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拓麻呂です。
枕草子の作者『清少納言』。
彼女が30歳前後に華やかな宮廷生活を送っていたことは、枕草子が記す通りですが、その後は一体どうなったのでしょうか?
意外と知られていない清少納言のその後。
この記事では、清少納言が宮廷を辞した後、何をしていたのかをお伝えします。
目次
清少納言のその後
女房を辞め宮廷を去る
清少納言は后妃である『定子(ていし)』に仕えていました。
しかし、定子が若くして亡くなった直後に、女房を辞めたと言われています。
(定子崩御後も宮廷にいたという説もありますが、ここでは定説に従います)

つまり、宮仕えを辞めて一般の女性として余生を過ごしていた訳です。
宮仕えを辞めた後の清少納言については、ハッキリした記録がないのですが、断片的な逸話が伝わっていますので、以下それらのエピソードをお伝えします。
定子の埋葬地近くで静かに暮らした晩年
定子崩御で宮仕えを辞めた清少納言は、再婚相手である『藤原棟世(ふじわらのむねよ)』の任国である摂津(現在の大阪北部あたり)に引っ越したと言われています。
ですが、棟世は清少納言より20歳以上年上だったとされているので、晩年は未亡人になっていたと思われます。
最終的には父親の『清原元輔(きよはらのもとすけ)』にゆかりのある京都の東山月輪という場所でひっそりと暮らしていたようです。
東山月輪は、定子の埋葬地の近くだったと言われています。
定子に対して誠心誠意お仕えしていた清少納言は、最後まで定子への哀悼の意を表していたのかもしれません。
東山月輪には『泉涌寺(せんにゅうじ)』というお寺があり、清少納言の供養塔や歌碑が残されています。
出家した清少納言
晩年の清少納言は出家していたとされています。
おそらく夫の藤原棟世に先立たれた後に剃髪したのではないかと思います。
そんなある日、清少納言が暮らしていた庵の前を若者たちが通りかかりました。
若者は『清少納言も落ちぶれたもんだ』と噂話をしています。
すると、庵から清少納言が飛び出してきて、『駿馬は骨でも価値がある!!』と怒鳴り散らしたそうです。
よく意味が分からないかもしれませんが、『素晴らしい馬は骨になっても価値がある』という中国の故事に由来したセリフです。
つまり『年老いたからってバカにするんじゃないよ!』っていう意味です。
この逸話が史実かは分かりませんが、枕草子からも伝わる通り、中国の故事や漢詩に精通していた清少納言らしいエピソードだと思います。
とっさの気転でピンチを切り抜ける
清少納言には『清原致信(きよはらのむねのぶ)』という兄がいました。
清少納言が兄の致信と一緒にいた時、致信を狙う刺客に襲われました。
この時、清少納言は出家していたので髪の毛が無く男と間違われ、危うく斬り付けられそうになりました。
命の危険を感じた清少納言は下半身を露わにし、性器を見せつけ女性であることを証明しました。
この咄嗟の判断により、清少納言は一命をとりとめたという伝説が残っています。
これも清少納言らしい愉快なエピソードだと思います。
清少納言の晩年は落ちぶれていたのか?
清少納言の晩年は落ちぶれていたとよく言われます。
確かに裕福な生活はしていなかったと思いますが、個人的にはそこまで落ちぶれていたわけではなかっと思っています。
立場的に見れば、定子と清少納言は、藤原道長が仕掛けた政争の敗者たちです。
ですが、藤原道長が権力を握った後に、清少納言の娘である『小馬命婦(こまのみょうぶ)』が彰子(定子の後を継いだ道長の娘)に仕えています。
また、清少納言自身も、彰子サロンの『和泉式部(いずみしきぶ)』や『赤染衛門(あかぞめえもん)』とも交流があったようです。
清少納言は定子の女房でしたから、道長からしてみたら後ろめたい存在ではあったはずです。
ですが、娘が宮仕えしていたり、彰子の女房たちと交流があったりと、清少納言と宮廷との縁が切れたわけではなかったようです。
なので、落ちぶれたという訳ではなく、宮仕えを辞めて普通に暮らしていただけのように感じます。
また、清少納言は枕草子の中でこんなことを言っています。
『女性が一人暮らしをする場所は、ちょっと草が生えているような質素な感じが趣がある』
きっと自身が理想とする環境で、質素に暮らしていたのではないでしょうか?
宮廷とは正反対な静かな庵で・・・
春のあけぼのに趣を感じながら・・・
定子の埋葬地近くで・・・
定子を弔いながら・・・
ひっそりと余生を送っていた。
それが清少納言の晩年なのかなと思っています。
まとめ
以上、清少納言の晩年についてでした。
清少納言が宮仕えを辞めた後の逸話は、ほとんどが伝説の類でハッキリはしていません。
彼女のお墓も全国にあります。
ですが、定子を慕っていた彼女のことを考えると、やっぱり定子の近くで最期を迎えたのかなと想像してしまいます。
決して落ちぶれたわけではなく、定子を弔いながら静かな余生を過ごしていたのではないかと思います。
清少納言と枕草子のまとめはコチラです。

では、今回はこの辺で!
ありがとうございました。