斎藤道三の壮絶な最期と、父殺し斎藤義龍の悲劇的な最期とは

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戦国時代と戦国武将

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拓麻呂です。

 

令和二年(2020年)の大河ドラマ『麒麟がくる』にも登場している『斎藤利政(斎藤道三)』『斎藤高政(斎藤義龍)』

 

父子関係にあるとされている両者は、戦国時代でも名高い親子ゲンカを演じたことでも知られています。

その戦いは『長良川の戦い(ながらがわのたたかい)』と呼ばれています。

 

長良川の戦いを経て、二人はどうなったのか?

そして、その最期はどうなったのか?

斎藤道三と斎藤義龍の壮絶な、そして悲劇的な最期をお伝えします。

 

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斎藤道三と斎藤義龍の最期

決戦!長良川の戦い

前述の通り、道三と義龍は不仲となり、長良川の戦いで激突することになります。

この戦いの要因は、二人の怪しい親子関係にあったと言われています。

要約すると、義龍は道三の嫡子とされているのですが、父親が道三ではなく『土岐頼芸』という人物ではないか?という疑惑があったのです。

↓詳細はコチラ↓

家系図で分かる!斎藤道三と斎藤義龍の怪しい親子関係を解説
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義龍が道三の実子であったかの真相は闇の中ですが、ともかくも道三は義龍を疎み、次男を溺愛したと伝わっており、それが原因で二人は不仲となりました。

その結果、長良川の戦いへと発展していくのです。

 

序盤は、道三が優位に戦い進めていきますが、徐々に義龍が盛り返していきます。

さらに、道三の重臣であった『稲葉一鉄(稲葉良通)』、『安藤守就』、『氏家卜全』ら、いわゆる美濃三人衆が義龍に味方したため、圧倒的な兵力差の前に道三は敗北し、乱戦の最中に討ち取られました。

 

下剋上で成り上がり、美濃のマムシと恐れたれた梟雄が、親子ゲンカで討死するというまさかの最期となりました。

 

なお、道三の娘『帰蝶(濃姫)』を妻に迎え、斎藤家と同盟関係にあった織田信長は、道三救援のために出陣するも間に合いませんでした。

 

さらに、この戦いの結果が、『明智光秀』やその叔父『明智光安』の運命を左右する戦いへと発展していくのです。

家系図付!明智光秀と叔父 明智光安の関係!明智城の戦いに散る
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斎藤義龍の最期

長良川の戦いで、憎き道三を討ち果たした義龍は、斎藤家の当主となり、美濃支配の実権を手に入れました。

 

しかし、この結果により、織田信長との関係が悪化。

信長は美濃への侵攻を開始しました。

 

義龍は信長と一進一退の攻防を繰り返しながら、隣国である近江(おうみ、現在の滋賀県)の六角義賢(ろっかく よしかた)と同盟を結ぶなどし、北近江へも領地を広げようとしました。

このように、野望を抱きながら邁進していた義龍でしたが、その最期は突然やってきました。

 

長良川の戦いで斎藤道三を撃破してから約5年後の永禄4年(1561年)、義龍は病により急逝。

今より寿命が短かった戦国時代とは言え、まだまだ働き盛りの35歳でした。

 

その後の斎藤家

道三に続き義龍をも失った斎藤家。

当主は、義龍の子『斎藤龍興』が継ぎました。

 

しかし、龍興は非常に暗愚で、家中をまとめることができなかったと言われています。

また、当主としての振る舞いにも問題があったようで、その行動を諫めようとした家臣の竹中半兵衛ら、わずか16人の手勢に城を乗っ取られるという大失態も犯しています。

 

それから3年後、信長の美濃攻めに抗し切れず、次々と家臣が離反していく中、龍興も美濃を捨て敗走。

その後、三好三人衆らを頼り信長に抵抗するも失敗し続けます。

最終的には朝倉義景を頼るも、織田と朝倉の戦いで討死。

享年26

 

こうして、戦国斎藤家は滅亡しました。

 

このような経過を見ると、長良川の戦いが斎藤家斜陽の出発点であったように感じます。

義龍の早世は運の尽きとしか言いようがありませんが、道三が存命であれば、信長の美濃攻めはもう少し後になったか、あるいは行われなった可能性もあります。

 

信長は岐阜城で『天下布武』を標榜しました。

岐阜城とは、斎藤家の居城であった稲葉山城を改名した城です。

つまり、信長は美濃を制したことで『天下布武』の野望を掲げたのです。

 

また、道三を倒した後の義龍が、明智城を攻めたことで、明智光秀の運命は大きく変わりました。

若き日の明智光秀vs斎藤義龍!光秀の運命を変えた明智城の戦とは
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そう考えると、斎藤家の存在、斎藤道三と義龍の動きは、後の戦国時代の行方を左右する大きな転換点だったと言えるのではないでしょうか。

 

まとめ

以上、斎藤道三と斎藤義龍の最期でした。

 

道三は長良川の戦いで討死。

義龍は道三が亡くなってから約5年後に急逝。

 

そして、この2人の存在が無くなったことで、戦国時代は大きく動いていくことになるのでした。

 

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では、今回はこの辺で!

ありがとうございました。