今からおよそ千年前に書かれた源氏物語。
千年経った今でも、毎年のように翻訳されたりマンガになったりして、新しい出版物が刊行されるほどの人気を誇る文学作品です。
ところで・・・
今では様々な言語に翻訳され世界中の人々に愛される、世界最古の女流長編小説『源氏物語』。そんな源氏物語の誕生秘話をお届けします。
源氏物語の執筆理由
源氏物語が書かれた理由に関しては、様々な説があり今なおハッキリとした答えが出ていません。
よく言われる説としては・・
などなど。
どの説が正しいか判断するのは難しいのですが、紫式部が源氏物語を書いた理由~有名になっていくまでの過程には、大きく3つのステップに分けらるのかなと筆者は考えています。
そのステップとは、
となります。以下より、そのステップを見ていきましょう。
源氏物語が有名になる経緯
まず、源氏物語は紫式部が宮廷出仕を始める前から書き始められています。
当時、紙はとても貴重なものだったので、そう簡単には手に入りません。なので、最初は『枡型本(ますがたぼん)』と言われる小さな冊子に書いていました。枡型本を現代風に例えるなら、文庫本サイズくらいのものだと思って頂ければ良いかと思います。
最初は書きあげた物語を友人などに読んでもらうような、趣味の一環として書いたようです。源氏物語と言えば、とんでもない長編作品ですが、最初は『空蝉編』『夕顔編』のように、読切作品のような形で書いていたと思われます。
そんな感じで書いている内に、源氏物語は面白い物語という徐々に評判となっていきます。この評判が宮廷にまで聞こえるようになり、時の権力者『藤原道長』の要請により、紫式部は宮廷に仕えるようになりました。
紫式部は気乗りしませんでしたが、無理やり宮廷に引っ張り出されたような形になり、この後、彼女はひどい目に合うのですが・・・この辺の話は、本題と逸れるので割愛しますが、別の記事にしていますのでよろしければご覧ください。

一説には、源氏物語の執筆理由は藤原道長のバックボーンに支えられていたとも言われます。
ですが、道長が源氏物語を知ったのは物語が評判になってからなので、根本的な執筆理由にはならないのかもしれません。
紫式部の宮廷出仕後も、道長がスポンサーのようになり続きが書かれていたようですが、それは後々のことです。
宮廷出仕後の紫式部の源氏物語への想い
紫式部は源氏物語とは別にもう一つ『紫式部日記』という文学作品を残しているのですが、ここに面白いことが書かれています。
それは、宮廷出仕後に道長の要請で続きを書いていた源氏物語への想い。
源氏物語は紫式部が仕えた『彰子(しょうし)』も読んでいました。彰子は天皇の妻であり、藤原道長の娘です。
有名になった源氏物語の作者である紫式部。
その紫式部が仕える彰子。
それは道長にとって、娘の彰子の権威付けにもなり、自身の威厳にもなります。
そのような中で、最初は粗末で小さな紙に書かれていた源氏物語が、豪華で綺麗な紙に編集されていくさまが、紫式部日記に書かれています。
綺麗に飾られ新しくなった源氏物語を見て、紫式部は日記の中で、こう漏らしています。
原文を現代風にすると、こんな感じです。

試しに新しくなった源氏物語を手に取ってみましたが、昔のような感じがしない・・こんなのは私が書いた源氏物語ではない・・私は愕然としました・・
この言葉に、紫式部の源氏物語に対する想いが全て詰め込まれているのではないでしょうか。
原点である粗末な枡型本に書かれていた源氏物語こそが、紫式部自身が愛した源氏物語。
元々、書くのが好きで書いていたからこそ、好きで書いていた源氏物語を愛していたからこそ、紫式部の意志に反し権威に利用され、絢爛豪華に装飾されて、独り歩きしていった源氏物語。
紫式部日記の記述には、彼女の源氏物語に対する素直な想い、源氏物語が独り歩きしていった悲しみが秘められているような気がしてなりません。
源氏物語はいつ頃書かれ、いつ完成したのか?
最後に源氏物語がいつ書かれ、いつ完成したのかをお伝えします。
これについてもハッキリしたことは分かっていないのですが、源氏物語の完成時期は西暦1008年頃とされています。
紫式部が宮廷出仕を始めたのが1006年頃と言われているので、宮廷出仕してから約2年くらいで完成したようです。
では書き始められたのがいつ頃なのでしょうか?
一般的には、夫が没した半年後に書き始めたと言われています。
その夫は『藤原宣孝』という人物、そして宣孝が無くなったのが1001年。
なので、
ということになります。
源氏物語の文字数は、現代の一般的な400字詰めの原稿用紙で2400枚くらいなので、執筆から完成までの約7年(2555日)で平均すると、だいたい1日に原稿用紙1枚弱くらいのペースで書いていた計算になります。
まぁ、あくまで平均なので、いっぱい書いたり全然書かなったりした日もあったと思いますが。
源氏物語は石山寺(滋賀県大津市)で執筆された?
源氏物語執筆には、ひとつの伝説があるのではこちらにも触れてみましょう。
一説によると、紫式部が源氏物語を執筆した場所は、滋賀県大津市にある石山寺だという伝説があります。
ただ、石山寺の伝説はあくまで伝説であって、事実とは異なるというのが一般的な説となっています。
しかしながら、こういった伝説が残っているということ自体、昔から源氏物語が広く愛されてきたことの証明です。
史実じゃないと切り捨てるのは簡単ですが、なぜそうった伝説が生まれ、伝承されているのか?という部分を突き詰めて見るのも、歴史を知る楽しみなのかな感じます。
源氏物語の執筆理由まとめ
以上、紫式部が源氏物語を書いた理由と、書かれた時代でした。
書き始めた理由は、
・物語を書くのが好きな文学少女だったから
・時の権力者である藤原道長に書かされた
・夫が亡くなった悲しさを紛らわすために書いた
・主人公の光源氏のモデルになった人のために書いた
と諸説ありハッキリしませんが、書き続られた理由の根底には、やっぱり書くことが好きだったという部分があるのかもしれません。
そんな源氏物語を、あなたもぜひ楽しんでみてください。

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