平安時代の物詣、つまり「お寺参り」は、現代のセミナー会場のような場で、しかも出会いの場だったことをご存じでしょうか?
今回は、平安時代の女性たちの楽しみの場でもあった「寺セミナー」についてご紹介します。
本記事は音声でも解説しています。本文を読むのが面倒な方や、他のことをしながら聴き流したい方はぜひご活用ください。
出会いに夢中で説経なんて聞いちゃいなかった?
清少納言が書いた枕草子の中に「説経の講師は」という章段があります。
この章は、この当時のお寺参りに行った際の雰囲気がわかる、とても貴重な内容です。
当時は、何人もの人がお寺に籠って、僧侶の説教を聞くということが日頃から行われていました。
これを物詣(ものもうで)と言いますが、現代に例えれば僧侶はセミナー講師みたいなもので、状況としては寺でセミナーが開催されており、そこにセミナー参加者が集まっている感じでしょうか。
なので私は、平安時代の物詣を「1000年前のセミナー」と呼んでいます。
本来であれば、お寺に籠って僧侶のありがたい説経を聞くのが目的なので、さぞ厳かで張り詰めた雰囲気なのかと思いきや、どうやら場の空気は必ずしもそうではなかったようです。
わかりやすく意訳して、枕草子の記述をお伝えします。
物詣で長らく会っていなかった人と久しぶりに会ったりすると、隣に座りこんで話し込み、しきりに頷き、気の利いたことを話題にしては扇を大きく広げて口に当てて笑ったり、綺麗に飾り立てた数珠を弄んだり、会場をあちこち見回したりして、庭の牛車の良し悪しを品評して、どこそこの誰が開催したセミナーの噂やら、あれがどうだった、これがどうだったなどと世間話に花が咲いてしまい、肝心の説経の内容なんか、てんで耳に入らない。
と、このように、セミナーに参加したものの、ちっとも話を聞かずにお喋りばっかりしていた人もいたようです。
ちなみに、話を聞かないのには、それなりの理由があるのだろうと清少納言は推測しています。
しょっちゅう聞いていることだから、もう耳にタコが出来ていて興味も湧かないということでしょう。
と、他人事のように言っていますが、実は清少納言自身も割と不信心なところがあって、まともに説経を聞いていなかったと思われる記述が存在します。
説経の講師(経典の意味を説いて聞かせる人、講義する人)は美男子、イケメンが良い。講師の顔をじっと見つめてこそ、話のありがたさがわかります。
よそ見をしていたら、話なんてすぐに忘れてしまうから、イケメンじゃない人のお話を聞くのは罰当たりな気がして心配です。
あるいは、
説経が催されると聞くと、どこへでも真っ先に出かけ、座って待っている人など、不信心な私には「そこまでしなくても良いのでは?」と思ってしまいます。
以上のように、お寺セミナーは旧友と出会える楽しい場でもあったようです。
爽やかな男性との出会い
お寺でのセミナーは旧友だけでなく、異性との出会いの場でもありました。
引き続き、わかりやすく意訳した枕草子の記述を見てみましょう。
蝉の羽より軽そうな衣装を着た、若くすてらっとした貴公子が3、4人、さらにお供の人数もそれくらいの人数で、一行が会場に入ってきた。
【中略】
彼らが帰る時、立ち去り際に女車(女房が乗る牛車のこと)に視線を流して、何かを話し合っているのも、一体なにを噂しているのかとドキドキする。
このように、清少納言ら女性たちは目に留まった男性貴族にドキドキし、一方男性貴族たちも女房が乗ってきたと思しき牛車に目を移し何やらひそひそ話をしています。
つまり、お寺でのセミナーは男女がお互いを意識し合う、出会いの場でもあったわけですね。
今も昔も存在したセミナーマニア
さらに清少納言はこんなことも言っています。
「どこそこでセミナーがあった」などと噂が出る度に、「誰それの姿はありましたか?」「あの人がいないはずがない」などと、いつも名前の挙がる人はどうかと思う。
さらに、【出会いに夢中で説経なんて聞いちゃいなかった?】のところでご紹介した清少納言の言葉を、もう一度確認してみましょう。
しょっちゅう聞いていることだから、もう耳にタコが出来ていて興味も湧かないということでしょう。
これらの記述から察するに、物詣をしまくる人、つまり現代のセミナーマニアのような人も存在していたようですね。
平安女性にとって貴重な場だったお寺参り
以上、平安時代は出会いの場だった寺セミナー(物詣)についてお伝えしました。
この記事では「出会いの場」と表現していますが、実際のところ、当時の貴族女性は宮仕えでもしない限りはほとんど家から出ず、かなり閉鎖された環境で生活していました。
ゆえに、物詣は数少ない外出の機会でもあり、友人知人、あるいは異性と出会い、お喋りに花が咲かせられる楽しいイベントだったと考えられます。
物詣に関する記述は、「蜻蛉日記」や「更級日記」などにも出てくるため、当時はわりと日常的に行われていたと思われます。
そういった日常の雰囲気を知る上で、今回の枕草子の記述は非常に興味深いものだと感じますね。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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【参考にした主な書籍】