陰陽師 安倍晴明の人間離れした伝説やエピソード集

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拓麻呂です。

平安時代の陰陽師『安倍晴明』

呪術を操り、悪霊や鬼を退治する彼のイメージは、映像作品などでも広く知られています。

この記事では、現在に伝わる安倍晴明の数々の伝説をご紹介します。

事実であったかどうかは問いません。

安倍晴明が呪術が炸裂した、怨霊渦巻く平安の都の姿をご覧ください。

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陰陽師 安倍晴明

母親が狐

安倍晴明がいつ生まれたのかは、ハッキリわかっていません。

それどころか、晴明が歴史に登場するのは57歳前後なので、幼少期や青年時代のこともよく分かっていません。

しかし、ひとつだけ面白い逸話が残っています。

晴明の母親は、白い狐であるという伝説です。

晴明の父が一人の女性と愛し合うのですが、離れ離れで暮らすことになってしまいます。

この女性の名前は『葛子(くずこ)』とも『葛の葉(くずのは)』とも言われています。

そんなある時、晴明の父が1匹の狐を助けるのですが、その狐が恩を返すため『葛子(葛の葉)』に化けて姿を現し、二人は結ばれることになりました。

その子供が、安倍晴明だと伝わっています。

なお、別の説として、晴明は人間の子ではなく『化生の者』とも言われています。

『化生の者』とは妖怪というような意味なので、晴明は妖怪から生まれたということです。

ゲテモノを好んで食べていた幼少期

晴明の幼少期は、かなりの悪食だったという伝説があります。

晴明が幼少期に好んで食べていたのは、『ゲジゲジ』、『クモ』、『ムカデ』、『イナゴ』など。

イナゴは現代でも佃煮で食べたりしますが、他はグロテスクな見た目で害虫になってしまうような虫たちです。

晴明は、そんな虫たちをムシャムシャ食べていたそうです。

これを見た狐の母(化けているので姿は人間)は、こう悲しみます。

  • 晴明は自身の狐の血が入っているから虫を食べているのだ
  • ゲテモノばかり食べていたら、いつか母が狐であることが世間にバレてしまうかもしれない
  • そうなったら、もう息子とは一緒にはいられない

そう悲しんだ狐の母は、晴明に悪食をやめるよう諭しました。

母と一緒に居られなくなるのが嫌だった晴明は、この時から悪食を辞めたと伝わっています。

呪力を手に入れた瞬間

呪術を使い、悪霊を退治するイメージのある陰陽師。

晴明は、そんな呪力をどうやって手に入れたのでしょうか?

実は、ここにも狐の母親が大きく関わっています。

ある日、晴明の父と離れ離れになってしまった、人間(本物)の葛子が姿を現しました。

これにより、いままで一緒に暮らしていた葛子が狐であったことがバレてしまいます。

もはや一緒にはいられないと悟った狐は、森に姿を消してしまいまいた。

そして、晴明は父と一緒に狐を探しに行きます。

すると、森の中から狐が現れ、涙を流しながら『もう一緒にはいられない』と言い、その際に晴明は母狐から呪力を授かったと言われています。

このように、晴明が陰陽師として活躍した背景には、狐であった母親が大きく影響しているのです。

式神を自在に操る安倍晴明

青年期の晴明にも様々な伝説が残っています。

鳥の会話が理解できとか、龍宮城に行ったことがあるとか、鬼を見ることができたとか。

そんな中でも、最も晴明らしいのは、式神(しきがみ)を自在に操る晴明の姿です。

これが、呪術を扱う陰陽師の一般的なイメージなのかなとも思います。

『式神』とは、陰陽師が操る鬼神です。

この式神の力は、様々なものに宿っています。

葉っぱ、紙の人形、木の人形、呪符・・・。

有名なエピソードとしては、式神の霊力を宿した葉っぱをカエルに投げたら、カエルが潰れて死んでしまった、なんてのもあります。

他にも、予知能力があったり、結界を貼って家を災害から守ったりとか、言い出せばキリがないほどの伝説が残っています。

ちなみに、災害から守った家は、『ちはやぶる・・・』の百人一首でおなじみ、美男の歌人として知られる『在原業平(ありわらのなりひら)』宅です。

陰陽師とは、この式神を操って怨霊に対峙することが、メインのお仕事です。

そして陰陽師とは、現在の財務省とか文部科学省とかと同じような、政府の正式な機関に属する人たちです。

陰陽師が属した組織を『中務省(なかつかさしょう)』と言い、その中の陰陽寮に属する人たちを陰陽師と言います。

でも、なんで怨霊とか式神とか伝説めいた呪術を使う人たちが、正式な政府の役人として活躍していたのでしょうか?

現代の感覚からすると、ちょっと不思議な感じがするのですが、平安時代には陰陽師がいなければならなかった明確な理由があるのです。

陰陽師とは?

現代の日本人にも、霊を恐れるという感覚は少なからずあると思います。

科学技術の発達により、否定されることも多くなりましたが、平安時代にそんなものはありませんでした。

簡単に言ってしまえば、昔は怨霊の存在を、心の底から信じていたのです。

当時は、陰謀で貶められ、非業の最後を遂げた人物がたくさんいました。

恨みを残し、非業の最後を遂げた者たちは、怨霊となって現生の人々に災いをもたらす存在となります。

突然の病死、火災、飢饉や天災、それらの不幸は全て怨霊の呪いだと考えられていました。

当時の人々は、怨霊の存在を心底恐れ、逃れようとしていました。

これを『怨霊信仰』と言います。

現代日本人が、霊的なものに恐怖を感じるのは、『怨霊信仰』による影響が脈々と受け継がれているのです。

日本の三大怨霊『平将門』『菅原道真』『崇徳上皇』は有名なところです。

彼らは全員、平安時代の人物です。

また、平安京にも怨霊を封じる為の施策がなされており、不吉なことがやってくるとされる鬼門の方角(北東)には、比叡山延暦寺が配置され、怨霊の侵入を防いでいます。

さらには、平安京自体が怨霊から逃れるために遷都されたものであるという説もあります。

現代は単なるオカルトで片付けられてしまうような話ですが、当時の人々にとって怨霊は深刻な問題だったのです。

だからこそ、怨霊に対抗する手段として陰陽師が必要とされていたのです。

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陰陽師の存在から伝わる歴史の真実

強い怨念を抱いた怨霊に対抗していた陰陽師たち。

その陰陽師を代表する人物が安倍晴明です。

彼の伝説の全が事実ではなかったかもしれません。

ですが、当時の人々が怨霊を本当に恐れていたからこそ、それに対抗する手段として陰陽師の存在です。

とても恐ろしい力を持った怨霊に対峙する陰陽師は、おのずと伝説めいたエピソードが増えるのも頷けます。

こいった伝説自体が、怨霊を恐れた当時の時代背景を知る手掛かりになります。

事実ではないかもしれませんが、当時の真実は十分に伝わってきます。

事実だけを求める歴史も必要ですが、それだけでは歴史の授業みたいで味気ないものになってしまいます。

伝説という真実が隠された部分に耳を傾けることも、歴史を知る醍醐味なのかなと僕は思っています。

では、今回はこの辺で!

ありがとうございました。

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