源氏物語の作者 紫式部は暗い性格!紫式部日記に見る引きこもりの対処法

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拓麻呂です

世界最古の女流文学作品

源氏物語

この源氏物語の作者と言えば紫式部(むらさきしきぶ)。

今や世界にその名が轟く彼女には意外な過去がありました。

実はこの紫式部、現代の社会問題を千年前に体験し、そして見事に克服した女性なのです。

僕は当初、紫式部にこのような印象を持っていました。

『学識豊でちょっと高飛車なインテリ娘』。

これは源氏物語という長編小説を書き上げたこと、清少納言(せいしょうなごん)や和泉式部(いずみしきぶ)、赤染衛門(あかぞめえもん)と言った、同時代の才女を批評した日記が残っていることが原因かと思われます。

しかし、紫式部のことをいろいろ調べていると、どうも彼女の本質は違うのではないかと思い始めたのです。

源氏物語の印象が先行しすぎている紫式部ですが、彼女は『紫式部日記』という日記も後世に残しています。

この紫式部日記のある記事には彼女の苦悩や辛い過去、世渡りのコツなどが散りばめられています。

なかでも一番興味をそそられたのが、職場の仲間に無視され心を病み出勤出来なくなってしまった紫式部の姿。そして、それを克服するために彼女が取った意外な行動。

それでは、現代と同じような社会問題を抱えた、紫式部の引きこもりと社会復帰の秘策に迫ってみましょう。

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引きこもりだった紫式部の宮仕え

憂鬱な宮廷出仕

紫式部は当時の天皇のお后である彰子(しょうし)様にお仕えしていました。宮仕えです。

この宮仕えですが、どうやら彼女の意思では無く、時の権力者『藤原道長』の圧力があったようです。

と言うのも、紫式部が宮仕えする数年前、枕草子で有名な清少納言定子様が築き上げた、雅で華やかな宮廷生活が営まれていました。

この定子様・清少納言時代の宮中生活が輝かしい過去として語り継がれていた為、藤原道長は自身の娘である彰子様にも、華やかな宮中を作り上げてもらいたいと願っていたようです。

そこで抜擢されたのが、すでに源氏物語の執筆を始めていた、才女の誉れ高き紫式部でした。道長は、『定子様・清少納言』のような関係を『彰子様・紫式部』に望んでいたのです。

ところが、源氏物語の執筆に夢中だった紫式部は、あまり乗り気ではありません。

しかし、権力者 道長からの依頼であること、また父からの圧力もあり、彼女は嫌々宮仕えを了承することになります。

無視されて傷ついてしまった紫式部

このような経緯で、渋々宮仕えを始めた紫式部。

たいして日も経たぬ内に、非常にショックな出来事がありました。

彼女は仕事場の同僚に無視されていることに気づいたのです。

この当時、源氏物語は一定の知名度を誇っており、その作者である紫式部はちょっとした有名人。

周囲には『インテリ娘』というような勝手なイメージが先行しており、あまり良くは思われていなかったようです。

このイメージにより彼女は無視され、嫌味も沢山言われました。

紫式部は傷つきながらも何とか状況を打開しようと、同僚に『仲良くしてほしい』という内容の手紙を送ったりしますが、残念ながら返事はありませんでした。

無視され嫌味を言われ続けた彼女の心は、ついに崩壊していまいました・・・

そして・・・ある日突然、宮仕えに行かなくなってしまった紫式部。

五か月に渡る引きこもり生活の始まりです。

愚か者を演じる紫式部

引きこもる事、五か月余り・・・

源氏物語の執筆に励み、少し気持ちの整理が出来た彼女は久しぶりに宮中へ出仕します。

もちろん、五か月前とは違い、きちんと対策を考えての出仕でした。

嫌味を言われたら、愚かなフリをして乗り切ろう。

実際は学識があり頭の良い紫式部でしたが、あえて逆のキャラを演じることにしたのです。

五か月ぶりに姿を現した紫式部。

そんな彼女の姿を見た先輩たちは、予想通り嫌味を言ってきました。

紫式部、渾身の秘策『すっとぼけ作戦』発動です!

『はぁ~、そうでしたか・・・』

『私は何にも知りませんの・・・』

インテリとは程遠い、気の抜けた返事をする紫式部。

さらに!

この時の紫式部は、漢字の『一』すら書けないほどの愚か者を演じます。

そして、この作戦が功を奏します!

彼女に対する周囲の印象は徐々に変わり始め、『意外と天然で親しみやすいかも』という噂が広まっていくのです。

こうして紫式部は、周囲の印象を変えることに成功し、宮仕えに馴染んでいくことに成功したのです。

行動が結果を生み出した紫式部

このようにして紫式部は自身の居場所を勝ち取ることに成功しました。

新たな環境に身を置く時、最初の印象というのは非常に大切です。

その後の、立ち位置を左右することにもなりかねません。

彼女の場合、嫌々宮仕えを始め、最初のイメージ作り失敗し最悪な状況になっています。

そうとう辛い思いをしたことは想像に難くありません。

現代社会と同様に、彼女は人間関係に疲れ果て、五か月に及ぶ引きこもり。

かし紫式部は、五か月の充電期間を経て職場復帰を果たし、周囲の印象をガラリと変える戦略で見事に社会復帰を果たしました。

源氏物語という世界に誇る文学作品を後世に残した紫式部。

そんな彼女ですら、現代と同じような社会問題に直面し、必死になって生きていました。

しかし、その行動が実を結び嬉しい出来事が訪れます。

紫式部は、日記の中でその時の事をこう振り返っています。

『私は周囲から愚か者と見下されたことを非常に恥じていました。でも、これが私の本性と自分に言い聞かせ努力し続けました。そんな姿を見て中宮様(彰子のこと、紫式部の主)はこうおっしゃったのです』

『式部、まさかあなたとこんなにも心を割ってお付き合い出来るとは思ってもみませんでした。私と式部は他の誰よりも、ずっとずっと仲良くなってしまいましたね!』

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紫式部からのメッセージ

紫式部と言えば源氏物語。しかし、今回は紫式部日記の方に注目してみました。

この日記を読む限り、紫式部は相当なネガティブ思考です。

はっきり言って紫式部はかなり暗い性格です。

しかし、そんな彼女が生み出した『源氏物語』は世界で読まれる文学作品として、現代人に親しまれています。

マイナス思考であろうと、暗い性格であろうと、行動でその人生に花を咲かせることができる・・・紫式部の生涯には、そんなメッセージが隠されているのです。

ネガティブでも、とにかく物語を書くと言う好きなことに情熱を傾け続けた女性。

それが紫式部です。

ぜひ、あなたも好きなことに精一杯情熱を傾けてみてください。

そして、少しの行動を起こしてみてください。

きっと、紫式部があなたの手を取り、明るい未来へと導いてくれるはずです。

そんな紫式部と一緒に明るい未来へ行ってみたい・・

その入り口にはこの本が最適です!

紫式部の人間臭さをもっと知りたい方には、こちらの記事がオススメです。

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では、今回はこの辺で!ありがとうございました。


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