清少納言が書いた枕草子。
その内容は現代の我々が読んでも非常に共感することができ、人間の根底は1000年前から変わっていないことを教えてくれます。
今回の記事では、枕草子誕生から後世に残るまでの過程を追いかけてみたいと思います。
枕草子を書き始めたきっかけ
清少納言のお仕事は、天皇のお后様『定子(ていし)』にお仕えすること。主な仕事内容は定子のお話し相手をする事や、身の回りのお世話です。
清少納言は定子に強い尊敬の念を抱いており、定子にとっても清少納言はお気に入りの女房でした。
そんなある日、清少納言と定子の間で以下のようなやりとりがありました。
一冊の白い冊子を持っていた定子は清少納言に語り掛けます。
定子この冊子に何を書こうか迷っているのですが、何を書けばいいでしょう?
清少納言に相談を持ちかける定子。
すると清少納言は答えます。
清少納言それは枕でございましょう
一見、清少納言が頓珍漢がことを言っているように思えるのですが、清少納言の回答にはしっかりとした意味があり、実は「書を枕にして眠る」という漢詩の一節を切り取ったものなのです。
このやりとりの解釈には諸説あるのですが、『枕草子』という題名になったキッカケと言われるひとつの説になっています。このやりとりの結果、清少納言の回答に満足した定子は冊子を清少納言に託します。
この定子から授かった何も書かれていない冊子に、清少納言は枕草子を綴っていくのです。
なお、定子と清少納言のやりとりに関しては、コチラの記事でさらに詳細な解説を行っています。
枕草子初めての執筆
冊子を授かった清少納言はある出来事をキッカケにして、枕草子の執筆を開始します。その出来事とは、『清少納言の里帰り』です。
当時、定子の兄(伊周)と藤原道長の間で権力争いがあり、定子たちは宮廷での居場所を失いつつありました。そんな中、清少納言は藤原道長との内通を疑われてしまいました。
裏切り者扱いされた清少納言は憤慨し、里に帰ってしまったのです。
この里帰りの最中に枕草子は書き始められました。
実は、枕草子の跋文(後書きみたいなもの)に清少納言自身が枕草子執筆の経緯を語っています。
里帰りしていて時間を持て余していた清少納言は、定子から賜った冊子に思いつくままのことをツラツラと書き始めました。これが後に枕草子となっていくのです。
枕草子が世間に広まる
枕草子を書き始めた当初、清少納言は枕草子を隠していたそうです。しかし、清少納言のところにやってきた源経房(みなもとのつねふさ)という人物に見つかってしまいました。
枕草子の内容を目にした経房は感銘を受け、枕草子を持って行ってしまいます。
持っていかれてしまった枕草子。待てど暮らせど、なかなか戻ってきません。どうやらこの時、経房は枕草子を沢山の人々に読ませていたようです。
つまり経房が広めたために、枕草子は大勢の人が目にするようになり、世間に認知されるようになったのです。
枕草子の誕生まとめ
以上、清少納言が枕草子を書いたキッカケと、世間に広まった過程でした。
定子から授かった冊子に書かれた枕草子。当時とても貴重だった紙を賜った事実は、定子に誠心誠意お仕えしていた清少納言にとって、とても誇らしい出来度だったのではないでしょうか。
もしかしたら、清少納言は定子のその周辺の華やかな歴史を後世に伝えたかったのかな?とも想像してしまいます。その想いが枕草子の中でイキイキと活躍する定子の姿に現れているように感じます。
是非一度、枕草子を読んでみてください。そして目を閉じ、枕草子が描く光景を思い浮かべてみてください。平安時代の雅な世界が瞼の裏に広がってきますよ。
最後までお読みいただきありがとうございました。
清少納言の生涯や枕草子に込めた想いなどを詳細に解説した記事はコチラです。
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