白粉(おしろい)で顔が真っ白にだった昔の貴族たち。平安時代をはじめ、昔の女性って顔が真っ白ですよね。ところで、なぜ白粉を塗って顔を真っ白にしていたのか理由をご存知ですか?
昔の日本では色白が美しいと言われていたのも理由の一つなのですが、厳密に言うとちょっと違います。平安時代の貴族たちが顔に白粉(おしろい)を塗っていたのには、もともと別の理由があったからなのです。
この記事では、男性も女性も日本の昔の貴族たちがなぜ白粉を塗っていたのか?その起源や理由をご紹介します。
本記事は音声でも解説しています。本文を読むのが面倒な方や、他のことをしながら聴き流したい方はぜひご活用ください。
白粉を塗っていた元々の理由
平安時代の貴族たちが、白粉を塗っていた理由。それは肌を美しく見せ、顔をハッキリ認識させるためでした。
顔を白くする文化は平安時代より前から存在していたのですが、「色白は美人の条件」とするようになったのは平安時代以降からだとされています。
昔は電気がありませんし、日が暮れた後に明かりを灯す手段と言えばロウソクなどの小さな火だけ。また、昼間でも屋内は薄暗かったのです。なので、同じ空間にいたとしても、相手の顔はぼんやりとしか認識できませんでした。
そこで、「顔を白くして薄明りの中でも出来るだけ顔を認識しやすくした」のが顔を白くする理由だったのです。
そして、徐々に顔を白くする文化が貴族社会の中に浸透していき、男女ともに顔を白く塗っている内に、平安時代頃には色白は美人の条件として認識されるようになっていったのです。つまり、色白が美人の条件だったから白粉を塗るというのは、後付けの価値観だったんですね。
白粉の影響で短命だった平安時代の人々
平安時代の真っただ中になると、色白は美人の条件になって行きます。当時の女性貴族をはじめ、清少納言や紫式部といった宮仕えしている女性たちも、白粉を塗って顔を真っ白にしていまいた。枕草子にも清少納言が白粉を塗っていたとが分かる記述があります。
ところで、白粉はどんな原料で作られていたかご存じですか?実は、かつて白粉は鉛を原料としていまして作られていたのです。
鉛は中毒症状を起こす物質が含まれているため、人体にとっては有害。そんな鉛を顔に塗りたくっていたわけですから、体調に非常に悪い影響を与えていました。
三大美人の一人とされる小野小町や、恋多き女性として知られる和泉式部は、鉛の毒素にやられ後年は病気になったりとか、肌がボロボロにだったとも言われています。
そのため、平安時代の女性は鉛毒の影響で短命だったとされているのです。
白粉を塗る理由まとめ
以上、平安時代の宮廷女性たちの顔が白い理由でした。
美しくあるために白粉を塗っていたことに間違いはありませんが、もともとは薄暗い室内で顔はハッキリと見えるようにするためだったのです。
女性たちが美しくなるために塗っていた白粉。もし本当に白粉の影響で病気なったり亡くなったりしていたのなら、『美人薄命』という言葉も、あながち間違いではないような気がしてきますね。
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