明治維新最大の功労者は大久保利通!その性格と暗殺された理由

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人物のエピソード

ご来訪ありがとうございます。

拓麻呂です。

 

幕末の英雄といえば、坂本龍馬、西郷隆盛、高杉晋作・・・

『好きな歴史上の人物は?』と聞かれれば、彼らはの名前は必ず挙がるほどの人気者です。

 

でもちょっと待ってください。

彼らと同じくらい有名な人物がもう一人いませんか?

 

その人物の名は・・・大久保利通

出典:国立国会図書館ウェブサイト『近代日本人の肖像』より

 

誰もが知ってる有名人でありながら、龍馬や西郷、高杉とは比べ物にならないほど不人気な大久保利通。

 

しかし、僕は明治維新で最も傑出した人物は誰かと言われれば、間違いなく大久保であると考えています。

(好きかどうかは別として・・・)

 

そんな大久保はなぜ人気が無いのか?

 

その理由こそ、彼の誤解されやすい性格であり、近代日本を作ろうという確固たる使命感。

そして、そんな性格や使命感が災いし、最後は暗殺に散った大久保利通。

 

明治維新の意義とは何だったのか?

そして、その意義を考え、最も推進していったのは誰なのか?

 

そういった観点に立つことで見えてくる、大久保利通の実像に迫ってみたいと思います。

 

 

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近代国家を目指した大久保利通

出典:国立国会図書館ウェブサイト『近代日本人の肖像』より

明治維新の意義から見える大久保の偉大さ

まず、大久保たちが成し遂げた明治維新の意義について確認してみましょう。

 

明治維新とは簡単に行ってしまえば、日本を外国と対等に渡り合える近代国家に作り変えよう!ということです。

 

欧米列強の脅威にさらされた日本が外国に支配されない為に日本を近代化させる、つまり日本を世界水準に引き上げるために起こった革命、それが明治維新です。

 

そんな維新を実現する為に、古い権力である徳川幕府を打倒せなばならない。

 

そんな志を掲げ坂本龍馬や西郷隆盛の活躍で幕府は倒れ、明治維新は現実のものとなりました。

 

ところが、ここでひとつ問題があるんです。

 

確かに徳川幕府は倒れ、明治新政府が樹立されます。

しかし、明治新政府を立ち上げたものの、結局は徳川幕府の既得権益は残っており、この段階の日本は近代国家と呼べる状態ではありません。

 

明治維新とは、討幕後に日本をどう近代化させていくのか?

本来はここが最も重要なんです。

 

つまり、明治維新の本質『近代国家をつくる』という意味では、討幕は明治維新のゴールではなく通過点に過ぎないんです。

 

 

 

確かに龍馬や西郷の存在無くして討幕はあり得ませんでした。

 

しかし、討幕後に日本をどう形作るか?

 

この部分が見落とされ、討幕という派手な部分に注目が集まる、これが西郷や龍馬の人気が高い理由のひとつだと思うんです。

 

しかし、明治新政府樹立後に最も日本の近代化を推し進めた人物は誰なのか?

 

それが大久保利通なんです。

 

 

大久保の政策と反発

大久保が明治新政府樹立後に実施した政策は様々です。

 

版籍奉還や廃藩置県などなど・・。

 

そんな中でも特筆すべきは『殖産興業(産業の推進)』です。

 

つまり欧米の産業革命に倣って、日本も産業を盛んにしていこうとした訳です。

 

こうした中で、大久保が立ち上げた新しい組織が『内務省』です。

 

『内務省』は、産業促進に必要な工場の設立や貿易を一括管理できる画期的な組織でした。

 

しかし、この内務省のトップに大久保が就任したことで、独裁とも言える彼の専制政治が実施されることになります。

 

これが批判の的になり、当時の有力者『板垣退助』や『江藤新平』の反発を招きます。

 

明治維新の理念として、板垣を始めとする当時の政治家たちが持っていたもの、それは議論で物事を決める政治。

つまり現代風に言うと、民主主義に則った政治を行うこと。

 

また、長州藩の雄『木戸孝允』も、日本を近代化させる為に優先すべきは憲法の制定であると、大久保に反発します。

 

独裁に近い形で産業促進を推し進めた大久保は、批判にさらされることになったのです。

 

明治維新の理念に反し、殖産興業こそ近代国家への最重要課題であると考えた大久保。

しかし、その先には悲劇が待っていたのです。

 

 

凶刃に倒れた大久保

この後も廃刀令などの実施により、大久保は古い日本を捨て、強い近代国家への理想を追い求めます。

 

その結果、かつての武士階級であった士族の反発をも招きます。

その延長線上にあるのが、征韓論で敗れた西郷との対立。

西南戦争です。

 

西南戦争でかつての盟友 西郷を打倒し、それでも産業促進に邁進する大久保。

 

しかし、多くの反発を招いてきた大久保の命運は尽きようとしていました。

 

1878年5月14日。

明治天皇に謁見する為、自宅を出発した大久保。

その途上、大久保の政策に反発する士族たちの襲撃により大久保は命を落とします。

 

この大久保暗殺事件は『紀尾井坂の変』と言われています。

 

西洋に負けない近代国家を目指して産業促進に邁進していった大久保の理想は、ここに潰えることになったのです。

 

 

明治維新の本質を見抜いていた大久保

このように、大久保は周囲に何を言われようと絶対に揺るがない信念を持って、人の意見に耳を貸さず、とにかく産業を促進していきました。

 

これだけを見ると単なる冷徹な独裁者にしか見えません。

 

残念ながら、これが現在の大久保のイメージであり、人気が無い最も大きな理由なんだと思います。

 

ただ、明治維新の本来の意義を、もう一度思い出してほしいんです。

 

明治維新の本質とは、海外と対等に渡り合える日本をつくることです。

 

板垣退助が説くように、議論をすることで海外に負けない日本を作ることが出来るでしょうか?

木戸孝允が説くように、憲法を制定すれば強い日本になるのでしょうか?

 

ならないはずです。

 

ちょっとキツイ言い方をすれば、板垣や木戸の意見は、海外に対する外面を整えることにしかなりません。

 

日本国内を強くするにはどうするか?

それは国力を高めること、つまり経済力を高めること。

それが、殖産興業だったんです。

 

経済力を高める為には、日本に生きる民一人ひとりの力が必要です。

国民が商品を作らなければ、売るものがありません。

産業は促進できません。

経済は回りません。

 

日本人全員が産業促進の為に働ける国を作り上げる。

それが日本の経済力を高め、強い日本を作ることに繋がる。

 

一見独裁に見える大久保の政策。

しかし、その産業促進こそ、日本人一人ひとり向けられた政策だったんです。

 

明治維新の本質。

それは海外に負けない強い日本をつくること・・・

 

そんな本質を唯一見抜き、日本全体で国を強くする必要がある。

 

そんな想いを込めて近代国家の礎を築いた大久保利通こそ、真の明治維新の立役者と言えるのではないでしょうか。

 

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大久保の性格・・・

あんまり人気のない大久保ですが、彼が近代日本の礎を作った最大の立役者であることは間違いありません。

 

『近代日本をつくった』という観点から見た場合、僕は大久保が好きです。

幕末の好きな人物を挙げるなら、ベスト3には入ります。

 

ただ、大久保は無口であまり笑わない人物だったらしく、人から誤解されやすい性格だったそうです。

 

そんな大久保が独裁に近い事をやっていたら・・・

もし僕が大久保と同じ時代を生きていていたら・・・

 

好きにはなれなかったかもしれません・・・。

 

 

そして、現代でも大久保は人気がありません。

 

やろうとしていることは物凄く素晴らしいのに、やり方や性格が災いし、昔も今も人気が無い大久保利通・・・。

 

ちょっと哀れな感じがしてきます・・・。

 

そんな大久保利通の偉大さがよく分かる一冊はコチラです。

 

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では、今回はこの辺で!

ありがとうございました。