織田信長の正妻 濃姫。
夫の織田信長と言えば、本能寺の変で家臣の明智光秀に裏切られたことで知られていまが、本能寺の変が起こったその時、妻の濃姫はどこで何をしていたのでしょうか?
実は濃姫は、その最期もハッキリしておらず、本能寺の変の時にどこにいたかもよく分かっていません。
そこでこの記事では、本能寺の変が起こった時の濃姫を巡る謎と様々な説を見ていきたいと思います。
本能寺の変の前に織田信長とはすでに離縁していた?
意外と知られていないのですが、濃姫と織田信長は子宝に恵まれませんでした。
織田信長の子供は、母親不詳を除き全て側室の子とされています。
濃姫と織田信長は政略結婚で結ばれました。濃姫は斎藤道三の娘なので、織田信長の妻となることで、織田家と斎藤家の同盟が成立します。
しかし、斎藤道三が亡くなった後、濃姫の実家である斎藤家が織田信長と敵対し滅亡に追い込まれてしまいました(美濃攻め)。
このような斎藤家の滅亡により、同盟していることの意味が無くなってしまったこと、さらに信長との間に子が無かったことが影響し、濃姫は離縁させられたという説があります。
この説が正しいとすると、本能寺の変が起きた時、濃姫と信長は夫婦関係が解消されていることになるのです。
つまり、本能寺の変が発生した段階では、織田信長濃姫は離婚済みであり、すでに他界していた可能性も捨てきれません。
離縁され明智城の戦いで亡くなった?
濃姫の実家である斎藤家は、当主の斎藤道三と息子の斎藤義龍が不仲となり、『長良川の戦い』という戦いが勃発しています。
この戦いが波及し、明智城の戦いが発生。明智光秀らが籠っていた明智城が、斎藤義龍の軍勢に包囲され落城してしまいました。
そして、織田信長と離縁されていた濃姫は明智城におり、落城に亡くなったとする説があります。その際、実父の斎藤道三を討った義龍に対し、濃姫は恨みを抱いていたとも言われているのです。
こういった恨みの表れとして、斎藤道三に味方していた明智光秀らの籠る明智城に身を寄せていたのではないか、との見方もあります。
しかしながら、この説が正しいとするならば、明智城の戦いは弘治2年(1556年)の出来事。つまり濃姫は20歳ちょっとで早世していることになります。
もちろん天正10年(1582年)に発生した本能寺の変より前に、濃姫は亡くなっていたことになります。
濃姫が本能寺の変で戦っていた?
ドラマなどの創作物では、この説が最も採用されているのではないでしょうか。
本能寺の変が起こった時、濃姫は織田信長に同行しており、薙刀を振るって奮戦するも討死したとする説です。
ただし、この説は史料的な裏付けがあるわけではなく、創作である可能性が高いです。
とは言え、映像作品としては非常に劇的なシーンになりますし、濃姫の最期がハッキリしていないからこそできる演出でもありますね。
この説を採るならば、濃姫は本能寺の変の犠牲者ということになるので、悲劇のヒロイン的なドラマティックな最期を想像してしまいますが、真偽のほどは定かではありません。
濃姫は長寿だった?
「濃姫は江戸時代まで生きていた」という説もあります。
公家の山科言継の日記など、当時の記録に濃姫らしき人物が登場していることなどから、長生きしたんじゃないかという説です。
また、天正15年(1587年)頃の織田家の家族構成などをまとめた記録(織田信雄分限帳)に『安土殿』と呼ばれる女性が登場してくるのですが、これが濃姫ではないかとする説もあります。
濃姫は天文4年(1535年)頃の生まれとされているので、江戸時代まで生きていたとすると、少なくとも70歳近くまでは存命しており、結構長生きだったことになります。
この説が正しいとすると、濃姫は本能寺の変を生き延びたことになるため変の発生時にはどこか別の場所にいて、難を逃れた可能性もありますね。
謎だらけの濃姫
日本の歴史を代表する超大物 織田信長の正妻である濃姫。夫が夫なだけに、濃姫の知名度も抜群です。
しかし、その知名度とは裏腹に、濃姫の素性はほとんど分かっていません。女性の記録と言うのは、濃姫に限らずあまり残っていないケースが多いのです。
濃姫の場合は立場的にも、もっと記録があっても良さそうなのですが、残念ながらほとんど分かっていません。
このミステリアスさが、現在の濃姫のイメージに大きく影響しているように感じます。
ゲームなんかでも、妖艶な美女として登場することが多いのは、そのミステリアスさ故であり、不明なことが多いからこそ、それぞれの濃姫像を作りやすいと言えるのではないでしょうか?
謎が多いが故に、自分の理想をイメージしやすい懐の大きさを持った歴史上の人物。
それが濃姫の魅力なのかなと考えています。
濃姫の最期まとめ
以上、濃姫の最期と本能寺の変の時に何をしていたのか?でした。
・本能寺の変で討死した説
・本能寺の変後も存命で長寿だった説
などなど、濃姫の最期は謎だらけでハッキリしていませんが、個人的には本能寺で信長と一緒に散っていったというのが、やっぱり濃姫のイメージに合うのかなと思います。
このミステリアスさも、濃姫の魅力のひとつですね。
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