ドラマみたいな高杉晋作の生涯!名言・辞世の句が語る破天荒な人生

人物のエピソード

ご来訪ありがとうございます。

『幕末で一番好きな人物は高杉』な拓麻呂です。

 

 

動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し。

衆目駭然として敢えて正視するものなし、

これ我が東行高杉君に非ずや。

 

日本の初代総理大臣 伊藤博文が若き日の兄貴分を評した言葉です。

 

その兄貴分とは、幕末長州藩の暴れ馬・・・

高杉晋作(たかすぎ しんさく)

 

伊藤の言葉が表す通り、高杉の行動力は正に激しく轟く雷電のようであり、荒れ狂う風雨のようでした。

 

そんな高杉の行動原理とは一体どこから来ているのでしょうか?

 

答えは、彼が残した一つの名言に全てが集約されています。

『おもしろき こともなき世を おもしろく』

 

今回は、彼の名言から導き出される、雷電の如く風雨の如し高杉晋作の型破りな行動を追いかけてみたいと思います。

 

 

 

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雷電の如し高杉晋作

出典:国立国会図書館ウェブサイト『近代日本人の肖像』より

高杉晋作と攘夷

ではまず、高杉を理解する為の大事な考え方を把握しておきましょう。

 

幕末とは、ペリーの黒船来航に始まる欧米列強の脅威に対抗する為、日本を近代化させていこう!という時代です。

 

ここで大事になってくるのが『攘夷(じょうい)』という考え方。

 

攘夷とは簡単に言うと『外国人を追い払う』という意味です。

 

つまり、日本を守る為には、日本を乗っ取ろうとやってきた強大な外国(欧米列強)を追っ払おうという考えが『攘夷』です。

 

高杉の師匠である吉田松陰が強烈な攘夷論者であった為、当然ながら彼も攘夷思想を持っていたことになります。

 

 

攘夷決行!イギリス公使館焼き討ち事件

それでは高杉がやってのけた雷電の如し行動を見ていきましょう。

 

高杉の破天荒な行動を語る上で、まず外せないのが『イギリス公使館焼き討ち事件』。

 

前述の通り、高杉は吉田松陰の影響もあり、強烈な攘夷思想を持っています。

そんな彼にとって、外国人は排除すべき存在。

 

高杉は同じ松下村塾の門下生である『久坂玄瑞(くさか げんずい)』『井上聞多(いのうえ ぶんた、後の井上馨)』等と共に行動を起こします。

 

しかし、高杉たちは外国人公使を亡き者にしようと企んでいたようですが、これは事前にバレて作戦は失敗に終わります。

 

当然ながら責任を取らされ、高杉を始め犯行に加わった計11名は、藩邸に押し込められ謹慎処分となります。

歴史の表舞台から姿を消した高杉。

 

が・・・

この謹慎中も高杉は同士たちと血盟書を交わし再起を計っており、その志は全く折れていませんでした。

 

やがて解放された高杉たちは、懲りることなく再び行動を起こします。

 

ここで実行されたのがイギリス公使館の焼き討ちです。

前回の失敗を教訓に・・・したのかは分かりませんが、この計画は成功します。

 

幕府が建設中だったイギリス公使館は、高杉たちの犯行により灰燼に帰しました。

 

この事件は現代で例えるなら、米軍基地に火を放つような恐ろしい暴挙です。

 

なおこの焼き討ち計画には、後の初代総理大臣『伊藤博文』も加わっています。

この事件は、後に伊藤が思い出話として語るまで、高杉たちの犯行であることがバレていなかったと言われています。

 

 

突然の出家と無差別砲撃!

こうして攘夷を決行した高杉でしたが、自らが所属する長州藩の方針に否定的な態度をとっていました。

 

そんな高杉は、いきなり出家してしまいます。

僧形となった高杉は『東行(とうぎょう)』と名乗り、萩郊外に隠れてしまったのです。

 

再び表舞台から姿を消した高杉。

 

ところが、高杉が隠棲している最中、大事件が起こります。

 

関門海峡(山口県と福岡県の間の海)を通過する外国船に大砲をぶっ放したのです!

 

攘夷思想の強い長州藩は、目の前の海を我が物顔で通過していく外国船めがけて、無差別に砲撃を繰り返していきました。

 

しかし、外国船に反撃された長州藩はあさっりと敗北・・・

これが後にとんでもない事態を引き起こします・・・。

 

 

身分を超えた精鋭部隊!奇兵隊結成!!

高杉と言ったら、ここに触れない訳にはいきません。

 

奇兵隊です。

 

先の無差別砲撃で外国から反撃され、敗北した長州藩。

 

 

藩は下関を防衛するため、僧形となり隠棲していた高杉を呼び出します。

 

この時、高杉が中心となり結成された部隊が奇兵隊です。

高杉は奇兵隊を結成するにあたり、藩にこう進言したと言われています。

 

奇兵隊とは、たとえ武士でなくとも『志』さえあれば、身分を問わず入隊できるという正に『奇』兵隊。

藩の正規軍に対し、神出鬼没な奇兵部隊。

ふたつの部隊を使い分けることで勝利を手にすることが出来る。

 

この意見を聞いた藩は大いに喜び、下関防衛を高杉に一任したのです。

 

 

高杉脱藩で逮捕??激突!山口県vs列強四カ国!!

この頃、京都では薩摩藩や会津藩が、攘夷派を一掃しようとクーデターを起こしています。

『八月十八日の政変』です。

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この政変により攘夷派の長州藩は京都での主導権を失います。

 

これを挽回しようと長州藩が起こした騒動が、世に名高い『禁門の変』(蛤御門の変)です。

 

しかし、高杉は禁門の変は無謀であると主張し、変を阻止するため京都へ向かいます。

 

が・・・

 

高杉は脱藩したと勘違いされ、捕縛されてしまいます・・・。

 

野山獄という牢獄に閉じ込められた高杉・・・

またもや表舞台から姿を消します。

 

 

そんな中、長州藩には前代未聞の大ピンチが迫っていました。

 

先の外国船無差別砲撃への報復として、イギリス、アメリカ、フランス、オランダの列強四か国が下関へ来襲したのです。

 

当時の強大な先進四か国!

 

対するは日本の一地方、長州藩!!

 

山口県vsイギリス、アメリカ、フランス、オランダです!!

 

こんな戦争、後にも先にも聞いたことがありません。

 

長州藩は奮戦するも、さすがに対抗しきれず木っ端微塵に粉砕され、下関は外国に占領されてしまいました。

 

敗れた長州藩は膨大な賠償金を要求されます。

 

この時、ある一人の男が交渉の席に颯爽と現れます。

その男の名は『宍戸刑馬』

謎に満ちたこの男が、四か国相手に鮮やかな交渉をやってのけるのです!

 

 

日本神話を持ち込んだ気合の交渉

交渉の席に現れた『宍戸刑馬』

傍らには後の初代総理大臣 伊藤博文。

 

伊藤はこの宍戸刑馬なる人物が何者であるか知っていました。

 

ちょっと面長で細く吊り上がった目。

そう、高杉晋作です。

 

罪人として野山獄に投獄されていた高杉を藩が呼び戻し、宍戸刑馬という偽名を名乗らせ交渉役に抜擢したのです。

 

再び表舞台に現れた高杉。

 

この時、高杉は外国人相手に一歩も引かぬ太々しい態度で交渉に臨みました。

 

『賠償金?長州藩はそんな大金持っておらん。そもそも今回の一件は幕府の命令でやたこと。金なら幕府に請求すればよかろう』

 

責任を幕府に擦り付ける高杉。

なおこの後、賠償金は本当に幕府に請求されました・・・。

 

しかし四か国側は、賠償金に加え、彦島という島の租借を申し出てきました。

分かりやすく言うと彦島の占領です。

 

ここで高杉は思わぬ行動に出ます。

 

日本書紀を交渉の席に持ち込んで、日本神話を暗唱し始めたのです。

 

この時、四か国側の通訳として、アーネスト・サトーという語学に堪能が人物がいたのですが、さすがのサトーもこれには対応できなかったと言われています。

 

日本は神の国である。したがって、日本の国土を外国に明け渡すなど言語道断である!

 

高杉はこういう意味を込めて神話を暗唱したそうです。

 

神話の暗唱は数時間にも及び、さすがの四カ国も成すすべなく諦めたと言われています・・・

 

なお、無差別砲撃と下関戦争の詳細はコチラをご覧ください。

下関戦争の原因と高杉晋作の講和交渉とは?激突!長州藩vs列強四カ国
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高杉逃亡!

こうして無理やりピンチを切り抜けた高杉でしたが、苦難はまだまだ続きます。

 

度重なる暴挙で朝敵にされてしまった長州藩。

幕府の軍勢が長州藩に迫ります。

 

そんな長州藩は二つの派閥に分かれ、内輪もめ状態。

 

高杉が属する『正義派』

対するは『俗論派』

 

高杉に言わせれば、攘夷を唱え革新的な政治を推し進めてきた『正義派』。

一方、これまでの失政を恥じ、幕府に恭順しようという情けない『俗論派』

 

正義派という、いかにもカッコイイ呼び方で、それっぽいことを言っていますが、長州藩がメチャクチャになったのは高杉たち正義派が、吉田松陰の教えに従い、攘夷を決行し、破天荒なことをやり過ぎたからです。

 

しかし、高杉に言わせれば、それが『正義派』なんです。

これが松陰の教え『志』なんです。

 

とは言え、幕府も敵に回した正義派が、圧倒的に不利であることには変わりありません。

 

俗論派は幕府への忠誠を示す為、正義派の捕縛を始めます。

身の危険を感じた高杉は、自宅から逃げ出します。

 

 

こうして高杉は、またしても政治の表舞台から姿を消しました・・・

 

 

維新回転!決死の功山寺挙兵!!

しかし、この逃亡には、高杉の大きな志が隠されていました。

 

高杉に言わせれば、この逃亡は『志を遂げる為の逃亡』です。

決して、敗北を認めた逃亡ではありあせん!

 

行方をくらました高杉は、奇兵隊に再起を呼びかけ、山県有朋ら同士を集め俗論派を打倒しようと考えていたのです。

 

この時、高杉の志に賛同した勇士・・・

 

0人!!

 

しかし、高杉は諦めません。

 

この後も八方手を尽くし同士集めに奔走します。

 

そんな中、高杉の元にある知らせが届きます。

 

正義派の家老3名が、俗論派の手によって処刑された・・・

 

驚愕する高杉。

 

しかし、この事件が高杉の闘争本能に火を付けました。

 

『今こそ命の賭け時である!』

 

己の命には必ず使い時がある。

その時は、惜しむことなく命をかけよ。

 

そんな吉田松陰の教えを胸に、高杉は正義派たちに激を飛ばし続けます。

 

そして・・・

一人の男が高杉の志に同調し、姿を現しました。

 

伊藤俊輔・・・のちの初代総理大臣 伊藤博文です。

彼もまた松陰の元で学んだ高杉の弟分。

 

そんな伊藤が、高杉の前に再び姿を現したのです。

 

やがて高杉の熱き志に賛同した同士たちが集まり始めます。

 

その数たったの80人!!

 

しかし、ここが命の使い時と覚悟した高杉は、ついに挙兵します!

 

世に名高い『功山寺挙兵』です。

 

高杉はこの戦いで命を散らすつもりです。

もはや勝ち目のない無謀な戦い。

 

腹をくくった高杉の志・・

今こそ散り時と心に決めた高杉の覚悟・・

 

例え負け戦であろうとも、師である吉田松陰の教えに従い、華々しく散ってやろう!

かつて楠木正成が、決死の覚悟で湊川の戦いに臨み、その命を使い切ったように・・

 

 

 

が・・・・・・・・

 

高杉は勝ってしまいました。

 

華々しく散ろうと思ったのに、まさかの正義派大勝利です!!

 

もはや気合いと志だけで、奇跡の大勝利をもぎ取ったのです!!

 

なお、功山寺決起が明治維新や、その後の日本に与えた影響に関してはコチラをご覧ください。

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四境戦争と病魔との戦い

この後、高杉は四境戦争と呼ばれる戦いの指揮を執ります。

 

四境戦争とは、その名が示す通り、長州藩が4方向から攻められた戦いです。

 

戦陣に立ち指揮を奮う高杉・・

しかし、この時高杉は己の体にも大きな敵を抱えていました。

 

肺結核です。

 

当時の肺結核は不治の病。

目に見えて衰えていく高杉の姿。

 

病魔と闘いながらも、高杉は渾身の采配を振るい、長州軍は見事勝利。

 

しかし・・・

 

波乱続きだった高杉の短い人生が終わりを告げようとしていました。

 

吐血しながらも酒を煽るすさんだ日々・・

 

もはや自分の命が長くない事を悟った高杉、そんな彼が詠んだ詩であり名言です。

 

 

おもしろき・・

こともなき世を・・

おもしろく・・

 

この後に、高杉を看病していた野村望東尼という女性が下の句を詠んだとも言われています。

 

おもしろき 事もなき世を おもしろく

住みなすものは 心なりけり

 

 

四境戦争からおよそ1年後、高杉はこの世を去りました。

 

享年29

 

吉田松陰に学び、その志を胸に秘め、幕末と言う激しい時代を駆け抜けた高杉晋作は、自信に満ち溢れながら松陰の元に旅立っていきました。

 

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おもしろき こともなき世を おもしろく

激動の時代を生きた高杉晋作。

29年という短い一生でありながら、その生涯は波乱に富んだ非常に濃い人生でした。

 

幕末という日本が大きく動いた時代。

鎖国を続けてきた日本が直面した欧米列強の脅威。

 

そんな苦しい時代に生きた高杉は、何度も歴史の表舞台から姿を消しては不死鳥の如く復活してきました。

 

吉田松陰の教えに従い、志を高く持ち続けた高杉晋作。

彼は幕末と言う苦しい時代を、自らの行動でおもしろき人生に塗り替えてみせたのです。

 

つまらない人生・・

苦しい人生・・

 

現代社会とは息苦しく、とても生きづらい時代。

 

そんな時代だからこそ、自らの行動で面白くない人生を面白く描いてみせた高杉の志は現代人の胸に熱く響くのです。

 

おもしろき こともなき世を おもしろく・・・

 

高杉晋作の人生29年は、この名言に全てが詰め込まれていると言えるのではないでしょうか。

 

明治維新について、さらに詳しく知りたい方はコチラをご覧ください。

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では、今回はこの辺で!

ありがとうございました。

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