ご来訪ありがとうございます!
『将軍様は引きこもり』拓麻呂です。
今回は足利義政の人生から学んだこと。僕が実践している物事の捉え方をご紹介します。
どうしようもなく辛い時、苦しい時、ネガティブな思考になってしまった時は物事の見方を変えることは非常に重要です。
少しでも参考にしていただいて、前向きな考えを持っていただけたら幸いです。
以前の記事で、室町幕府八代将軍 足利義政について触れたことがあります。
彼は、史上まれに見るダメ将軍のレッテルを貼られています。
そんな義政ですが晩年は趣味へ傾倒し、自らの美意識を反映した東山山荘で趣味(茶器や絵画)に囲まれ余生を過ごします。
ガンダムが好きな方は頑張って作ったガンプラに囲まれた生活、映画が好きな方はコレクションのDVDに囲まれた生活。
現代風に考えれば、このような感じでしょうか。
しかし義政の場合、好きが高じて後世にひとつの文化を残すに至ります。
これを東山文化と呼びます。
この事実が義政の歴史的評価を押し上げています。
『好き』を続けることはとても大切なことです。継続することで心は晴れ、思いがけない結果がついてくる事がある。そこに苦労や苦痛はありません。
僕は足利義政の晩年を見つめると、人生の選択肢はひとつではない、仕事だけが全てではないという事を感じ、いつも勇気づけられます。
では、義政が突き詰めた趣味から読み取れることを考えてみましょう。
足利義政から学んだこと
趣味は趣味
どなたにでも趣味はあるかと思います。
あるいは趣味まで行かなくとも、好きな事は必ずあるでしょう。
僕の場合、日本の歴史に触れる事、自動車模型を作ること、海外ドラマ「ウォーキングデッド」を観る事、Xjapanのhideさんの音楽を聴くこと、ワンピースを読む事など色々あります。
誰もが平等に持つことが出来る趣味。しかしながら、所詮趣味は趣味。
大抵の場合、趣味は趣味の範囲を超えません。
では義政の場合、なぜ後世に一つの文化を残すことが出来たのでしょうか?
好きだから苦労は感じない
答えは簡単です。
東山文化誕生の理由は、茶器や絵画が「好きだったから」に他なりません。
義政は好きな事、つまり趣味を突き詰めていっただけで、他に特別なことはしていません。
ただただ、自らの美意識に叶う茶器や絵画を収集し、飾ったり茶の湯を楽しんだりしていただけです。
おそらく、そこに苦労は無かったでしょう。
義政は大変な思いをして、東山文化を残した訳ではないのです。
好きなことをしていたら、勝手に東山文化になっていた、と言った感じでしょうか。
義政の『好き』は何が違うのか?
では、一般的な趣味と、義政の趣味は何が違うのでしょうか?
見も蓋もない事を言いますが、大きな違いは無いのではないかと思います。あえて違いを見出すならば、ただ好きなことを続けられたかどうか。
情熱を持って継続できたかどうか。そういう事ではないでしょうか。
現在でも学者さんや評論家という肩書の方がいらっしゃいますが、彼らも一つのジャンルを徹底的に突き詰めたからこそ、現在の地位があるのでしょう。
『好き』はあなただけの素晴らしい才能
僕は、たかが趣味とは言え、一つの事を徹底的に突き詰められるのは一種の才能だと考えています。
野球が好き、読書が好き、釣りが好き・・・例えどんなジャンルであれ『好き』はあなたにとって立派な才能です。
好きな球団を通じて友人ができた、読書で教養が身に付き、人に教えることができた、釣ってきた魚でおいしい夕飯が作れた。
どれも『好き』だから出来ることです。
ひとつのジャンルを突き詰め、『好き』を継続することは素晴らしい才能であり、あなたにしか出来ないことなのです。
現在でも仕事が覚えられない、あるいは失敗ばかりしている、怒られてばかりいる、このような悩みを抱えている方も多いと思います。
そんな時、是非とも足利義政の生涯を見つめてみてください。仕事が出来なくたって、あなたにしか出来ないことは絶対にあるんです。
室町幕府八代将軍 足利義政
彼の人生は現代人の我々にも勇気を与え、人はみな大きな可能性を秘めていることを教えてくれるのです。
では、今回はこの辺で!ありがとうございました。