた記録の中から、特徴を把握し妄想していかねばなりません。
煕子の顔の一番の特徴が確認できる、こんなエピソードが残されています。
煕子は光秀に嫁ぐ直前に、疱瘡(天然痘)という病にかかってしまいました。
疱瘡は、皮膚に疾患を起こす命に係わる病気で、例え治癒したとしても、患部に痘痕(あばた)が残ってしまいます。
煕子の病は幸いにも完治しましたが、左の頬に大きな痘痕(あばた)が残ってしまいました。
これから嫁入りするという時期にも関わらず、顔に大きな痘痕が出来てしまった煕子は、自らの姿を恥じ、輿入れに抵抗を感じていました。
しかし、光秀はそんなことは一切気にせず、煕子を妻に迎えたと伝わっています。
これは、光秀の器の大きさを示す美談として知られています。
このエピソードによると、煕子の左の頬には、大きな痘痕があったことが分かります。
なお、痘痕(あばた)とは、天然痘という病気の痕です。
煕子の特徴② 黒髪
煕子の特徴を示す、もうひとつのエピソードがあります。
光秀が朝倉義景の元に身を寄せていた時の出来事。
朝倉家の重臣たちが宴を催すことになり、光秀が幹事に任命されました。
自分を売り込む大きなチャンスを手に入れた光秀でしたが、生活は苦しいまま、宴のお酒や肴を用意する費用がありません。
困り果てた光秀を、いつも側近くで見つめていた煕子は大きな決断をしました。
自らの、美しく長い黒髪をバッサリ切り落とし、その髪を売ることで宴の費用を捻出しました。
煕子の髪の毛は、当時の武家の女性らしく長い黒髪だったことが分かります。
またこのエピソードから察するに、煕子は光秀の妻として明智家を盛り立てていこうとする相当な覚悟があったと思われます。
つまり、かなり芯のしっかりした女性だったようなので、なんなくキリっとした顔立ちが思い浮かびます。
光秀には側室がいなかった
諸説ありますが、光秀は生涯に渡り煕子だけを愛し側室や後妻を持たなかったと言われています。
これは、光秀と相性が良かったもはもちろん、内面的な部分でも素敵な女性で、なおかつ容姿も優れていたのではないでしょうか。
光秀が側室を持たなかったのは、持ち前の真面目さもあると思いますが、煕子が内側も外側も素晴らしい女性だったからこそ、側室を持つのが当たり前な戦国時代にあって、彼女一人を愛し続けることができたのかもしれません。
妻木煕子の複顔
ということで、煕子の顔の特徴をまとめると・・・
- 左の頬に大きな痘痕がある
- 黒髪
- キリっとした顔立ち
- 容姿端麗
以上の内容を元に、想像を膨らませて顔を復元してみます。
妻木煕子が現代に生きていたら・・・きっと、こんな顔をしていたはずです。
いかがでしょうか?
痘痕がうまく作れなかったので、アザみたいになってしまいましたが・・・。
目鼻立ちの記録が残っていないので、妄想もかなり含まれていますが、結構美人じゃないですか?
まとめ
以上、明智光秀の妻『妻木煕子』の顔を3Dで復元でした。
光秀が心から愛した女性、そして光秀が浪人していた頃から彼を支え続けた女性。それが『妻木煕子』です。
そんな煕子は、とっても素敵な女性だったのは間違いないと、僕は思っています。
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