明智光秀と濃姫(帰蝶)。
この2人はかなり親密な関係に描かれることが多いのですが、そもそも二人はどういった関係だったのでしょうか?
2020年の大河ドラマ「麒麟がくる」などでも、非常に親密な関係で描かれていましたよね。
そんな明智光秀と濃姫の本当の関係とは、どのようなものだったのか?両者の関係性を、家系図を見ながら解説していきたいと思います。
光秀と濃姫はいことの関係
まずは、家系図をご覧ください。
結論から言うと、明智光秀と濃姫は『いとこ』です。
明智光秀の父『明智光綱』と、濃姫の母『小見の方』が兄妹なので、それぞれの子供である光秀と濃姫は、いとこに当たります。
そして、濃姫は織田信長の正妻です。
このような関係上、明智光秀と織田信長は血の繋がりは無いものの、一応親戚ではあるのです。
また、明智光秀から見て斎藤道三は叔母の夫なので、血は繋がっていませんが、光秀と道三も親戚関係になります。
ちなみに、濃姫と信長の間には子供がいなかったと言われています。
光秀の濃姫が恋仲?
このように、いとこの関係であった光秀の濃姫ですが、二人の仲の良さが分かるようなエピソードは残されていません。お互いを知らない間柄ではなかったと思いますが、どこまで親密な関係であったかは残念ながら分からないのです。
創作物では、恋愛関係で描かれることもある明智光秀と濃姫ですが、実際はどうだったのでしょうか?恋仲の可能性を考察した記事もあるので、ご覧になってみてください。
濃姫は本能寺の変で何を想ったか?
現代の親戚関係でも、いとこというのは比較的近しい間柄なのかなと思います。
家同士の繋がりが重視された当時であれば、その関係は尚更深いものだったでしょう。
そんないとこの光秀が、夫である織田信長に反旗を翻した本能寺の変。
この歴史をひっくり返した大事件を、濃姫はどのような心境で受け止めたのでしょうか?
実は、本能寺の変が起こった時、濃姫がどこで何をしていたのか、ハッキリとは分かっていません。
一説には、すでに亡くなっていたとか、信長と離縁していたとも言われています。
一方で、信長とともに本能寺に泊まっていて、変で亡くなったという説や、変の後も生存していたという説もあります。
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ともかくも、いとこの光秀によって、夫の信長を亡き者にされた本能寺の変。
その光秀も、約10日後に山崎の戦いで羽柴秀吉に敗れ、程なくして亡くなりました。
もし、濃姫が本能寺の変後も生存していたとするならば、その心境は相当複雑なものだったに違いありません。
父の斎藤道三を長良川の戦いで失い、夫の織田信長を本能寺の変で失い、いとこの明智光秀を山崎の戦いで失いました。
濃姫もまた、戦国時代という乱世の洗礼を真正面から受け、その荒波に苦しみながらも懸命に生きた女性だったのです。
濃姫と明智光秀まとめ
以上、濃姫と明智光秀の関係を家系図で解説でした。
光秀と濃姫はいとこの関係。
しかし、二人の仲を示すようなエピソードは残っていない。
ということになるのでした。
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