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拓麻呂です。
謎に包まれた古代日本の姿。
昨今の発掘調査や、日本神話の記述からすると、『大和(やまと)』と『出雲(いずも)』という2つの強大な国家間で、何かが起こっていたことは間違いありません。
大和と出雲の間には、一体何があったのか?
日本神話の記述を元に、その謎に迫ってみたいと思います。
大和と出雲
強大な出雲国家
現在の島根県にある出雲大社。
ここにお祀りされているのが、『大国主神(おおくにぬし)』という神様です。
大国主は、日本の国土を作り上げた神様であることが、古事記の中で語られています。
同じく島根県にある『荒神谷遺跡(こうじんだにいせき)』からは、358本の銅剣が出土していますが、その当時、全国で見つかっている銅剣を全て集めても300本くらいだったと言われています。
その出土数の多さが如何に凄まじいものであったかが分かります。
その他にも、銅鐸や銅矛も出土しています。
また、古事記における日本神話の約3分の1が大国主のエピソードとなっています。
このようなことから、出雲国家が強大な経済力、軍事力を持っており、古代日本を語る上で無視できない存在であったことが分かります。
大国主が治めていた強大な出雲国家。
ここに大和国家を治めていた『天照大御神(あまてらすおおみかみ)』が、接触してきます。
これが『出雲の国譲り』という神話に繋がっていきます。
国譲り神話
まずは、出雲の国譲り神話の内容を簡単にご紹介します。
オオクニヌシはスクナビコナ(蛾の神様)と共に日本の国土(地上世界)を作り上げました。
しかし・・
高天原(天上世界)のアマテラスは、『地上世界はアマテラスの子供(アメノオシホミミ)が治める国である』として、地上に神様を派遣します。
しかし、遣わされた神様たちは、オオクニヌシの娘と結婚してしまいました。
偵察で鳥を向かわせたりもしましたが、ことごとく失敗しました。
その後、『タケミカヅチ』という剛腕の神様を遣わしました。
最初はオオクニヌシの息子たちが抵抗しましたが、対抗しきれずにオオクニヌシは地上世界をアマテラスに譲ることを決意します。
こうして、オオクニヌシを高天原に届くような壮大な宮殿に祀ることを条件として国譲りが行われました。
これが国譲り神話の概要です。
神話と言うと、荒唐無稽な作り話という印象があるかもしれませんが、昨今の考古学の成果などにより、一部は史実だという指摘もされています。
この国譲り神話を見る限り、天照大御神が出雲を横取りし、大和に併呑したかのような内容になっています。
これは果たして何を意味しているのでしょうか?
出雲と大和の間に何があったのか?
天照大御神に国を譲った大国主。
譲ったという言い方をすると、とても柔らかく感じるのですが、実際は多少の武力衝突はあったのではないかと考えています。
国譲り神話で語られる、鳥を偵察に差し向けた逸話や、大国主の息子が抵抗した話などは、何らかの武力衝突があったことを物語っているのではないでしょうか。
そして、結果的に大和が勝利します。
しかしながら、大国主を壮大な宮殿に祀るという条件を、大和側が認めていること、あるいは大きな戦争の痕跡が出土していないことなどから、多少の武力衝突があったものの、基本的には話し合いで決着したのかもしれません。
大国主を祀ることを認めるということは、出雲が独自に崇拝しいた宗教を、大和が認めたということです。
なお、この時に大国主を祀った壮大な宮殿が、出雲大社です。
世界史的を俯瞰すると、いつの時代も多くの宗教戦争が勃発しています。
そういった中で、大きな争いの痕跡がなく、異なる宗教を認め併合された大和と出雲。
これは、とても珍しく、また先進的なことであってようにも感じます。
まとめ
以上、大和と出雲の間に何があったのか?でした。
若干の武力衝突はあったものの、基本的には話し合いで併合されたと思われる出雲。
そんな国譲り神話の象徴こそが、今なお多くの信仰を集める出雲大社なのです。
謎だらけの国譲り神話が意味する真実をさらに深く知りたい方は、コチラもご覧ください。
では、今回はこの辺で!
ありがとうございました。