西郷隆盛と大久保利通は本当に親友だったのか?二人の仲と関係に迫る

ご来訪ありがとうございます。

拓麻呂です。

幕末の薩摩が生んだ二人の英雄。

一人は『西郷隆盛』

一人は『大久保利通』

郷土を同じくし、ともに明治維新へと歩んでいった二人は、一体どんな間柄だったのでしょうか?

現在のイメージでは『親友』とされる西郷さんと大久保さんの関係。

それは本当でしょうか?

結論から言います。

西郷さんと大久保さんは『親友を遥かに超えた固い絆』で結ばれていました。

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西郷隆盛と大久保利通

出典:国立国会図書館ウェブサイト『近代日本人の肖像』より

出典:国立国会図書館ウェブサイト『近代日本人の肖像』より

共に学んだ幼少期

西郷さんと大久保さん。

二人は共に薩摩(現在の鹿児島県)の出身。

さらに二人とも下加冶屋町の出身。

今でいう所の、同じ町内会の幼馴染だったわけです。

また、薩摩では『郷中教育』という教育制度がありました。

郷中教育とは簡単に言うと、近所の子供たちが集まり、年上が年下を教育する制度です。

↓『郷中教育』の詳細はコチラ↓

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今風に言うと、西郷さんと大久保さんは同じ学び舎で十年以上の長きに渡り、ともに学び、ともに成長してきた間柄なのです。

大久保さんの方が2つ年下ですから、子供のころは西郷さんがちょっと兄貴分的な感じだったかもしれませんね。

明治維新に至るまで

大人になってからの二人は、お互いを補完し合うような間柄でした。

その関係を見てみましょう。

大久保さんを気遣う西郷さん

次の薩摩藩主を巡って、薩摩藩士が二派に分かれて争った『お由羅騒動』

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西郷さんと大久保さんは、この騒動に敗れました。

この敗北で大打撃を受けたのが大久保さんです。

と言うか、大久保家です。

大久保さんの父親は流罪、大久保さん本人も謹慎蟄居となります。

この間に、西郷さんは歴史の表舞台に立って活躍します。

やがて島津斉彬に仕えることとなり、西郷さんは参勤交代に加わり江戸で人脈を広げていきます。

西郷さんが活躍する中、謹慎処分で何も出来ない大久保さん。

きっと悔しかったことでしょう。

やがて島津斉彬が薩摩藩主になると、大久保さんの謹慎が解かれます。

そして、西郷さんが再び江戸に向かう時、大久保さんを一緒に連れて行きました。

熊本までという条件付きでしたが、大久保さんはこの時初めて薩摩から出て、外の世界を見ることが出来ました、

西郷さんの気遣う大久保さん

井伊直弼による『安政の大獄』が猛威を振るった時期。

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西郷さんの身にも危機が迫ります。

幕府のお尋ね者となった西郷さんに対し、薩摩は流罪を申し渡します。

奄美大島へ島流しとなった西郷さん。

そんな西郷さんを政界に復帰させる為、当時薩摩藩を牛耳っていた『島津久光』に願い出たのが大久保さんです。

島津久光は幕府の政治に介入する為、江戸を目指します。

その為には、江戸で人脈のある西郷さんの力は必要不可欠!!

そう大久保さんが島津久光に嘆願し、西郷さんは薩摩へ戻ることが出来たのです。

政策を巡る対立

時は流れ、明治維新は現実のものとなりました。

明治新政府が樹立され、戊辰戦争を経て幕府は崩壊します。

しかし、この後に西郷さんと大久保さんの仲に亀裂が入ります。

『征韓論』です。

朝鮮への使節派遣を巡って、意見が割れた西郷さんと大久保さん。

最初は西郷さんの意見が通り、西郷さん自らが朝鮮使節となり海を渡る予定でした。

しかし、大久保さんの政治工作により内政を優先させる事となり、西郷さんの派遣は中止となります。

これより少し前、大久保さんは『岩倉使節団』の一員として、海を渡っていました。

そこで見たヨーロッパ諸国の強大さ。

世界情勢を自分の目で見たからこそ、日本の為に今どうすべきか?

今、日本は朝鮮ではなく国内に目を向け、国力を高めなければならない!

これが、西洋を見てきた大久保さんの考えでした。

意見が食い違い、決定を覆された西郷さんは、明治新政府を離れ薩摩の地に帰ってしまいました。

これが、西郷さんと大久保さんの今生の別れとなるのです。

最後まで西郷さんを信じ続けた大久保さん

西郷さんが去った明治新政府。

しかし、大久保さんは日本を強くするため、脇目も降らず邁進していきます。

それから程なくして、大久保さんの耳に信じられない事実が突き付けられます。

西郷隆盛・・・挙兵

大久保さんの独裁に近い政治に反発した薩摩藩士たち。

彼らは刀を取り上げられ(廃刀令)、武士の誇りを奪われました。

そんな士族たちに祀り上げられ、不本意ながら西郷さんが挙兵したのです。

これが、西郷さんと大久保さんの中を、完全に切り裂くことになります。

しかし・・・

大久保さんは西郷さんの挙兵を信じませんでした。

この時の大久保さんの様子を語る多くの証言が残されています。

『西郷なら分かってくれる・・大丈夫だ・・大丈夫だ・・・』

そう言って西郷さん挙兵を全く信じようとしませんでした。

そして、いよいよ西郷さんの挙兵が本当らしいと理解し始めた大久保さん。

彼は、自ら薩摩に向かい、西郷さんの説得を試みます。

会って話し合えば必ず理解し合える・・・

今、日本に必要なことは何なのか・・西郷は分かってくれる・・・

しかし、危険であると周囲に止められ実現出来ませんでした。

もはや、西郷さんと大久保さんの関係を修復する手段は残されていませんでした。

ことここに至り、二人は完全に決裂します。

『西南戦争』です。

新政府軍の猛攻に敗れた西郷さんは、城山で自害。

幼いころから共に学び、共に明治維新を成し遂げた二人の英雄は、悲劇の別れを迎えることになったのです。

西郷さんからの手紙

間接的とは言え、自らの手で西郷さんを葬った大久保さん。

西郷さんへの友情を物語る証言が残されています。

大久保さんは、逆賊となった西郷さんの評価が後世に誤って伝わることを恐れ、自ら筆を取り西郷さんの伝記を書こうとしていました。

しかし、それは叶うことはありませんでした。

大久保さんの政策に反発する者たちによる襲撃『紀尾井坂の変』。

西郷さんの伝記を書くことなく、志半ばで凶刃に倒れた大久保さん。

そんな大久保さんの懐には、血に染まった一通の手紙が入っていました。

それは、肌身離さず持っていた、西郷さんからもらった想い出の手紙でした。

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革命家の西郷隆盛と政治家の大久保利通

幼いころから共に学び、共に日本を変え、最後は意見の違いから決別することになってしまった二人の関係。

僕はここに二人の性質の違いが見えるように思います。

明治維新を成し遂げるまでの西郷さんの活躍は、凄まじいものがあります。

逆に、大久保さんはそこまで目立った活躍はありません。

しかし、明治維新が成った後は、明らかに大久保さんの活躍が目立っています。

逆に西郷さんの活躍が見られなくなります。

むしろ、燃え尽きた感すら漂います。

明治維新という革命の、大きな原動力となった西郷隆盛。

明治維新が成り、新しい日本の舵取りを一身に背負った大久保利通。

西郷さんは『革命家』であり、大久保さんは『政治家』であった。

僕はそう感じます。

どちらかが欠けても、新しい明治維新は実現しなかったでしょう。

新しい日本を見ることは出来なかったでしょう。

性質は違っても、最後は意見が食い違ったとしても、薩摩で共に育ち、お互いを補完し合い、一緒に倒幕を成し遂げたからこそ歴史は大きく動きました。

そんな二人の関係は言葉では表せない『親友以上の関係』であったと僕は考えています。

そんな大久保さんが、西郷さんの死を知り悲しみの中で発した言葉で締めくくりたいと思います。

『自分ほど西郷を知っている者はいない』

西郷隆盛と大久保利通、それぞれの記事はコチラです。

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では、今回はこの辺で!

ありがとうございました。


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