平安時代、ほぼ同じ時代を生き、同じような階級の家柄で育った2人の女性。
源氏物語の作者『紫式部』と、枕草子の作者『清少納言』。
- 彼女たちの夫は、一体どのような人物だったのでしょうか?
- そして夫婦仲はどうだったのでしょうか?
- 夫婦の別れはどのようなものだったのでしょうか?
この記事では、紫式部と清少納言それぞれの夫婦仲や旦那さんの人物像に迫ってみたいと思います。
紫式部の夫『藤原宣孝』
紫式部の夫は『藤原宣孝(ふじわらののぶたか)』という男性貴族です。
宣孝がいつ頃の生まれなのかは分かっていませんが、活躍時期などから考えると紫式部よりもかなり年上で、親子並みの年齢差があったと思われます。
二人の間には『大弐三位(だいにのさんみ)』という娘がおり、紫式部と同じく彼女も宮仕えをしています。
この藤原宣孝の様子については、清少納言が枕草子で触れています。
由緒ある寺(蔵王権現)に参拝する際、本来ならば落ち着いた服装で詣でなければならないのに、参詣に現れた宣孝は異様に派手で悪趣味な色の衣装で登場し、かなり浮いていたそうです。
その派手さに、周囲の人々が呆気に取られていました。
ちなみにこの出来事は、紫式部と結婚する前のことです。
清少納言としては、単に驚いた出来事を書いただけだと思いますが、後に紫式部が夫をバカにされたと勘違いしたとも言われています。
これが紫式部と清少納言の不仲説の遠因とする説もありますが、ちょっと飛躍しすぎな感もありますね。
紫式部と藤原宣孝の夫婦仲と別れ
では、2人の夫婦仲はどうだったのでしょうか?ハッキリした記録は残っていませんが、夫婦仲は悪くなかったと思われます。
と言うのも、紫式部が源氏物語を書き始めたキッカケのひとつは、『宣孝に先立たれた寂しさを紛らわすためだった』と言われているからです。
つまり、紫式部と藤原宣孝は死別しているのです。実は、2人が夫婦として過ごした期間はわずか2年でした。この後に、源氏物語が世間で評判になっていき、紫式部の宮廷出仕が始まるのです。
清少納言の夫『橘則光』
清少納言の夫は『橘則光(たちばなののりみつ)』という男性です。清少納言の生年がハッキリしていないものの、則光の方が1つ年長で、ほぼ同年代だったと思われます。
また、則光と清少納言は『則長』という男子を授かっています。
則光はなかなかの豪傑だったようで、数人の泥棒を一人で蹴散らしたという逸話が残っています。また、この当時は必須の教養であった和歌が嫌いという、根っからの体育会系でした。
しかし、この真っ直ぐな性格が災いして、清少納言との別れを迎えることになります。
清少納言と橘則光の夫婦仲と別れ
では、2人の夫婦仲はどうだったのでしょうか?これに関しては、清少納言が枕草子にハッキリと書き残しています。
枕草子によると、清少納言は則光のことを決して嫌いではなかったこと、悪い人とは思っていなかったことが書かれています。
なんですが、体育会系の則光に対し、清少納言は知的なインテリ系。どこか合わない部分があったようで、結局離婚しています。
しかし、離婚後も交流があったようで、則光は清少納言のことを妹のように可愛がっていたそうです。
が・・・。
離婚後もお互いを認め合う仲ではあったものの、性格の不一致は解消せず、ある事件がキッカケで2人の関係は完全に破綻することになります。
その事件は『ワカメ事件』と呼ばれ、枕草子に詳細が綴られています。
簡単に言うと、無神経な則光に対し、清少納言が愛想を尽かす出来事なのですが、夫婦コントのような軽快さを感じる楽しい?事件です。
そんな『ワカメ事件』の詳細はコチラをご覧ください。
清少納言のもう一人の夫『藤原棟世』
枕草子にも登場することから、清少納言の夫と言えば前述の橘則光が有名です。ですが、清少納言は則光との離婚後に『藤原棟世(ふじわらのむねよ)』という男性と再婚しています。
藤原棟世は清少納言より20歳以上も年上だったとされているので、親子並みの年齢差があったことになります。
藤原棟世は枕草子にも一切登場せず、記録がほとんど残っていないので、どんな人物だったのかはハッキリしません。
しかしながら、2人の間には『小馬命婦(こまのみょうぶ)』という娘がいたことが分かっていて、小馬命婦は母の清少納言と同じく、後に宮仕えをしています。
まとめ
以上、紫式部と清少納言の夫についてでした。
まとめると・・・
- 紫式部の夫は『藤原宣孝』、夫婦仲は悪くなかったものの後に死別
- 清少納言の夫は『橘則光』、嫌いではなかったものの性格の不一致で後に離婚し『藤原棟世』と再婚。
ということになります。
紫式部と清少納言は、同時代の人物で、似たような出自、女房と言う同じ職業に就いており、なにかと比較されることが多いです。
死別か離縁かの違いはこそあれ、2人とも夫婦仲は悪くありませんでした。
この時代に紫式部と清少納言という2人の才女が同時に現れ、千年読み継がれる源氏物語と枕草子という2つの文学作品が残ったことは、とんでもない奇跡だと思っています。
枕草子の記述を元に、清少納言の顔を3Dで復元してみた記事はコチラ。
源氏物語の記述を元に、紫式部の顔を3Dで復元してみた記事はコチラ。
他にも、いろんな角度から二人を比較してみました。