平安時代の牛車の種類とは?速度はどのくらい?わかりやすく解説します

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平安時代の女性たち

平安貴族のメジャーな移動手段「牛車」

現在の自動車と似ている部分がいくつもあって、ちょっとした豆知識を知っているだけで、平安時代を身近に感じられ、王朝文学もより楽しめるようになること間違いなしです。

 

この記事では、平安時代のメジャーな乗り物「牛車」に関する雑学をお届けします。

 

本記事は音声でも解説しています。本文を読むのが面倒な方や、他のことをしながら聴き流したい方はぜひご活用ください。

 

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牛車ランキング

「牛車」とは、牛の車と書く通り、牛が引っ張る車です。

4人乗りで中流以上の貴族が利用できました。

 

現代では全く見ることが無くなってしまった牛車ですが、平安時代頃にはメジャーな移動手段として活用されており、当時の文学作品にもたくさん登場しています。

そんな牛車には、現代の自動車のように、高級車的なものから大衆車的なものが存在していました。

 

ここでは、代表的な牛車の種類をいくつかピックアップしてご紹介します。

 

唐車

最も高級な牛車が、「唐車(からぐるま)」というものです。

例えるならランボルギーニやフェラーリあたりでしょうか。

 

この唐車に乗れるのは、上皇(譲位した天皇)、皇后、摂政、関白と、かなり限られた人物のみでした。

なので、普段からその辺を走っているような牛車ではなかったと思われます。

 

現在の一般道でも、ランボルギーニやフェラーリなどを見かけることはあまりありませんが、平安京内でも唐車を見かけることは、そうそうなかったのではないでしょうか。

 

ちなみに、天皇は牛車には乗らず、基本的には人が担ぐ輿に乗っていたようです。

 

檳榔毛の車

続いて高級だったのが、「檳榔毛の車(びろうげのくるま)」と呼ばれる牛車でした。

例えるなら、メルセデスベンツやポルシェあたりでしょうか。

 

この檳榔毛の車に乗れるのは、四位以上の大臣(ざっくり言うと公卿クラスの人)、大納言、中納言といったくらいの高い貴族のみでした。

実はこの檳榔毛の車に関しては、清少納言が枕草子で理想的な速度について言及しているので、後程お伝えします。

 

糸毛車

続いては「糸毛車(いとげのくるま)」と呼ばれる牛車です。

例えるなら、こちらはレクサスの高級車種といった感じでしょうか。

 

糸毛車の車に乗れるのは中宮や女御、東宮(とうぐう皇太子)と言った人たちでした。

なので、清少納言がお仕えした中宮定子や、紫式部がお仕えした中宮彰子は、この牛車に乗っていたということですね。

 

網代車

そして、最後が「網代車(あじろぐるま)」です。

こちらは、現代の道路で一般的に見かける大衆車といった感じでで、かなり幅広い地位の貴族たちが乗っていました。

 

清少納言紫式部が乗っていたのも、この網代車だったのでしょう。

 

と言う感じで、代表的な牛車については以上のような感じですが、このほかにも様々な文様を施したバリエーションもありました。

 

清少納言の理想の速度

続いて牛車はどのくらいのスピードがでたのか?という点についてです。

具体的に時速何キロくらいというのは難しいのですが、枕草子の中での檳榔毛の車と網代車の理想的なスピードについて言及しているのでご紹介します。

 

まず、檳榔毛の車に関しては、

清少納言
清少納言

ゆっくりと走らせるのが、その貫禄に相応しい、色位で走らせるのは似合わない

と言っています。

 

檳榔毛の車は公卿クラス(地位の高い貴族の人)が乗る牛車なので、ゆったりを走った方が貫禄があって良いということなのでしょう。

 

一方、大衆車であり網代車に関しては、

清少納言
清少納言

早く走らせるのが良い

と言っています。

 

この記述に関しては、あくまで清少納言の好みの問題なので、檳榔毛の車がいつもゆっくりとしていたわけではないと思われますが、ひとつの意見としては以上に興味深いかなと感じます。

 

意外と早い!牛車の速度

また、同じく枕草子で、「五月の御精進のほど」という章段で、牛車のスピードがなんとなくわかる興味深いエピソードがあります。

 

清少納言たち定子付きの女房たちが牛車に乗っていたのですが、その際に清少納言が、

清少納言
清少納言

速度をあげよ!

と、おそらく牛飼童に命じているのであろう場面があります。

 

ちなみに牛飼童とは、牛車の牛を操る人です。(牛飼「童」とは言っていますが、普通に大人の人もいたようです)

 

この時に清少納言たちが乗った牛車を、藤原公信(きんのぶ)という男性貴族が着替えの途中みたいな状態で必死で追いかけてくるコントみたいな話があるのですが、この時の公信が牛車に追いついた時にかなり息を切らしている描写があります。

 

あくまでザックリとした数値ですが、成人男性が全力疾走した際の平均的な時速が20数キロ、20キロ中盤くらいだそうです。

この時の公信はおそらく20代前半くらいなので、少なくとも若い成人男性の息が切れるほどのスピードは出せた可能性があります。

 

単純に牛車と公信の距離が離れていたために、全力疾走した結果、息が切れていただけかもしれませんが、いずれにしてもそれなりの速度を出そうと思えば出せたようですね。

 

牛車の故障車、交通事故・・・

では最後に、牛車に関する記述の中から現在の自動車に通じるような興味深い記述をご紹介します。

 

藤原道綱母が書いた蜻蛉日記には、道綱母が牛車に乗ってでかけた時に、道中で休憩をとって、牛に餌や水を与えている場面があります。

 

藤原道綱母
藤原道綱母

現代でいう所の、ドライブの途中にサービスエリアや道の駅で休憩と給油を行っているような感じではないでしょうか。

 

続いて枕草子から。

清少納言は枕草子の中で「あさましきもの」ということを書いています。

あさましきものとは、「驚かされてしまうもの」とか「びっくりすること」みたいな意味です。

 

そこで清少納言は、ひっくり返った牛車に驚いており、

清少納言
清少納言

牛車のような大きいものがひっくり返るなんて信じられない

というような気持ちを吐露しています。

 

これなんかは、まさしく交通事故現場を目撃したのと同じような感覚ではないでしょうか?

 

嫌な人と乗り合わせて気まずい空気に・・・

続いて紫式部日記にも、興味深い記述があるのでご紹介します。

 

紫式部が馬の中将と言う女房と2人で牛車に乗ることになった際、馬の中将があからさまに嫌そうな雰囲気だったことが書かれています。

 

実際に車中の雰囲気がどのような状態だったかまでは書かれていないのですが、馬の中将の反応には紫式部も不愉快だったようで、車内の空気感はかなり気まずい感じだったのではないかと思えてなりません。

 

現代でも、あまり仲良くない人や苦手な人、気を使う人なんかと2人で車に乗るのは、できれば避けたいところですよね。

 

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牛車の雑学まとめ

以上、牛車の雑学でした。

 

ここまでご紹介したとおり、現代の自動車が日常に溶け込んでいるのと同じように、平安時代の牛車も平安京の日常に溶け込んでおり、現代の自動車と共通する部分がたくさんあったんですね。

 

そう考えると、平安時代がより興味が湧きますし、1000年前が急に身近に感じたりしませんか?

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

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