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『敬天愛人』拓麻呂です。
2018年の大河ドラマは『西郷どん』
鹿児島の英雄『西郷隆盛』が主人公です。
西郷さんといえば明治維新の立役者、幕末の英雄です。
大河ドラマでも幕末物は多く、西郷さんを始め、たくさんの英雄が登場します。
坂本龍馬、大久保利通、高杉晋作などなど。
そんな彼らが活躍する幕末のキーワードに『尊王攘夷』という考え方があります。
当時の人々がどのような考えで明治維新を成し遂げたのか?
幕末のドラマを見る際には、この『尊王攘夷』に代表される、それぞれの考え(思想)を知っておくと、より深くその世界観を楽しむことができます。
今回は、尊王攘夷を始めとする幕末の思想に迫ってみたいと思います。
尊王攘夷?佐幕?公武合体?
幕末の主義思想の種類と発端
ではまず、代表的な幕末思想を確認してみましょう。
- 尊王論(そんのうろん)
- 攘夷論(じょういろん)
- 開国論(かいこくろん)
- 佐幕論(さばくろん)
- 討幕論(とうばくろん)
- 公武合体論(こうぶがったいろん)
- 公議政体論(こうぎせいたいろん)
大枠としては、このような感じです。
幕末と言うと、『尊王攘夷』VS『佐幕』の対立構図であるかのようにイメージしがちですが、実際はもっと複雑です。
また、一口に幕末思想と言っても時代の流れと共に変化していきますので、その辺は注意が必要です。
また、幕末にたくさんの思想が入り乱れた背景には、欧米列強の存在があります。
マシュー・ペリー率いる黒船の来航です。
歴史の教科書でも大きく扱われている出来事なので、下手な日本の偉人より、ペリーの顔の方が有名なほどです。
この時期、周辺のアジア諸国は欧米列強に征服(植民地化)されており、日本もその標的とされていたのです。
最近は否定的な見解もありますが、江戸時代の日本は『鎖国』をしています。
鎖国によって一部の諸外国としか関係の無かった日本にも欧米列強、つまり外国の脅威が迫ってきたことによって、幕末日本には様々な思想が入り乱れるのです。
『このまま鎖国を続けてよいのか?』
『欧米列強の要求を聞いたほうが良いのではないか?』
『徳川幕府で対応できるのか?』
『これからの日本はどうあるべきか?』
このような時代背景があることを、ちょっと覚えておいてください。
では、次にそれぞれの思想の中身を確認してみましょう。
尊王論と攘夷論
まずは『尊王(そんのう)』と『攘夷(じょうい)』について。
この『尊王』と『攘夷』は、よくひとくくりにされて『尊王攘夷(そんのうじょうい)』と言われていますが、元々は全く別の考え方です。
『尊王』とは・・・
日本は天皇を頂点とするべきである
とい考え。『王と尊ぶ』とうのが語源です。王とはもちろん天皇の事です。
この『尊王』という思想は程度の差はあれ、古代から現代まで日本には一貫して存在する考えです。
また、様々な思想が交錯する幕末ですが、『尊王』という考えはどの思想にも当てはまるものであり、『尊王』が根底にない考えは、基本的に存在しないと思って良いです。
では、次に『攘夷』です。
『攘夷』とは・・・
武力によって外国人を追い払う
という考え。『夷人(いじん、外国人のこと)を打ち払う』が語源です。
つまり、ここで言う『攘夷』とは、日本を征服しようとする欧米列強に屈することなく、外国人を追い払うという事です。
そして『尊王』と『攘夷』がくっついた思想が『尊王攘夷』
(将軍ではなく)天皇を日本の頂点にして、外国人を追い払う
これが、いわゆる『尊王攘夷』と言われる考え方です。
吉田松陰や高杉晋作に代表される長州藩が、この思想を最も強く現しています。
西郷や大久保利通の薩摩藩も同様です。
まとめると・・
『尊王』は当時の人々の基本的な考え方
『攘夷』は欧米列強に強い嫌悪感を抱いた人たちの考え方
と言った感じです。
では、これらの思想を元に『開国』論を見てみることにしましょう。
開国論
開国論とは一言でいうと『外国人を受け入れよう』という考えです。
考え方によっては『攘夷』の逆に位置する思想とも言えるでしょう。
つまり『鎖国をやめて開国する』という事です。
この思想の背景には、欧米列強の技術力を手に入れて、日本も近代化を目指そうという思惑があります。
とは言え、ペリーの黒船来航にびびった徳川幕府は『日米和親条約』を締結し、実質開国しています。
この幕府の弱腰外交には賛否があり、世論は賛成派と反対派に分かれていきます。
その結果として、前述の『攘夷』という思想が猛威を振るい、やがて『日本の運命を徳川幕府に委ね続けて良いものか?』という疑念が生まれます。
この思想を代表するのが土佐藩の坂本龍馬です。
そして、ついに徳川幕府の存続を巡る対立に発展します。
『佐幕』と『討幕』です。
佐幕論と討幕論
『佐幕』と『討幕』とは一言で言ってしまえば、幕府を維持するか倒してしまうかという事です。
佐幕とは・・・
徳川幕府を中心に問題を解決しよう
という考え。『幕府を補佐する』が語源です。
あくまで徳川幕府の存続を前提としているので、現状維持を理想とする考えです。
この思想に代表されるのが、松平容保(まつだいらかたもり)の会津藩、そして近藤勇や土方歳三の新選組です。
ここで注意が必要ですが、『佐幕』の人たちも『尊王』であるという事。
つまり、新選組などは『尊王佐幕』なのです。
よって、一般的にイメージする『尊王攘夷』の逆に位置する思想が『佐幕』ではないのです。
討幕とは・・・
そのまんまですが、幕府を討つという考え。
『幕府では外国の脅威に対応できないから、やっつけてしまおう』ということです。
そして、これが幕末思想を複雑にしているのですが、この『討幕論』は『尊王攘夷』や『開国論』と密接な関係にあります。
時代とともに変化するのが幕末思想。
『尊王攘夷』である薩摩などは、イギリスと争った(薩英戦争)ことで欧米列強の強さ、つまり近代国家の先進性を目の当たりにし、一刻も早く日本も近代化すべきであるという考えに変わっていきます。
また、幕府の弱腰では欧米列強に対抗できないと考え『開国論』へ、そして、天皇を頂点とする(尊王)新たな政権を樹立しようと考えます。
これが『討幕論』です。
つまり、元々は『尊王攘夷』と『開国論』が発展した結果『幕府を倒そう』、つまり『討幕論』に至り、幕末日本は近代化に向けて突き進んで行ったのです。
公武合体論と公議政体論
最後に、これらの思想についても触れておきます。
公武合体論とは・・・
朝廷と幕府が協力して問題を解決しよう
という考え。
この考えは、基本的に徳川幕府が考えていたもので、権威が失墜していく幕府を立て直すため朝廷の権威を借りようとした考えです。
実際に14代将軍 家茂(いえもち)に、朝廷から和宮(かずのみや)が嫁いで『公武合体』を実現しようとしましたが、家茂の逝去などがあり、この思想が機能することはありませんでした。
その結果、世の中は『討幕論』が勢いを増していくことになるのです。
公議政体論とは・・・
みんなの話し合いで問題を解決しよう
という考え。
あまり聞きなれない『公儀政体論』ですが、維新志士たちは日本の在り方を巡ってよく『議論』をしています。
黒船来航で焦った幕府(阿部正弘)は、開国を巡って諸大名や民衆に意見を求めたことで、国政の在り方は大きく変わりました。
明治維新に至る直接的な思想ではありませんが、幕末に様々な思想を生み出すことになる『議論』を発展させたという意味では、ある意味重要な考えであると言えるでしょう。
幕末の時代背景
以上が、幕末の代表的な思想たちです。
幕末というと『尊王攘夷』という言葉が真っ先に思い浮かびますが、それは『尊王攘夷』に基づく思想が結果的に勝利したからであり、当時の人々がみんな『尊王攘夷』と言っていた訳ではないのです。
また、幕末動乱に至る経緯には、黒船に代表される欧米列強の存在を忘れてはいけません。
幕末の日本人の根底には、欧米列強に屈しまいとする精神が存在しているのです。
明治維新の立役者たちは、ただ単に幕府が気に入らないから争っていた訳ではないのです。
日本史における歴史の転換期を3つ挙げよ!と言われたら、僕は間違いなく明治維新を筆頭に挙げます。(他は大化の改新と応仁の乱)
西郷隆盛、大久保利通、高杉晋作、坂本龍馬・・・
徳川慶喜、松平容保、近藤勇、土方歳三・・・
幕末に登場する英雄たちは、思想こそ違えど日本の行く末を真剣に案じ、本気で行動していたことに変わりはありません。
だからこそ、幕末は熱い時代であり、人気の時代として現代日本人の心を震わせるのです。
様々な思想が渦巻いた幕末日本・・・
幕末の英雄たちが志した『思想』、そして『日本』に思いを馳せながら2018年大河『西郷どん』を見てみてください。
より一層、熱く、面白く、感動しながら『西郷どん』を楽しめることでしょう!
世界史に登場した日本
明治維新によって近代国家への道を歩み始めた日本。
いよいよ世界史の舞台に姿を現すことになります。
つまり明治維新とは、日本を世界水準に引っ張り上げた出来事でもあるのです。
そして、明治維新成功の根底にあった思想が『尊王攘夷』です。
『尊王攘夷』は現代日本人に共感される思想ではないかもしれません。
ただし、時代とともに思想や価値観は変わっていきます。
だからこそ、その時代の価値観を知る事は、歴史に触れる時や大河ドラマを見る時にはとても重要なのではないかと考えています。
『西郷どん』は2008年大河ドラマ『篤姫』にハマった方には熱い展開が待っているかも!
では、今回はこの辺で!ありがとうございました。