戦国武将ランキング守備力ベスト3は誰だ!
日本全国が戦乱の世となった戦国時代。
中央政府が機能しなくなった為、この時代には全国各地で魅力的な人物が誕生し、多くの人物が戦場に散っていきました。
今回は、そんな戦国時代において、守りに回ったら強い武将をランキング形式でご紹介したいと思います。
※今回ご紹介するランキングは個人的な見解になります。また、伝説めいたエピソードも含めてのランキングとなります。ご了承ください。
守備力の高い戦国武将ベスト3
第3位 長野業正(長野業政)
3位はこの人、上州の黄班『長野業正』(ながの なりまさ)です。
上野国(こうずけのくに、現在の群馬県)の戦国武将と言えば、やはりこの爺様がまず思い浮かぶのではないでしょうか?
厳密には一地方の豪族の筆頭みたいな存在ですが、業正翁にはとんでもない伝説が残っています。
業正翁の居城は箕輪城(みのわじょう)。
箕輪城と言えば、上州の守りの要とも言える城です。
そして、上州の西方には信濃国(しなののくに、現在の長野県)。
業正翁と同時代の信州を支配していた大名と言えば、戦国時代を代表する名将『武田信玄』。
つまり、西方より攻め寄せる武田軍の猛攻にさらされ続けたのが、業正翁と箕輪城なのです。
しかし、簡単に敗れ去る業正翁ではありませんでした。
武田軍が上州に攻め寄せること計6回。
業正翁の指揮する上州勢は、その全てにおいて勝利をおさめ、武田軍を追い返したという伝説があります。
そして信玄はこう漏らしたそうです。
「業正がいる限り、上州には手がだせぬ・・・」
戦国最強との呼び声も高い武田軍を、6度に渡って返り討ちにした長野業正が第3位です。
第2位 真田昌幸
2位は、表裏比興味の者『真田昌幸』です。
大河ドラマの真田丸で一躍有名になった感じもしますが、その実力は元から戦国屈指であり、
個人的には最強武将候補の筆頭格だと思っています。
そんな昌幸の守備力の高さを物語る戦いと言えば、計2回行われた『上田城攻防戦』ではないでしょうか。
この戦いで、昌幸の前に立ちはだかったのが徳川家康が派遣した軍勢です。
第一次上田合戦では、昌幸が真田軍2,000を指揮し、約4倍もの徳川軍を蹴散らしました。
そして第二次上田合戦では、同じく昌幸指揮の元、真田軍3,000弱の軍勢が、徳川軍約38,000と言う凄まじい兵力差をひっくり返して大勝利を手にしています。
この第二次の戦いにおいて、徳川軍を指揮していた家康の息子で後の二代将軍 徳川秀忠が、昌幸に手こずり過ぎたため、関ケ原の戦いの本戦に間に合わなかったというエピソードは、あまりにも有名です。
武田、北条、上杉、徳川といった巨大勢力の狭間で、真田家を存続させた実力。
そして、何倍もの兵力差をひっくり返し徳川軍を蹴散らした昌幸の戦略家としての実力。
これらを鑑みて、第2位とさせていただきます。
第1位 北条氏康
1位は、相模の獅子『北条氏康』です。
武田信玄と上杉謙信を相手に互角に渡り合った名将で、個人的にはもっと評価されても良い武将だと思っています。
また、守りの戦いというと、氏康も思い浮かべる戦国ファンも多いのではないでしょうか。
北条氏の居城は戦国時代を代表する難攻不落の小田原城。
武田信玄や上杉謙信の大群に包囲されるも、見事に守り切っています。
謙信に至っては、10万を超える大軍勢だったとも言われています。
信玄や謙信が本気で小田原城を落としに行っていないという説もあるのですが、それは氏康の実力や小田原城が簡単には落とせない城であることが念頭にあったからこそ、彼らが攻城を諦めた、または控えたという側面もあるのではないかと思います。
ともかくも、信玄と謙信の両雄を相手に一歩も引かず、小田原城を守り切った北条氏康。
最も高い守備力を持った戦国武将とさせていただきます。
守備力が高いベスト3
以上、趣味力の高い戦国武将ベスト3でした。
1位 北条氏康
2位 真田昌幸
3位 長野業正
きっと戦国ファンそれぞれの想いもあることと思います。
『守備力の高い戦国武将』
あなたは、誰を選びますか?
戦国武将をいろいろな角度でランキングにしてみました。
では、今回はこの辺で!
ありがとうございました。
【主な参考資料】