古墳の大きさランキングベスト5!前方後円墳が大きい理由や意味とは

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拓麻呂です。

今からおよそ1500年~1700年前、日本の各地に前方後円墳が作られました。その数は約4700基にのぼります。

その中でも4世紀~5世紀頃は、特に巨大な前方後円墳が作られました。

そんな日本各地の前方後円墳の中から、最も大きい5つをランキング形式でご紹介します。

また、なぜ古墳は巨大化したのか?についても解説していきます。

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巨大前方後円墳ベスト5

大仙陵古墳:墳丘長525m

世界最大級の墳墓「大仙陵古墳」© 国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省【出典:ウィキペディア

5世紀前期~中期頃に築造された大仙陵古墳(だいせんりょうこふん)は、大阪府の百舌鳥古墳群(もずこふんぐん)にある日本最大の前方後円墳です。面積の広さでは世界最大のお墓で、エジプトのピラミッド、中国の秦の始皇帝陵と並び、世界三大墳墓のひとつに数えられています。また、世界遺産にも登録されています。

墳丘の長さは486メートルとされていましたが、近年525メートルであることが確認されました。なお、濠なども含めると840mという、とんでもない大きさとなります。

被葬者は第16代仁徳天皇とされており、「仁徳天皇陵」と呼ばれることもありますが、詳細はわかっていません。

歴史の教科書にも必ずと言っていいほど、その空撮写真が採用されるなど、まさに日本を代表する最も象徴的な巨大前方後円墳と言えるでしょう。

誉田御廟山古墳:墳丘長425m

全国2番目の大きさを誇る「誉田御廟山古墳」© 国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省【出典:ウィキペディア

5世紀初頭の築造される誉田御廟山古墳(こんだごびょうやまこふん)は、大阪府羽曳野市の古市古墳群(ふるいちこふんぐん)にある日本で2番目に大きい前方後円墳。面積、体積ともに大仙陵古墳に次ぐ大きさの前方後円墳とも言われています。また、世界遺産にも登録されています。

前方部が不自然な形をしており、綺麗な鍵穴の形になっていないのは、自身により崩落があったたとされています。また濠の形が歪んでいますが、もともとあった二ツ塚古墳を避ける様につくったため、このような形になっています。

被葬者は第15代応神天皇とされており、「応神天皇陵」と呼ばれることもありますが、詳しいことはわかっていません。大仙陵古墳と同様に、日本を代表する前方後円墳です。

上石津ミサンザイ古墳:墳丘長365m

日本で3番目の規模を誇る「上石津ミサンザイ古墳」© 国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省【出典:ウィキペディア

5世紀初頭に築造されたとされる上石津ミサンザイ古墳(かみいしづみさんざいこふん)は、大阪府の百舌鳥古墳群(もずこふんぐん)にある日本で3番目の規模を誇る前方後円墳です。大仙陵古墳と同様、世界遺産に登録されています。

被葬者は第17代履中天皇とされておいますが、詳しいことは判明していません。

百舌鳥古墳群と古市古墳群にあるほとんどの古墳が、宮内庁の管轄となっているため、立ち入りが許可されておらず、発掘調査が困難なことから被葬者を含め詳しいことは、ほとんどわかっていません。

造山古墳:墳丘長350m

岡山県の強大な首長が眠っているとされる「造山古墳」© 国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省【出典:ウィキペディア

5世紀前半の築造と考えられる造山古墳(つくりやまこふん)は、岡山県岡山市北区にある日本で4番目に大きい前方後円墳

古代の岡山県は「吉備(きび)」と呼ばれており、畿内のヤマト王権に対抗しうる強力な豪族が存在したと考えられています。被葬者は分かっていませんが、吉備政権の首長クラスの人物、もしくは日本書紀に登場する「御友別(みともわけ)」なる豪族ではないかとされています。

なお、岡山県には「作山古墳」(282m)という前方後円墳も存在しており、「造山古墳」と同様「つくりやまこふん」という名称であることから、「造山」を「ぞうざん」、「作山」うを「さくざん」と言って区別する場合もあります。

河内大塚山古墳:墳丘長335m

5番目の大きさを誇る「河内大塚山古墳」© 国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省【出典:ウィキペディア

6世紀後半の築造と考えられる河内大塚山古墳(かわちおおつかやまやまこふん)は、日本で5番目に大きい前方後円墳です。1位~4位の古墳と違い、かなり時代が下った6世紀後半の築造とされ、6世紀後半に作られた古墳としては異例の大きさを誇っています。

被葬者は、第21代雄略天皇とも、第30代敏達天皇とも言われていますが、はっきりしたことはわかっていません。

なお、所在地が百舌鳥古墳群と古市古墳群の中間地点であるため、どちらの古墳群にも含まれないという見方もあり、世界遺産には登録されていません。

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 古墳は巨大化した時代背景とは?

以上、大きい前方後円墳5つをご紹介しました。

ところで、なぜこのような巨大な墳墓が築かれることになったのでしょうか?理由はいくつかあるのですが、そのひとつが当時の時代背景にあります。その背景とは「古墳時代は平和だった」ことが挙げられます。

古墳時代の前時代に当たる弥生時代は、当時の遺跡から出土した人骨にも戦傷の痕が見られるなど、戦乱の時代であったことが、様々な調査で判明しています。一方で古墳時代の遺跡から出土した人骨には戦傷の痕が見られず、争いの無い時代であったことがわかっています。

巨大古墳を作りには人手も時間も経費もかかります。もし戦時であれば労力を割いて巨大な墳墓を作っている場合ではなく、時間や人材などは軍備に充てなければいけません。つまり、『平和であったからこそ、大きな古墳を作っている余裕があった』ということなのです。

ではなぜ平和な時代が訪れたのでしょうか?

その要因となったのが「鉄」でした。

古墳時代は、日本では鉄鉱石が採取できないと考えられており、朝鮮半島経由での輸入に頼っていました。鉄は武器屋防具などの古墳の副葬品や、稲作や畑作に欠かせない農具を作るのにも必要な物でした。

この鉄と技術を独占していたのがヤマト王権で、交易品として諸国に鉄を与えることによって、各地の有力豪族がヤマト王権の傘下に組み込まれていったと考えられています。このように鉄を媒介とし、戦争を経ずして各地の有力豪族がヤマト王権に組み込まれていったことで、大きな古墳が作れる平和な時代が実現したと考えられています。

大きな前方後円墳は権威の証

以上のような時代背景に支えられ、古墳は大きくなっていったのですが、そもそもなぜ大きくする必要があったのでしょうか?それは「被葬者の偉大さを表現するため」でした。

多くの前方後円墳は当時の主要な街道沿いや海沿いに築造されています。つまり、前方後円墳とは、人に見せるために造られており、その古墳に埋葬された人物がいかに偉大であったかを大きさで表現しているのです。

また、地方豪族にとっては、大きな前方後円墳を作ることでヤマト王権との密接な関係を表表現するひとつの指針となり、連合政権内での格を示すことに役立ちました。以上のような理由から、大きな古墳をつくる必要があったのです。

古代ロマンを感じられる巨大古墳

以上、古墳時代の巨大前方後円墳ベスト5と、古墳が大型化した理由をお伝えしてまいりました。

  • 【1位】大仙陵古墳:525m
  • 【2位】誉田御廟山古墳:425m
  • 【3位】上石津ミサンザイ古墳:365m
  • 【4位】造山古墳:350m
  • 【5位】河内大塚山古墳:335m

そして、これらの巨大古墳は、鉄を媒介とした平和な時代の訪れによって築造可能になったのでした。

これほどまで大きな墳墓を作った古代日本。今回ご紹介した5つの古墳以外にも、全国には大小さまざまな古墳が存在しています。ぜひ、各地の古墳を訪れて古代史ロマンを満喫して頂ければと想います。

では、今回はこの辺で!ありがとうございました。

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