平安時代の貴族女性と言えば「十二単」を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか?
この記事では、平安時代の貴族女性はいつも十二単を着ていたのか?という観点で、基本的な内容である「裳(も)」「唐衣(からぎぬ)」「袿(うちき)」「小袿(こうちき)」にポイントを絞ってお話しします。
今回お話するような内容を知っていると、王朝文学や大河ドラマ「光る君へ」などがより楽しめますので、ぜひ最後までお読みいただけると嬉しいです。
本記事は音声でも解説しています。本文を読むのが面倒な方や、他のことをしながら聴き流したい方はぜひご活用ください。
十二単の基礎知識①『裳』と『唐衣』
まずはじめに結論から言ってしまうと、よくイメージされるようなゴテゴテに着飾った十二単を、貴族女性がいつも着ていたかというと、ちょっと違います。
いわゆる十二単は「女房装束」と呼ばれるもので、簡単に言うと平安女性が着る正装バージョンの衣装です。
そして、正装バージョンとは別に普段着バージョンが存在していました。
そんな正装バージョンと普段着バージョンを見分けるポイントが「裳」と「唐衣」です。
※女房装束には他にも着用している物があるのですが、わかりやすくするために今回はひとまず「裳」と「唐衣」に絞ってお伝えします。
「裳」は腰のあたりに装着して後ろに垂らしてある長い物です。
「唐衣」は上半身の一番上に羽織る短い物です。
言葉で説明するのはなかなか難しいので、下記の画像の左側の女性(倫子)を見て頂ければと思います。
この「裳」と「唐衣」が装着されている女房装束が、一番の正装になります。
おそらく一般的にイメージされる平安時代の十二単は、この状態ではないでしょうか。
この「裳」と「唐衣」を着る時は、基本的には貴人の前に出る時、あるいはご主人様の前にでる時の格好なので、例えば紫式部でしたら主の彰子の前に出る時には裳と唐衣を装着します。
例えるなら、女房たちが働く際の制服みたいなイメージですね。
枕草子にも、清少納言が女房仲間と寝ていた時に主に当たる定子と一条天皇がいきなり登場し、あたふたと唐衣を羽織るシーンが描かれています。
帝と定子様が突然お出ましになったので(中略)、私たちは唐衣を申し訳程度に汗衫(下着のようなもの)の上に引っかけて・・・
では、主人にあたる人物は一体どんな装束だったのか?について、次にご紹介します。
十二単の基礎知識②『袿』と『小袿』
定子や彰子などの天皇のお后様が家にいる時は、小袿姿、あるいは袿姿という出で立ちでした。
基本的には色違いの袿を重ねて、一番外側に小袿を着用します。
比較的ラフな服装が袿を重ね着しただけの状態で、それよりやや正装になるのが小袿を一番外側に着た状態です。
前述の裳や唐衣を装着する際も袿は重ねていますが、小袿は着用しません。
逆に言うと、小袿を着る時には、裳や唐衣は装着しません。
ちなみに、紫式部や清少納言などの女房も普段着は袿です。
そして、例えばですが、紫式部が正装の女房装束を着ている時(唐衣や裳を装着している時)は、主にあたる彰子の前に出る時です。
この時、彰子は袿か小袿姿の普段着の状態でした。
なんとなく貴人の方が、きちんとした格好をしている印象があるのですが、実は逆なんですね。
では、彰子などのお后様が唐衣や裳を着る正装の女房装束になるのはどんな時かと言うと、天皇の前に出る時です。
ややこしいので、ここで一旦まとめると、
・準正装が小袿を着た状態。
・普段着が色違いの袿を重ねているだけの状態。
という感じで捉えて頂くと良いと思います。
『裳』『唐衣』『袿』『小袿』を画像で確認
ここで再度の下記写真を見ていただくと、より理解しやすいかと思います。
右側の女性が彰子で、左側の赤ちゃんを抱いている女性が倫子という女性です。
倫子は彰子の母親にあたります。
画像を見ると、倫子が裳と唐衣を装着しているのが確認できますね。
一方の彰子が小袿を着た状態です。
つまり、彰子の方が立場が上で、倫子の方が立場が下と言うことですね。
普通に考えると母親の倫子の方が立場が上に感じますが、ここでは倫子が下になっています。
なぜかと言うと、彰子は天皇のお后様なので、彰子の方が貴人にあたるわけです。倫子は彰子の母親ではあるものの、きっちりと裳と唐衣を着て、娘との関係性をはっきりさせているわけです。
実際にこの絵の時の状況が紫式部日記に詳しく書かれているのでわかりやすく意訳した言葉で確認してみましょう。
倫子様は、若宮様(彰子の子)を抱いて、赤色の唐衣、地摺(じずり)の裳で麗々しく衣装を整えていらっしゃる彰子様は、葡萄染(えびぞめ)の五重(いつえ)の御袿(うちき)に、蘇芳(すおう)の御小袿(こうちき)をお召しになっている。
と綴られています。
このように、倫子が唐衣と裳を着用し、彰子が小袿を着ていたことがわかります。
親子の関係性が垣間見える非常に興味深い部分ですね。
夏の衣装はスケスケだった!?
ここまで、唐衣や袿などをお話してきましたが、いずれにしても数枚を重ねて来ていることには変わりないので、夏は暑くて仕方なかったようです。
そこで、夏の普段着として「単袴(ひとえばかま)」、あるいは「単(ひとえ)」なるものが存在していました。
単袴とはその名の通り一枚物の着物で、体が見えてしまうようなスケスケの着物だったようです。
この頃の単は言ってしまえば、下着や肌着みたいなものと捉えて頂ければと思います。
清少納言は枕草子で、この単について言及しており、こんなことを言っています。
痩せた色黒の人が着ると見苦しい
「色黒の人」とは、こんがり日焼けした人でしょうか。
この記述からすると、やはり単は地肌が見えてしまうような透け感だったと思われます。
言い換えると、少々官能的というか、色気のある衣装だったようで、あまり感心できない姿として見られていたようです。
女房装束の基礎知識まとめ
以上、十二単(女房装束)の中から「裳」「唐衣」「袿」「小袿」を中心にお伝えしてきました。
まとめると、
・準正装が小袿を着た状態
・普段着が色違いの袿を重ねているだけの状態
で、唐衣や裳を着用するのは身分の高い人の前に出るときで、あくまで普段着としては袿を重ねて着ていたということです。
そして暑い夏は「単」という薄い衣装を着ていたけど、少々品の無い姿と見られていた、ということです。
2024年の大河ドラマ『光る君へ』は紫式部が主人公です。
おそらく彰子と紫式部であったり、定子と清少納言が一緒に登場するシーンがあると思います。
また、王朝文学には女房装束について触れている部分が結構出てきます。
そういった場面を見る時に、今回お伝えした内容を知っていると、実際に作品を読んだ時の理解度が深まるのはもちろん、よりドラマが楽しめるのではないかと思います。
今回ご紹介した唐衣や裳を着用した状態の重さは、どのくらいだったのか?十二単の重量をご紹介した記事もありますので、興味のある方はぜひご覧になってみてください。
このブログでは、ドラマや王朝文学がさらに楽しくなるような小ネタや豆知識なども随時執筆していきますので、ぜひお楽しみしして頂ければと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。