毎年冬になると猛威を振るう『インフルエンザ』。
かなりやっかいで、毎年多くの方を悩ませるウイルスですが、日本におけるインフルエンザの蔓延は、どのくらい昔から起こっているのでしょうか?
日本のインフルエンザの起源、そしてインフルエンザと『祇園祭』の意外な関係とは、一体どのようなものだったのでしょうか?
日本最古のインフルエンザの記録
貞観(じょうがん)5年。西暦で言うと863年。
時代区分で言うと、平安時代の前半の頃。
いまから およそ1150年前の出来事です。
平安京では『咳逆(がいぎゃく)』なる病が大流行し、多くの方が亡くなりました。
この『咳逆』という病気。
実は現代の日本でも、毎年冬になると大流行しているあの病気なのです。
『インフルエンザ』です。
863年の平安京で大流行した『咳逆』という病気が、日本で確認できるインフルエンザに関する最も古い記録なのです(日本三代実録に記載がある)。
『咳逆』の蔓延によって、多くの方が犠牲になった平安京。
しかし、不幸はこれだけではありませんでした。
さらに、翌864年には富士山が噴火したり・・・。
そして、869年には大地震が発生。
なお、この地震は『貞観地震』と呼ばれています。
震源地が三陸沖で、現在の岩手県、宮城県、福島県あたりに大津波が押し寄せ、多くの人が亡くなったと言われています。
震源地や甚大な津波被害などから、2011年の東日本大震災と同様の地震だったことが分かっています。
御霊会と祇園祭
このように、不吉なことが立て続けに起こったため、これは祟りではないかという噂が立ち始めます。
奈良時代から平安時代にかけては、多くの利権争いが勃発し、多くの人が無念の最期を遂げていました。
そういった者たちの怨念が、不吉な事象をもたらしていると考えたのです。
祟りを恐れた平安京の人々は、霊を鎮めるための祭りを行いました。
この祭りを『御霊会(ごりょうえ)』と言います。
この『御霊会』が、現在の京都で毎年行われている『祇園祭』です。
つまり祇園祭とは、インフルエンザを撃退するために始めたお祭りだったのです。
怨霊信仰
現代の日本人にも、祟りを恐れるという感覚は少なからずあると思います。
科学技術の発達により、現在では祟りを心から信じている人は少ないのかもしれません。
しかし、平安時代は違いました。
簡単に言ってしまえば、昔は怨霊や祟りの存在を、心の底から信じていたのです。
当時は、陰謀で貶められ、非業の最後を遂げた人物がたくさんいました。
恨みを残し、非業の最後を遂げた者たちは、怨霊となって現生の人々に災いをもたらす存在となります。
突然の病死、火災、飢饉や天災、それらの不幸は全て怨霊の呪いだと考えられていました。
当時の人々は、怨霊の存在を心底恐れ、逃れようとしていました。
そして、神として祀れば祟りは鎮まると考えられていました。
これを『怨霊信仰』と言います。
現代日本人が、霊的なものに恐怖を感じるのは、『怨霊信仰』による影響が脈々と受け継がれているからなのです。
日本の三大怨霊『平将門』『菅原道真』『崇徳上皇』は有名なところです。
彼らは全員、平安時代の人物です。
また、平安京にも怨霊を封じる為の施策がなされており、不吉なことがやってくるとされる鬼門の方角(北東)には、比叡山延暦寺が配置され、怨霊の侵入を防いでいます。
さらには、平安京自体が怨霊から逃れるために遷都されたものであるという説もあります。
現代は単なるオカルトで片付けられてしまうような話ですが、当時の人々にとって祟りや怨霊は深刻な問題だったのです。
インフルエンザと祇園祭まとめ
以上、インフルエンザと祇園祭りの関係でした。
祇園祭とは『インフルエンザ』という祟りから逃れるためのお祭りだったということなのした。
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