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拓麻呂です。
明治維新の立役者『西郷隆盛』
彼が最期を迎えることとなった西南戦争。
その散りざまとは如何なるものだったのでしょうか?
そして、最後に発した言葉とは?
今回は、維新三傑の1人 西郷隆盛の最後に迫ります。
西郷隆盛 城山に散る
出典:国立国会図書館ウェブサイト『近代日本人の肖像』より
西郷隆盛 最後の言葉
明治新政府に反発した元士族たちに担がれて、薩摩軍の総大将となった西郷さん。
田原坂の戦いなどで奮戦するも、徐々に劣勢となり薩摩に後退していきます。
最後は城山に籠りますが、山縣有朋が率いる新政府軍5万に包囲されます。
一方、西郷さんに残された兵力は、わずが372人。
もはやこれまでと悟った西郷さんは、酒宴を催し同志たちと最後の戦いに臨むことを誓い合います。
運命の明治10年9月24日
新政府軍の総攻撃が開始されました。
次々と倒れていく薩摩軍。
西郷さんは、主だった同志たちを集め、最後の一斉突撃を開始しました。
飛び交う銃弾の中に突っ込んでくる薩摩軍は、一人、また一人と人数を減らしていきます。
同志に自刃を進められるも、西郷さんは『まだまだ』言い放ち、勝ち目のない戦いを辞めることはありませんでした。
そして、ついに西郷さんの体を銃弾が貫きます。
腹と股に銃撃を食らった西郷さんは、すでに立ち上がることすら出来ませんでした。
西郷さんは、傍らにいた別府晋介にこう告げます。
『晋どん・・もう、ここでよか・・・』
これが西郷さんの最後の言葉になりました。
介錯を依頼された別府晋介も足を負傷していましたが、力を振り絞り抜刀。
『先生、ごめんやったもんせ・・・』
別府の刀は、西郷さんの首めがけて振り下ろされました。
西郷隆盛
享年49
日本を変えた英雄の壮絶な最期でした。
ともに散った同志たち
西郷さんが自決した際、周囲には西郷さんを慕ってともに戦った同志たちがおり、その最後を見届けていました。
介錯を頼まれた別府晋介も、その中の1人です。
『別府晋介』は介錯の後、飛び交う銃弾の中で自決。
すぐに西郷さんの後を追いました。
人斬り半次郎と呼ばれた『桐野利秋』は、西郷さんの自決を見届けた後、さらに戦闘を継続。
額を撃ち抜かれ最期を迎えました。
若き頃から、西郷さんを兄として慕っていた『村田新八』
彼もまた、西郷さんの自決を見届けた後、進軍を開始。
銃弾が飛び交う中で、命を落としました。
かつて、西郷さんに命を助けられた『辺見十郎太』
彼は、西郷さん自決の後、政府軍に突撃して銃弾に倒れたとも、別府晋介とともに刺し違えて自決したとも伝わっています。
このほかにも、西郷さんを慕う多くの男たちが、この戦いで最期を迎えました。
西郷隆盛の犠牲が日本に与えたもの
こうして、日本における『武士の世』は、完全に終わりを迎えました。
西郷さん自らが作り上げた新しい日本。
その新しい日本に反感を持った旧士族たちの大将となって、明治新政府と戦うことになった西郷さん。
西郷さんが目指した新しい日本の総仕上げとして、自らが陣頭に立ち武士の世を終わらせた。
そんな感じすら覚えます。
西南戦争は、日本史上最後の内戦です。
この戦争をもって、日本は近代に向かって大きく変わっていきます。
西郷さんの犠牲は、古い日本を終わらせ、新しい日本の扉を開いた瞬間と言えるのではないかと、僕は考えています。
後に、内村鑑三が西郷さんの死を悼んで、このような言葉を残しました。
『武士の最大のもの、また最後のものが世を去った』
そんな西郷さんの人物像に迫った記事はコチラです。
明治維新まとめはコチラ
では、今回はこの辺で!
ありがとうございました。