紫式部や清少納言、赤染衛門と並び、一条朝の四才女の一人に数えられる女性『和泉式部』。
スキャンダラスな女性として知られる彼女ですが、はたして美人だったのでしょうか?
数少ない記録をもとにイメージを膨らませながら、和泉式部の復顔を試みたいと思います。
和泉式部の顔を復元
和泉式部の容姿を探る材料
これまで、同時代の女性として『清少納言』と『紫式部』の復元を試みてきました。
彼女たちの場合は、少なからず容姿の参考になりそうな記録があったので、それを参考に復元をしました。
【清少納言の復元】
【紫式部の復元】
しかし、和泉式部に関しては、見た目に関する記録は一切残っていません。
一応、下記のような絵が残っていますが、かなりデフォルメされているのであまり参考にならなそうです。
という感じなので、あえて容姿を想像するとするならば、彼女が残した文学作品『和泉式部日記』を頼るしかありません。
あるいは、紫式部が自身の日記(紫式部日記)で、和泉の人柄について触れているので、その点も参考にできるかもしれません。
『和泉式部日記』と『紫式部日記』。この二つの文学作品を手掛かりに、和泉式部の容姿を探っていきたいと思います。
和泉式部日記の内容
和泉式部日記によると、彼女は『為尊親王』と『敦道親王』という、天皇の息子兄弟の二人と恋仲になっています。
今で言えば、平社員の女性が、会社役員を任された社長の息子と結ばれてしまったようなものです。つまり、大スキャンダラスですね。
また、和泉式部と関係を持った男性は、少なく見積もって10人はいると言われています。
このような恋愛遍歴を持つ和泉式部は、しばしば『魔性の女』という扱いを受けています。
なお、和泉式部の身分を超えた大恋愛の模様は記された『和泉式部日記』の詳しい内容はコチラの記事をご覧ください。
紫式部の和泉式部評
続いて、紫式部日記の記述を見てみましょう。
少し長いですが、紫式部の和泉式部評を現代風にしてご紹介します。
和泉式部が素敵な恋文を書いているようです。でも、和泉式部にはちょっと感心できないところがあるのですが・・・。とは言え、日常で走り書きしている手紙には、即興の文才があって、何気ない言葉に素敵な香が立つかのようです。和歌は本当にお見事です。和歌に対する知識は本格的とは言えませんが、即興で口から出る言葉の中に必ず「おっ」と感じる一言が添えられています。
でも、彼女が人の和歌を批評しているのを見ると、「そこまで頭では考えておらず、思わず口をついて和歌が溢れ出る天才型なのでしょう」と思います。ですので「頭の下がるような歌人だ」とまでは、私は思っていません。
要約すると『男癖は感心しないけど、和歌は上手』ということですね。
天才的な閃きから生み出される巧みな語彙力で、男性のハートを射抜く和歌を詠んでいたようです。
このように、紫式部日記の記述からも、魔性の女っぷりが伝わってきます。
ちなみに、この当時の権力者 藤原道長からも『浮かれ女(うかれめ、浮気っぽい女性)』というレッテルを貼られています。
和泉式部を復顔
ということで、以上の内容を元に、想像を膨らませて顔を復元してみます。
和泉式部日記と紫式部日記から伝わってくる和泉の人物像。それは『恋多き魔性の女』。
ということは、現代的な言い方をすれば、ちょっと遊んでそうな女性だったということなのかなと思います。
見た目も、どちらかというと派手目な感じでしょうか。
これらの人物像を元に、僕なりのイメージで和泉式部の顔を復元してみたいと思います。
魔性の女『和泉式部』が現代に生きていたら・・・
こんな感じだったのかもしれません。
いかがでしょうか?
ちょっと派手目な女性に仕上げてみました。
かつて復元した清少納言や紫式部に比べると、かなり美形な感じになりましたね。
まとめ
以上、和泉式部の復顔でした。
清少納言や紫式部と違い、容姿に関する記録が全く無いので、和泉式部日記からのイメージを相当膨らませて作成してみました。
なので、本当にこんな見た目だったかどうかはわかりませんが、一つの娯楽として楽しんでいただければ嬉しいです。
清少納言と紫式部の復元は、コチラの記事をご覧ください。
【清少納言の復元】
【紫式部の復元】
この他にも、日本の歴史上の女性を、当時の記録などを元にして復元しています。