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『清少納言に恋した男』拓麻呂でございます。
平安時代の才女、清少納言が書き残した随筆集『枕草子』。
この枕草子は約三〇〇段から成る膨大なエッセイですが、そんな枕草子を読み進めていると、どうやら清少納言は相当な雷嫌いであり、また泥棒にする恐怖感が強かったことが伺えます。
今回は、線少納言がどれほど雷と泥棒が嫌いだったかを見ていくことにしましょう。
~枕草子に記された千年前の怖いものとは?~
清少納言が語る何とも怖いもの①『雷』
枕草子二四九段に『せめて恐ろしきもの(なんとも怖いもの)』という章段があります。この中で清少納言は『夜に鳴り響く雷が恐ろしい』と述べています。
この感覚は何となく理解できる方もいらっしゃるかと思います。しかし、清少納言は別の章段でも雷に対する恐怖を綴っているのです。
それは、枕草子一四八段『名恐ろしきもの(名前がこわいもの)』という章段。清少納言はここでも雷を挙げています。夜に鳴り響く雷が恐ろしいというのは何となく分かるのですが、彼女は『雷(いかずち)』という名称も怖いと述べているのです。
なお原文には、以下のように書かれています。
名のみにもあらず、いみじう恐ろし
つまり、名前も怖いが雷自体がそもそも怖いという事です。『いかずち』という四文字にすら恐怖を感じる線少納言は、よほど雷が嫌いだったのでしょう。
雷が怖い理由
では何故、清少納言はこれほどまでに雷を恐れたのでしょう。
清少納言が生きた時代は今からおよそ千年前の平安時代です。元々、雷を含む天災は神の怒りという捉え方がされ、古代から恐怖の対象とされてきました。清少納言が生きた時代も、雷に対する科学的な解明が成されているわけではありません。
科学的な根拠が示されている現代でも、雷に恐怖を感じる人は多いと思います。そんな現代人すら恐れる雷は、平安時代の人々にとって、より一層恐ろしい自然の驚異であったことは想像に難くありません。
清少納言が語る何とも怖いもの②『泥棒』
そして、もうひとつの怖いもの、それは泥棒。清少納言は雷と同様に、この泥棒に関してもその存在と名前が共に怖いと言っています。
原文は以下のようになります。
強盗、またよろづに恐ろし
つまり、泥棒は全ての面において恐ろしいと言う意味です。しかし、清少納言は泥棒の恐ろしさについて、もう一つ面白い事を書いています。
隣の家に入った泥棒が怖い
清少納言はこのように語ります。
隣の家に泥棒が入った時が怖い。
自分の家に泥棒が入ったら、気が動転して無我夢中になってしまい何も分からなくなってしまう。
つまり、近隣に泥棒が入ったという噂の方が怖いと言っています。自分の家に泥棒が入ったら対処で恐怖どころではないけれど、隣の家に入った泥棒が、次に自分の家を狙っているんじゃないかと思うと不安で仕方がない。
このような意味です。
この感覚、理解できるような気がしませんか?こういう何気ない人間の持つ不変の感情がサラッと書かれている所に、枕草子の楽しさがあります。
普通なら単純に泥棒が怖いと感じるだけですが、清少納言はちょっと違った視点で隣家に入った泥棒が怖いと言っている。しかも少し違った視点から見たその感覚は、現代人も『確かに!!』と頷ける内容になっているのです。
そんな雷と泥棒に怯える清少納言の姿に愛嬌を感じながら、枕草子を楽しむのおススメですよ。
参考:枕草子 一五三段『名恐ろしきもの』、二六四段『せめて恐ろしきもの』より
~碇も怖い清少納言~
ちなみに清少納言は、枕草子一五三段『名恐ろしきもの』の最後に『碇』を挙げています。しかも碇が怖い理由は、何とその形。
清少納言は碇の形状に恐怖を感じていたのです。
まぁ確かに碇はいかつい形をしていますし、鋭い先端も存在しています。清少納言の研ぎ澄まされた感性は、僕のような一般人の想像を超える事もあり、常に驚きと楽しさを与えてくれます。
もっと枕草子の世界を覗いてみたい方は、こちらからお好みの記事をご覧ください。
では、今回はこの辺で!ありがとうございました。