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拓麻呂です。
2020年(令和2年)のNHK大河ドラマ『麒麟がくる』。
明智光秀が主人公の本作ですが、光秀を支えた家臣たちも登場しています。
あまり知られていませんが光秀には重臣5人『明智五宿老』と呼ばれる武将たちがいます。
本能寺の変を起こす意思を、光秀から誰よりも先に告げられたとも言われる五宿老。
麒麟がくるに登場している人物もいるので、ドラマをより楽しむために、ぜひ注目してみてください。
明智五宿老まとめ
明智秀満(明智左馬助)
明智光秀の重臣として知られる『明智秀満(明智左馬助)』。
本能寺の変では先鋒を任されるなど、光秀の信頼も厚かった戦国武将です。
しかし、本能寺の変の後、山崎の戦いで光秀が敗れ間もなく亡くなった時、秀満はどこで何をしていたのでしょうか?
光秀亡き後の秀満と、その壮絶な最期、そして秀満が残した伝説『左馬助の湖水渡り』についてお伝えしていきます。
光秀と秀満の関係を家系図で分かりやすく解説しています。
斎藤利三
本能寺の変を実行した明智光秀の家臣『斎藤利三』
あまり知名度の無い武将ですが、光秀と共に本能寺の変にも深く関わり、意外と多くの有名人とも接点がある男です。
今回は、そんな斎藤利三と、歴史上の有名人たちとの接点を見ていきたいと思います。
明智光忠
『明智光忠』という戦国武将をご存じでしょうか?
本能寺の変を起こした明智光秀のいとこで、明智光秀の重臣です。
かなりマニアックな人物ですが、光秀家臣の中では、かなり重要な位置を占めている武将です。
そんな明智光忠とは、どんな人物だったのか?
簡単なプロフィールを交え、明智光忠という武将をご紹介します。
藤田行政(藤田伝吾/伝五)
藤田行政という戦国武将をご存じでしょうか?
通称『伝五』『伝吾』、または『伝五郎』。
その中でも『藤田伝五』と呼ばれるのが、最も一般的かもしれません。
知名度がほとんど無く、その事績や人物像も不鮮明な謎の武将『藤田伝五』とは一体どのような人物だったのでしょうか?
また、その最期はどのようなものだったのでしょうか?
溝尾茂朝(溝尾庄兵衛)
『溝尾茂朝(みぞお しげとも)』という戦国武将をご存じでしょうか?
知名度がほとんど無く、その事績や人物像も不鮮明な謎の武将『溝尾茂朝』とは一体どのような人物だったのでしょうか?
また、その最期はどのようなものだったのでしょうか?
まとめ
以上、明智五宿老のまとめでした。
5人とも本能寺の変の首謀者とも言える存在で、変後は主君の光秀とともに全員が散っていきました。
麒麟がくるに全員は登場しているわけではありませんが、ドラマをより深く楽しむため、把握しておいて損はないかなと思います。
麒麟がくる各話の感想、今後の展開予想、ドラマがさらに面白くなる歴史雑学などのまとめはコチラです。
では、今回はこの辺で!
ありがとうございました。