枕草子の作者として有名な清少納言。
枕草子は平安時代の情景を現代に届けてくれる非常に楽しい作品ですが、その著者である清少納言も実に魅力的な女性です。
毒舌で、おっちょこちょいで、風情を楽む感性があり、そして・・・悲しみを胸に秘め定子様との想い出を書き残した清少納言。今回はそんな清少納言のプロフィールをご紹介いたします。
清少納言のプロフィール
では早速、魅力的な女性 清少納言のことをご紹介します。
清少納言の名前やあだ名について
【本名】
清原諾子(きよはらのなぎこ)
※清少納言の本名はよくわかってしませんが、一説には『諾子』と言われています。この時代の女性は相当身分が高くないと名前は残りません。史料にも『女子』などと書かれていて名前が残らないことが多いのです。
【女房名】
清少納言 (せいしょうなごん)
※『清』は清原の『清』。少納言は近親者の官職から来ていると思われますが、現存する史料では確認できないため詳細は不明です。
【周囲からどう呼ばれていたか】
少納言(しょうなごん)
※枕草子の中で定子からそう呼ばれています。
草の庵(くさのいおり)
※藤原斉信(ふじわらのただのぶ)に付けられたあだ名で、名付けられた経緯が枕草子に書かれています。
なお、現在では清少納言を『清女(せいじょ)』、紫式部を『紫女(しじょ)』と呼ぶ場合もあります。
清少納言の生没年や職業など
【清少納言の生涯年表】
【生年】康保3年(西暦966年)頃 ※諸説あり
【没年】万寿2年(西暦1025年)頃 ※諸説あり
【職業】中宮定子の女房
【副業】エッセイスト(代表作は枕草子)
【活動拠点】京都(平安京)
清少納言の家族構成
【清少納言の家系図】
※清少納言は末っ子で、父の元輔が59歳の時の娘。長兄の為成とは30歳くらいの年齢差があったとされています。
※清少納言の家系は飛鳥時代末期に絶大な権力を誇った天武天皇の子孫とされています。
【家族構成】
父:清原元輔(きよはらのもとすけ)
※有名な歌人、曾祖父の清原深養父(ふかやぶ)も有名な歌人
母:不明
兄:為成、致信(むねのぶ)、戒秀(かいしゅう)※出家している
姉:名前は伝わっていない(藤原理能に嫁ぐ)
※藤原理能は『蜻蛉日記』の作者 道綱母の兄に当たる人物です。
【配偶者】
橘則光(たちばなののりみつ)
※一人目の旦那、後に離婚
藤原棟世(ふじわらのむねよ)
※二人目の旦那、清少納言よりかなり年上だったらしい
【子供】
橘則長(たちばなののりなが)
※則光との間に授かった子、男の子
小馬命婦(こまのみょうぶ)
※棟世との間に授かった子、女の子。後に中宮彰子の女房となる
【口癖?】をかし
※「趣がある」という意味
【特技】文章を書くこと、人を観察すること、情景描写
【尊敬する人】藤原定子(ふじわらのていし)
※一条天皇のお后様で、清少納言が仕えた女性
【髪型】癖毛で茶髪
※枕草子の中で自身の髪に言及している箇所がある。
平安時代を生きた一人の女性として
ざっくりとですが、清少納言のプロフィールは以上のような感じです。彼女は枕草子と言う、素晴らしい作品を現代に残してくれました。
毒舌とか、得意気な態度が嫌とかいろいろと言われている清少納言ですが、枕草子を読んでいると憎めないお調子者のような感じで非常に親近感が湧きます。結構、恥ずかしがり屋な一面もあったりするので、文章だと本音が出せてちょっと粋がってしまうタイプだったのかもしれませんね。
清少納言の生涯や活躍、枕草子の秘められた思いなどの詳細版はコチラをご覧ください。家系図や年表を交え、わかりやすくまとめました。ここを読んでおけば、清少納言のことはほぼわかる内容になっています。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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