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拓麻呂です。
西郷さんが奄美大島へ流罪となった時に結ばれた最愛の妻『愛加那』。
西郷さんの薩摩復帰に伴い、離れ離れになってしまった2人の関係。
今回は、西郷さんが奄美大島を去った後、愛加那がどんな人生を送っていたのかを見ていきたいと思います。
愛加那のその後
出典:Wikipediaより
愛加那との別れ
西郷さんと愛加那の別れは、出来たばかりの新居で宴を開いている最中に訪れます。
西郷さんは、大久保利通の尽力で、薩摩へ帰国することになり、愛加那を島へ残して薩摩へ戻ることとなりました。
離島で妻になった女性のことを『島妻(あんご)』と言います。
薩摩の決まりでは、本土へ戻る際、島妻を伴って帰国することが禁止されていました。
当然ながら、愛加那は島妻です。
島に置いて行かなければなりません。
西郷さんは愛加那を連れて行くことができず、薩摩へ帰国していきました。
束の間の再開
こうして、引き裂かれた西郷さんと愛加那ですが、その後に1度だけ顔を合わせる機会がありました。
愛加那は、西郷さんとの間に授かった2人の子供を連れて、西郷さんに会いに行っています。
なお、二人の子供は『菊次郎』と『菊草』。
西郷さんが薩摩に戻った時、菊草は愛加那のお腹の中にいたので、これが初対面です。
きっと、初めて見る菊草、そして愛加那と菊次郎との束の間の再開に喜んだことでしょう。
が・・・
この直前に、西郷さんは薩摩の主導権を握っている『島津久光』と不仲になっており、それが発端で沖永良部島に流罪になります。
愛加那と出会った奄美大島に引き続き、2度目の島流しです。
なお、西郷さんが沖永良部島に流される経緯はコチラの記事をご覧ください。

束の間の再開に、幸せな時を過ごした西郷さんと愛加那でしたが、西郷さん2度目の流罪により、今生の別れを迎えることになります。
旅立った愛加那
この後、西郷さんと愛加那が再び会うことはありませんでした。
しかし、愛加那の生活を案じた西郷さんは、愛加那と子供たちに仕送りを続けていたと言われています。
そして、1877年 西南戦争。
この戦いで西郷さんは自害。
それから時は流れ・・・
雨が降る中、愛加那が畑仕事に精を出していたその時・・。
彼女は突然倒れ、そのまま帰らぬ人となりました。
享年65
西郷さんが西南戦争に散ってから約25年後のことでした。
菊次郎と菊草
西郷さんと愛加那が授かった二人の子供。
『菊次郎』と『菊草』
二人は後に、愛加那の元を離れ、西郷さんの3番目の妻 糸(いと)夫人に引き取られています。
糸夫人が立派に育てあげた菊次郎と菊草。
菊次郎は西南戦争でも、父である西郷さんに従い従軍しています。
しかし、戦争の最中に片足を失うこととなり、途中で戦線離脱。
悔やんでも悔やみきれない菊次郎は、這ってでも従軍しようとしますが、西郷さんに説得され降伏することとなります。
その後も、京都市長に就任するなどの活躍を見せ、1928年にこの世を去りました。
一方、菊草は、西郷さんのいとこ『大山巌(おおやま いわお)』の弟(大山誠之助)に嫁ぎ、その生涯を全うし、1909年にこの世を去りました。
島に残された愛加那と西郷さんの想い
こっちの、西郷さんとの出会いの記事でも書きましたが、

やっぱり、西郷さんと愛加那が別れる時の心境を想うと、なんだか切なくなります。
ここからは僕の妄想です。
愛加那のお腹には後の菊草がおり、しかも完成したばかりの新居で祝宴を開いていた最中の帰藩命令。
きっと西郷さんは愛加那と一緒に、生涯奄美大島で生活していく事を決めていたんじゃないかなと想います。
しかし、元々は流罪に絶望し、政治の表舞台から遠ざかってしまった身の上を悲しむ日を過ごしていた西郷さん。
奄美大島で出会った最愛の妻との幸せな生活・・
一方で、日本を変えるという心の内に秘めていた西郷さんの志・・・
西郷さんは大きな葛藤の中で帰国を選択したに違いありません。
そして、『島妻』という立場であったが為に、愛する西郷さん、そして最愛の2人の息子とも別れなければならなかった愛加那。
その立場を受け入れつつも、一人奄美大島に残された愛加那の心を想うとさらに切なくなります。
幕末という激動の時代に垣間見える、西郷さんと愛加那のちょっと切ない恋物語。
愛加那の存在は、そんな激しい時代を少しだけほんわかさせてくれる一服の清涼剤。
西郷さんと愛加那の関係に、僕はそんなイメージを持っています。
愛加那と別れた後の西郷さんの動きはコチラをご覧ください。

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では、今回はこの辺で!
ありがとうございました。